日本発展の理由について

1997-7-5

息子からどうして日本は他国に比べて発展し、かつ世界の中でも孤立 しているように見えるのか、その原因が聞きたいと問かけがあり、 それに回答したいと思います。

1.欧米と日本の比較
 日本の特徴は、90%以上が中流階級と感じる平等社会であると 考えられる。
この平等社会は、どうしてできたのでしょう。
ここで、欧米社会と日本社会の比較をして、その原因を検討してみたい と思います。

 @米国と日本は、欧州諸国とちがって、貴族制度がありません。
  米国は移民の国家であり、移民する人は、本国では恵まれないか居られ ないかで来るので全員貴族であるはずがないし、また本国では貴族でも米国で は普通の人になるため、建国時は全員平等であったはずある。
  日本は、疑似貴族制度が戦前まであったようですが、戦後その貴族制度も なくなりました。疑似というのは、天皇以外は、貴族社会・制度の確立が 不十分であるためであり、その結果、日本の貴族たちは貴族の称号を名誉職 としか考えていなかったようです。

 A日本と欧州諸国は、米国のような多民族国家でなく、一民族国家である。
  米国はあらゆる民族を移民で受け入れたために、他民族国家化したが、 欧州諸国と日本は、古来からの民族が国を形成しているため、一民族か少数 の民族で国家を構成している。

 貴族とは、複数世代経て国家の運営の中核にいる家族であり、この人たちの 教育機関として、大学までの高等教育を整備してきたのが欧州の現状です。 このため、フランスやドイツでも、大学の学生数は少なく、工学部や 経営学部は中心でなく、法学部・理学部が中心であった.
しかし、現在はすこし変化してきているようです。

 日本も大学制度を戦前欧州の制度で運営していたが、貴族制度が不十分 であり、かつ結果として、戦争での失敗があったと思います。この分析は後で。
 米国の中産階級崩壊が話題となっていますが、この原因は、純粋な 資本主義を取り、全てを市場経済に任した結果です。アメリカの労働者の 賃金は、メキシコの労働者の賃金まで下がるはずです。これは、メキシコから の移民がこの条件になるまで流入するからです。
 なぜ、このようなことが為政者にできるかというと、同一民族でないため 同胞という自国民に対する感覚が欠如しているためで、経済効率だけを唯一の 尺度にできるためです。
 このようなことは、欧州諸国と日本では起こらないと願望しますが、 この頃日本では変な議論をしているので、要注意です。
 結論は、日本は一民族でかつ、貴族制度がないため、誰でも為政者に もなれるし、乞食にもなれる。これは機会の平等がありかつ、 税制体系(累進課税と遺産相続税)で結果の平等も確保している。
これでは、90%以上の国民が平等と感じるはずです。

2.太平洋戦争敗北原因の修正
 太平洋戦争で日本が負け、戦後その原因の修正をしたことが、現在の日本 の強さになっているように思います。
 まず負けた理由を検討しましょう。
 @経済力の差です。これは工業力の差であり、工作機械の精度と製品の 精度の差と言い直すとはっきりします。
 また、経済力がなかったため、軍備優先で民生技術や産業を 育成できなかった。このためもあり、大学の優秀な学生は軍関係や国家中枢部 しか就職しなかったのです。
 A士官と下士官の溝が大きく、意志疎通が充分でなかったことと軍参謀の 現場無視による無謀な計画や作戦が被害を大きくした。
  この原因は、貴族社会を前提とした少数の大学教育と大学卒業者に権力 を集中させた制度に問題があったためです。
  貴族社会では、責任の在処は明確であるが、日本には精神的な貴族制度が ないまま、一部の特権階級を作ったため、その階層の無責任は目にあまる状況で あったのです。

 この2つの問題点が戦前戦中にあったが、この解決を戦後行った。
 1の経済力の差は、QCを戦後導入して、差を克服しようとした。 またQCの考え方を日本流に変化させて、TQCとして定着させ、日本の 得意芸にした。この芸もあって、経済力を非常によくしたのです。
 2の士官と下士官の溝は、戦後少数の大学教育から大衆大学教育 (進学率60%)にして、全員士官候補とし、この問題もなくなっている。 しかし、一部戦前の制度を残した所があり、今も問題になっているのです。 それは、官庁です。行政改革が必要なわけです。

 この大衆大学教育をしているのは、米国と日本で、欧米諸国は、 まだ少数大学教育です。今でもドイツはマイスター制度という職人教育が 中心で、大学教育はエリートのみです。
 戦後の機械産業中心の時代には、ドイツは大きな優位性を発揮したが、 電子産業中心の時代になった時、日本と米国は新しい電子産業に追従できたが、 ドイツはできなかった。
これは、日米大学の多数の工学部卒業生が電子産業を大きく伸ばした のでした。現在、ドイツが元気ないのは、電子産業がよくないためだと 思います。

3.その他の理由
 日本が、他のアジア諸国と違うのは、次のようなことであろう。
  @戦前にも零戦や戦艦大和などの欧米を越えた技術があり、戦後でも すぐに米国を越えることができると確信していた人がいたこと。
   アジア諸国は、欧米に勝った経験がなく、欧米人にアジア人は勝てない と思っていた。

  A日本企業は、長く1つの会社に勤務する前提で、長時間をかけ社員教育し、 かつ職場でお互いに技術を教え合っている。このため、多くの要素や部品の バランスが必要な技術分野や、製造工程の短縮化や高品質化に向いている。
   日本以外のアジア諸国では、少し技術レベルが上がると他企業から 引き抜きがあり、一定レベル以上へ技術が高度化しない。
また、お互いに教え合うという習慣もないため、技術高度化の手段もない。

B日本では個と全体の調和の仕方が違う。和とは、個を殺しても集団の 考え方に合わせることであり、中学3の娘は、友達があるTVドラマ見るから 自分も見ないといけないと言ってTVを見ている。一度、なぜ必要なのか 聞いたら、そのドラマを見ていないと仲間はずれになると言う。
   このようなことで、いじめがあり、知らない内に集団に合わせる訓練が されている。
    これは、個人の発想を抑止し、集団や組織的な発想を促進する。
このため、個人の大胆な発明はできないが、みんなの合意が取れる改善や 改良に力を発揮する。

4.和の伝統
 日本のこの調和の考え方が何時から出てきたかというと、聖徳太子の 17条憲法第1条で規定したのでした。実に和の歴史が1000年以上も 続いているのです。
 なぜ、聖徳太子は、和を第一条に持ってきたのでしょう。
これは、その時代、渡来人(中国、百済、新羅から)80%同志や 土着人20%との大きな溝があり、争いが絶えなかったためです。
その1つが蘇我氏と物部氏の闘いです。このため2つ以上の民族の融和 を聖徳太子は、目指したために、憲法の最初に和を持ってきたのでしょう。
 ほんとうに、和が実現できたのは、平安時代になってからで、この時代には 日本語も形成され、朝鮮や中国からの渡来人というより、日本民族と言える 状態になったと考えられます。
 このような歴史的背景もあり、民族の和を優先する考え方が世界の どの民族とも違い、日本だけの原則として確立しているため、孤立している ように感じるのでしょう。
知識創世の時代になり、日本の優位は、和の考え方とその基盤としての 全員平等主義の思想で、全員が相互に自由に発想し改善した良質な製品が できることによるのです。これが、日本経済の大きな力となっているのです。 この環境を壊す動きは、いい面より、優位性を壊すことになると思うが どうであろうか。

5.日本の将来について
 日本の原則を今後も輸出することが、世界の民族融和に必要であると 思います。
 ユーゴの民族間の闘いは、日本の常識から大きくずれていると感じるはず です。
ここが、日本と世界の他の民族とが違う所と思うし、世界を日本のように できないのかといつも、考えることです。
 日本の心配は、他民族からの妬みだと思う。日本だけが、いつも優位に なってしまうためで、日本がすべてで勝たない体系が必要であろう。
 現在は、米国の一国が勝っているように見えますが、日本の力も 侮りがたいと思います。 また、この頃の部品技術中心の輸出は、そのもう1つの回答であると思います。

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