《畑中良輔氏へのオマージュ〜陽ちゃんとの絆から〜》

2012年7月27日
(イゴール・マルケヴィッチ生誕100年の日に)
大山 隆・50歳
(横浜市日吉在住)


"巨星墜つ!"陽ちゃんの盟友であった畑中良輔氏が5月24日に亡くなられた。享年90歳。 我が国の音楽界の至宝であり、重鎮中の重鎮であり、その存在感や影響力は途轍もなく大きく、楽壇の中心的かつ精神的支柱であり、行動・実践する音楽家であり、発言や批評によるメッセージを発信し続け、多くの人々を啓発・感化してきた余人を以って代え難い大人物であった。
 博学多才で、その活躍分野は声楽家・バリトン歌手(リート・オペラ歌手)、教育者、作曲家、詩人(作詞・訳詩)、合唱指揮者、評論家、プロデューサー(主宰・企画・構成、音楽監督・総監督・芸術監督、コンクールの審査委員長、監修・編集・校訂等)等、幅広かった。そして、そのお人柄はユーモア溢れるエスプリの人であり、お洒落で、まさに、明るく大きく温かい太陽(あるいは、富士山)のようなオーラを持っている人であった。
 さまざまな要職を歴任し、多くの賞・勲章を受賞・受章されたが、その中で私が注目するのは、「初代新国立劇場芸術監督」と、盟友で畑中氏よりも2日前に亡くなられた吉田秀和氏からの依頼で引き受けた「水戸芸術館音楽部門芸術総監督」、そして、陽ちゃんの意志を継いで就任した「藤沢市民会館文化担当参与」である。藤沢においては、藤沢市民オペラや藤沢オペラコンクール等を企画・構成・主催する公益財団法人藤沢市みらい創造財団(財団法人藤沢市芸術文化振興財団から改組)なども先頭に立って牽引し、名実共に−陽ちゃんの後任として−藤沢市の音楽総監督としてますますの発展・成長にも尽力されていた。
 90歳、大往生かも知れないし、生涯現役であったことを考えれば幸せな音楽人生であったと思うが、その旺盛な好奇心や知識欲、進取精神、瑞々しい感性等を考えれば、あと10年、100歳まで元気にで活躍して欲しかったと思う。

畑中良輔氏逝去後、氏と直接関わりのあった人たち〔音楽仲間(先輩・友人・後輩・弟子)、一緒に音楽をした人たち、教育を受けた生徒たち等)が多くの追悼の文章を新聞や音楽雑誌・ネット上などに寄せている。私にとっては陽ちゃんを通じて知り合うことができた敬愛する音楽家であったが、個人的に付き合いがあったわけではないので、オマージュというのはおこがましいのは承知しているが、福永陽一郎さんとの関係を意識しながら追悼の想いを書いてみたい。

"畑中良輔"という名前を最初に見たのは、小・中学校の時の音楽の教科書の監修者だった思う。その後、陽ちゃんとの交流が始まった頃から、六連や四連で慶應ワグネルソサイエティの指揮者として出会い、陽ちゃん存命中は楽屋で、没後は藤沢市民オペラ等のホールでお会いし、挨拶を交わす程度であったが、強く印象に残っているのは陽ちゃんの還暦コンサートでの司会、陽ちゃん逝去時に陽ちゃん宅と斎場でご一緒した時、陽ちゃんご贔屓の藤沢駅近くのステーキハウス松坂で一度食事を共にした時(正確にいうと同じテーブルに座っていたということか)のことである。毒舌ではあるが、ユーモアたっぷりで音楽に対する深い愛情を感じるお話しをされていた。とくに、藤沢市民オペラや陽ちゃんの話では深い友情と使命感みたいものを語られていた。
 ブルさんにとっての陽ちゃんの存在やブルさんと陽ちゃんの友情関係は、我々には窺い知ることができない深い絆で結ばれていたのだと思う。高齢になってもなお、藤沢の音楽活動は自身で引き受け、継続されていたことでも解る。(いくつかの仕事は信頼できる後輩や弟子たちに引継ぎされていた。)最高顧問を務めていた藤沢男声合唱団の定期演奏会の指揮は13年間続けて来られ、この6月30日には畑中氏の強い希望で陽ちゃんの名編曲マーラーの「さすらう若人の歌」を指揮する予定であった。
 以下、ランダムにブルさんへの想いを綴り、また陽ちゃんの生前と没後にブルさんが陽ちゃんへの想いを綴られた文章を掲載し、私の畑中良輔氏・ブルさんへのオマージュとしたい。


【合唱指揮者】

畑中氏が指揮された合唱指揮はいつも感動的な名演奏ばかりであった。六連や四連、慶應ワグネルの定演(OB演奏会含む)、藤沢男声合唱団で演奏されていた男声合唱は至福の時であった。まさに、"魔法の棒"という印象であった。今、思い出しても「月光とピエロ」や多田武彦作品の「柳河風俗詩」「富士山」「中勘助の詩から」「草野心平の詩から」等は、これ以上の名演は望めないと思えるほどであった。また、福永陽一郎氏や北村協一氏が編曲した楽曲も数多く指揮し、素晴らしい名演を残された。畑中・福永・北村の3名が、我が国の男声合唱界に遺された足跡の大きさを実感する。
 畑中氏の指揮の特徴は−専門的なことは分からないが−しなやかでありながら雄渾で、抒情性に溢れ、"詞"を大切にする"うたごころ"に満ちた演奏であったと思う。畑中氏がタクトを振った瞬間から、合唱団の歌に懐の深さというか、奥行きと幅を感じるのであった。畑中氏が指揮されるステージと、他の指揮者のステージとでは、全く別の合唱団に聴こえることがしばしばであった。
 また、混声合唱では<畑中ヴァージョン>といわれる「水のいのち」が絶品だった。水の輪廻転生を再現するかのような解釈で、何度聴いても感動的である。伊藤京子さんのナレーションに続いて演奏され、終曲「海よ」のピアノによる最終和音に移る寸前に、再び第1曲の「雨」にピアニッシモで戻り、静かに終わる演奏だ。
 私の結論として、とくに、1990年以降に到達した至芸は合唱指揮者として我が国で最高の人であったということだ。本当に"魔法の棒"だったと思う。


【CD化を強く要望】

畑中氏が指揮した演奏の記録を是非CD化して欲しいものだ。慶應ワグネルを指揮した演奏はどれも秀逸であるが、とくに東芝EMIに録音した<合唱名曲コレクション>は名演揃いである。その発展形としてのアラウンド・シンガーズを指揮した素晴らしい録音もある。これらは畑中氏追悼記念として、すぐに再発すべきと考える。東芝EMIの見識と英断に期待したい!
 また、慶應ワグネルへのお願いとしては、過去の定演・六連・四連におけるライヴ演奏のCD化を希望したい。各演奏会はLPレコード時代から実況録音盤として限定で各大学から発売されていた。私も何枚か所有している。CD時代となってからは音質も良く、男声合唱の魅力を存分に味わえる録音になっている。これらを復活して欲しいという要望である。畑中氏の指揮では歴史的名演といえる演奏が多くあるはずだ。そのいくつかはYou Tubeで視聴することもできるが、やはり音楽をじっくり堪能するにはCD化が必要である。とくに、1990年以降(陽ちゃん没後!)に指揮された演奏は名演揃いだと思う。権利の問題等で難しいのかも知れませんが、どうか、慶應ワグネルには頑張ってもらいたい!現在衰退気味にある我が国の男声合唱界に"喝"を入れる意味からも、畑中氏が遺された名演の記録をCD化してください。(多田武彦作品はじめ、福永陽一郎氏や北村協一氏が編曲した楽曲も含めて!)


【音楽評論家・エッセイスト】

畑中氏の評論・批評は説得力があるうえに、ご自身の経験や意見が反映しており、示唆に富んでいることもあり、私は熱心な読者であった。「レコード芸術」の声楽部門の評論は毎月楽しみに読んでいたし、全分野に関して最も信頼を置いていた評論家でもあった。とくに、オペラや声楽曲、歌手や合唱団に関する批評は的確であり、厳しくも温かい批評だったと思う。非常に人間味の感じられる文章で、読んでいて心が穏やかになる、そんな評論だった。少なくとも、私にとっては、吉田秀和氏の評論よりは親しみを感じ、影響を受けたと思っている。
 その筆致で描かれるエッセイは痛快であり、他の音楽評論家では絶対に書けない奥深く幅広い内容で面白かった。「繰り返せない旅だから」シリーズは歴史的証言であるし、記録的な意味からも貴重である。遺作となった「荻窪ラプソディー: ブル先生の日々是好日」をじっくり読んでみたいと思う。


【第23回定期演奏会 藤沢男声合唱団−畑中良輔先生に捧ぐ−】

6月30日(土)藤沢市民会館大ホールで開催された定期演奏会は、畑中氏の追悼演奏会となってしまった。第4ステージでは畑中氏が陽ちゃん編曲のマーラーの「さすらう若人の歌」を指揮する予定であった。5月6日の練習が最後になってしまった。「"さすらう老人の歌"にならないように!」と何度も繰り返しさらっていたとのこと。
 陽ちゃん曰く「『さすらう若人の歌』を男声合唱に編曲するアイデアは、かねてから歌曲を合唱用に編曲して大学の合唱団に歌わせ、奥行きの深い芸術に接する機会を増やしたいという意図を抱いていた畑中良輔先生のものであった。」とのことだが、この名編曲は畑中氏や小林研一郎氏の指揮により本場ヨーロッパでも絶賛されているという。畑中氏は本来この1月の慶應ワグネル定演における勇退コンサートで演奏する予定であったが、昨年の大震災への追悼の念からブラームスの「運命の歌」に変更したため、藤沢男声合唱団で採り上げることにしたと仄聞した。私は何としても聴きたくてチケットを購入していたのだが…。
 このコンサートは、畑中氏の高弟である佐藤正浩氏と吉川貴洋氏が指揮をされ、会場全体が最高顧問であった畑中氏を追悼する雰囲気に包まれ、涙を禁じ得なかった。「さすらう若人の歌」の時には、遺影と花束が舞台に飾られ、畑中氏の稽古時の生声(テープ録音)が会場に流れ、吉川氏が追悼のトークをされた後、演奏された。アンコールでも、佐藤氏のトークやアンコールがあり、最後は会場全体で「遥かな友に」を大合唱して終演となった。1週間後の「畑中良輔先生お別れの会」には出席していないので、私にとってはこの藤沢男声合唱団のコンサートで畑中氏への追悼の想いに一区切りをしたことになる。
 藤沢男声合唱団および佐藤正浩氏、吉川貴洋氏のますますのご発展とご活躍を祈念したい!


【藤沢市の音楽活動と陽ちゃんの仲間たち】

畑中氏の逝去で心配されるのは、今後の藤沢市の音楽活動である。大きな柱を失った藤沢市民オペラはどうなるのか?市長も代わった。藤沢市の行政当局は、この藤沢の文化・芸術の顔をどう育成し、発展させていくつもりなのか?福永陽一郎→畑中良輔氏が発展させてきたものをさらに大きく成長させて欲しい。藤沢市民オペラ、藤沢市民交響楽団他、湘南・藤沢エリアの実力派合唱団の数々…。
 陽ちゃんの逝去(1990年2月)後、陽ちゃんが指導してきた各音楽団体は−当然−ピンチに陥ったが、畑中氏を始めとした一流の音楽家たちがピンチヒッターとして代理指揮に登場した。早稲田グリーや同志社グリー、法政アカデミー、藤沢男声合唱団には小林研一郎氏、畑中良輔氏、北村協一氏、関屋晋氏、浅井敬壹氏らが、藤沢市民オペラには畑中良輔氏、北村協一氏、若杉弘氏、栗山昌良氏ら…。皆が陽ちゃんの仕事に敬意を表し、その音楽的レヴェルをダウンさせないよう、さらにレヴェルアップを図るべく、バックアップしてきていた。その中心であり、先頭に立っていたのが畑中良輔氏であったと思う。
 畑中氏から見れば、盟友で後輩であった陽ちゃんを亡くし、その後もご自分よりも若い人−関屋晋氏、北村協一氏、若杉弘氏、三浦洋一氏−たちを次々と亡くし、さらに奥様を亡くされ、寂しい思いをされていたのではないか。しかし、その悲しみや寂寥感の中、彼らが遺した仕事を引継ぎ、追悼コンサートの司会なども務められ、使命感を持って生きて来られたのだと思う。陽ちゃんへの追悼メッセージの数々もそうだが、弟子でもあった若杉弘氏へのお別れの言葉は感動的であった。
 その畑中氏の逝去である。藤沢市での音楽活動と諸団体への尽力と傾注は、陽ちゃんへの友情の証し以外何物でもなかったと思う。藤沢市の音楽活動だけではなく、氏が関わった多くの音楽団体の今後が心配されるが、氏の教えを受けた皆さまが奮闘されることを期待したい!
 とくに、平野忠彦氏に期待大!!


【エトセトラ】


・畑中氏の大功績の1つに、新国立劇場芸術監督がある。その経験や見識、企画力、知識、人脈、影響力等、どれを取っても、適任であったと思う。畑中氏在任中、陽ちゃんが存命で、元気に指揮活動をしていたとしたら、陽ちゃんを指揮者で招聘し、何か面白い企画(演目)をやったのではないか、という気もするし、ひょっとしたら「藤沢市民オペラ引っ越し公演」も実現したのではないか、という空想(妄想?)も膨らむのである。

・誤解を恐れずにいえば、陽ちゃんには敵がいたが、ブルさんには敵がいなかったと思う。良い悪いの問題ではなく、音楽に対して純粋だった結果、各々そういう役割を果たしのだと思う。そういう意味でいえば、真に仲の良い兄弟のような関係であったのかな?

・この文章を書きながら、畑中氏のCD「歌の翼に」を聴いている。畑中氏作曲の「海浜独唱」「花林(まるめろ)」、大中恩の「五つの抒情歌」、信時潔の「沙羅」などが収録されているが、私が愛聴しているのは「オン・ブラ・マイ・フ」「アデライーデ」「クローエに」「歌の翼に」であり、最後の3曲「ひげのお医者さん」「ロング・ロング・アゴー」「老犬トレイ」は涙無くして聴けない。
 畑中氏の独唱の録音も是非再発願いたいものだ!福永陽一郎指揮日本アカデミー合唱団の大中恩「月と良寛」(独唱:畑中良輔)も復活して欲しい!!また、畑中氏も絶賛されていた福永陽一郎指揮小田原男声合唱団による多田武彦の「雨」のレコードのCD化も強く要望したい!!


【最後に】


・私が学生時代から尊敬していた我が国の音楽家として、朝比奈隆、山田一雄、渡邉曉雄、畑中良輔、芥川也寸志、福永陽一郎、若杉弘氏らがいたが、その最後の人が畑中氏であった。痛恨尽きることを知らない…。私にとっては1つの時代が終わったような気がする。

・陽ちゃんが亡くなられた後、22年間余り、未亡人となった暁子夫人のことを気遣い、折に触れて電話をされていた心やさしいブルさんであった。

・藤沢男声合唱団の定期演奏会の1週間前、6月23日に開催された法政大学アカデミー合唱団OB会では、陽ちゃんのお孫さん・小久保大輔氏が2ステージを指揮された。陽ちゃん編曲のミュージカルと古典的名曲「蔵王」だったが、1回りも2回りも成長され、風格さえ感じられた。劇団四季の仕事や各音楽団体との活動を通じ、着実に成長されているようだ。昨年の第60回東西四連の合同ステージを指揮されているし、今後の活躍(とくに、男声合唱)が楽しみであるが、この大輔氏の活躍を畑中氏がどう見ておられたのか、興味は尽きない。

・最後に、陽ちゃんの最大の理解者であった畑中良輔氏のご冥福を心からお祈り申しあげます。
 ブルさんありがとうございました。長い間、お疲れさまでした。
 天国で、陽ちゃんたちと賑やかに音楽をやってください。
 さようなら。

以 上


福永陽一郎Memorial