204−1.「天皇は日本の:元首」か?(2)



    U.国事行為の内容と実際

現行憲法第4条には『天皇は,この憲法の定める国事に関する行為
のみを行い,国政に関する権能を有しない』とある。つまり天皇の
行為は、形式的・儀礼的なものに限られるということである。しかし
たとえ形式的,儀礼的であれ「正統性」や「権威」の観点から,
実際には天皇の行為に「政治的意味」や「政治的影響力」がまったく
見出しえないわけではない。むしろ相当見出しうるといえよう。
そもそも憲法典それ自体が「政治法」といわれ,「政治文書」と
いわれるように 憲法典に規定されている以上 不可避的に天皇は
「政治的存在」とならざるをえない。
さらに現代の政治・社会的要請や国際交流の増大は 天皇の
「国事行為」をいよいよ重要なものたらしめてる。かくして
現行憲法下の天皇の「国事行為」は単なる象徴的行為 形式や儀礼
としてのみ片付けられない側面をもっている。

1.国事行為とその政治的意味
 憲法第6,7条にはつぎのような国事行為が列挙されている。
  憲法改正・法律・政令および条約の公布(憲法第7 条1 項1 号)
  国会の召集( 憲法第7 条2 号)
  衆議院の解散( 憲法第7 条3 号)
  国会議員の総選挙施行の公示( 憲法第7 条4 項)
  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状
  及び大使及び公使の信任状の認証( 憲法第7 条5 号)
  恩赦 特赦 減刑 刑の執行の免除及び復権の認証( 憲法第7 条6 号)
  栄典の授与( 憲法第7 条7 号)
  批准書及び法律の定めるその他の外交文書の認証( 憲法第7 条8 号)
  外国の大使及び公使の接受( 憲法第7 条9 号)
  儀式の挙行( 憲法第7 条10号)
  国会の指名に基く 内閣総理大臣の任命(憲法6 条1 項)
  内閣の指名に基く 最高裁判所の長たる裁判官の任命( 憲法第6 条2 項)
 これらの12の行為は「助言と承認」という形式において事実上内閣
が意思を決定する。したがって天皇が自発的に「国政」に関与する余地
はないとみられる。しかし国語辞典によれば『国事( 英文には matters 
of state とある) 』とは 「国家に関する事柄。一国の政治に関する
事項」となっている。「国事に奔走する」という言い方からもわかる
通り『国政( 英文ではpowers related to government) 』と区別するこ
とは事実上困難である。そこで一般には憲法第6 7条に列挙された
国事行為の諸規定から帰納し,その性質が説かれている。
 内閣総理大臣や最高裁判所長官の任命は君主の最重要の任務のひとつ
であり 特に内閣総理「大臣」の任命は、歴史も示すように 形式的で
あれ相当の政治的重要性を有しているといえよう。なぜなら天皇による
任命は 政権の「正統性の証」でもあるからである。わが国は古来
「立憲君主制(天皇不親政)」を伝統としている。かくて政治権力者
がいかに大きな権力を持っていようと 天皇から「おおおみ( 大臣) 」
またはそれ相応の公的証明を受けなければ 国民から政権担当者たる
認知や支持が充分得られなかった。例えば天皇の権能が最も微弱で
あった幕府時代においてさえ 将軍がその地位に就き 政権を獲得し
 維持するためには 勅旨による征夷大将軍の「宣下( せんげ)」を
受けねばならなかった。系図上天皇と繋がらず幕府を開くことのでき
なかった豊臣秀吉でさえ関白太政「大臣」の地位を必要とした。
 国会に対する国事行為に『国会の召集』『衆議院の解散』および
『国会議員の総選挙施行の公示』がある。天皇によりそれぞれ詔書が
発せられる。その政治的意味の重大性のゆえにしばしば憲法解釈上
問題となりがちである。国会の召集や衆議院解散の規定は明治憲法にも
見出しうる。特に解散は 議員の身分を任期満了前に失わせるこ
とであり 儀式的行為とはいえ現実の生々しい国政に関わる行為である。
 『憲法改正,法律,政令および条約の公布』『国務大臣などの任免
ならびに全権委任状および大使・公使の信任状の認証』『大赦,特赦,
減刑,刑の執行の免除および復権の認証』なども政治的行為でないと
断定しえない。例えば憲法改正 法律 政令および条約の公布は 天皇が
それらの成立を国民に告知することであり 法律等の効力発生の要件と
いうことができる。たとえ形式的であっても明らかに国政に関わる行為で
ある。
 『批准書および法律の定めるその他の外交文書を認証』することも
同様である。批准とは 条約締結権者が条約締結の効力を確定する行為
である。その他の外交文書の認証とは大使 公使の解任状 領事官の
信任状などが正当な手続きによって有効に成立していることを証明する
行為であり 文書に「権威」を与えるものである。その及ぼす政治的効果
は少なくない。
 また大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除および復権の認証。これらは
一般に「恩赦」と呼ばれるもので,伝統的に叙位叙勲とともに君主の
慈愛,栄誉,権威の表象とされ,明治憲法下でも「天皇大権」として
扱われた。皇室または国家の慶弔に際して実施されるところの君主の
特権的任務である。現行憲法下においては内閣の助言と承認が必要と
なったが,認証は内閣決定を「権威化」する伝統的、歴史的意義を有
している。実際,「恩赦法」に基づき伝統や先例が維持,尊重されて
いる。
 『栄典の授与』『外国の大使・公使の接受』『儀式の施行』なども
,それが政治や権威と関わり、単なる栄誉・儀礼的行為として片付け
られない。例えば栄典の授与は「国民の権利義務」に関わる事柄でも
ある。実際,政令によって紫綬褒章,黄綬褒章を追加した時,違憲論
が惹起した。また外国の大使・公使の接受も大使・公使の信任状の
認証と対になっている。正本は天皇に奉呈され,副本は内閣に提出さ
れる。これは天皇が元首として扱われていることを意味し 特に対外
関係において重要な政治的効果,意義を有するといわざるをえない。
 また儀式を行うことが規定されているが この「儀式」とは 天皇が
主体となって行う国家的儀式のみを指し、他の機関の行うものに天皇
が出席するものは含まれないとするのが一般的解釈である。現行憲法
下では毎年の「新年祝賀の儀」「憲法施行記念式典」など 年によって
違いはあるが年間に行われる国事行為やそれに関連する儀式は1千件
を超えるという。また閣議決定によって国事行為にされた特別な儀式
には、最近には「大葬の礼」「即位の礼」「大嘗祭」などがある。
特に大葬の礼や即位の礼では史上最大の「元首外交」が展開された。
さらに現行憲法第3条には『天皇の国事に関するすべての行為には、
内閣の助言と承認を必要とし,内閣が,その責任を負う』とあり,
第73条には『法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,
内閣総理大臣が連署することを必要とする』とある。明治憲法にも
『国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス,凡テ法律勅令其ノ他国
務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』と定められ,天皇は国務に
おける大臣の「輔弼と副署」を必要とした。この明治憲法の「輔弼」
と現行憲法の「助言」は,意味や目的において全く異なるとする学説
もあるが,両者とも英語ではadviceであり,実際の行為においても
大差ない。いずれの内閣も実質的な決定を行ない,一切の責任をと
るという点において相違ない。

2.「公的行為」とその政治的意味
 天皇の行為にも明らかに私的であると思われる行為がある。例えば
避暑、海洋生物採集・研究,私的な小旅行,音楽,またテニス,スキー
など各種スポーツがそれである。しかし国事行為として憲法上明記
されてはいないが,その他の公的性格を有する行為がある。
例えば,外国元首との親書親電交換、外国公式訪問、外国の国家儀式
への参列、国会開会式への出席とおことばの朗読,国民体育大会開会式
,日本学士院賞授賞式,日本芸術院賞授賞式,日本戦没者追悼式,
また植樹祭や日本において開催されるオリンピック大会や万国博覧会等
への出席,おことばの朗読、園遊会や正月の一般参賀、国内巡幸、謁見
、内奏、歌会始,講書始政府およびほとんどの学者は、これらの行為を
「国事行為に準ずるもの」もしくは「公的行為」として認めている。
国民もおおむね容認しているようである。学説の中にはこれらの公的
行為を現行憲法上の国事行為からの逸脱とみるものもある。しかし
その学説とて公的行為一切を憲法違反としていない。しかしゆきすぎた
天皇の政治利用は 史実も示す通り大きな弊害を生みやすい,公的行為
は慎重に扱われねばならない事項でもあろう。
「外国元首との親書親電交換」は,憲法第7条と密接に関連しており
多分に儀礼的なものである。各国の建国記念日や国王・女王の誕生日
などの祝電,または大災害や大事故などの見舞い電報を「元首宛」に
送っている。一方天皇誕生日には社会主義国,民主主義国を問わず
祝電が寄せられている。親書親電交換は元首対元首としての交際として
,天皇の必要不可欠な任務であるといえよう。特に相手国が君主国の
場合は言うまでもない。
 「外国への公式訪問」は極めて政治的意味がある。天皇の「スーパー
・セールスマン」ぶりについては周知のことであるが,天皇の外国訪問
は「百人の大使に匹敵する」といわれる程,政治効果をもっている。
昭和天皇の昭和46年のヨーロッパ訪問,昭和50年のアメリカ訪問は,
友好親善において大きな政治的役割を演じた。もちろん天皇は訪問国
において元首として遇され、元首に対する礼砲数「21発」で歓迎され
た。各国の新聞は天皇を“Emperor of Japan”として報道した。
ちなみに目下中国や韓国訪問がなかなか実現しえないのは 天皇の
外国訪問が政治に密接に関連している何よりの証拠といえよう。
 「外国の国家儀式への参列」は,昭和28年にイギリス王室から
エリザベス女王の戴冠式に招待を受け,当時の皇太子が「天皇の名代」
として出席したのが戦後最初のケースである。これが国事行為の
「儀式を行う」に該当するかどうかをめぐって問題になったが,天皇
が主体となって行う儀式ではないという政府見解により,これは国
事行為とならなかった。しかしもちろん皇太子は単なる私的行為と
してでなく,日本国を事実上「代表」して参列したことに相違ない。
昭和天皇の大葬の礼に際し,163 ヵ国,27国際機関が来日した。
参列者は「元首級」「首相級」「閣僚級」に分けられ,元首級参列者
は史上最高の55人にも達した。
しかし実際には「天皇主催の晩餐会」のように天皇が主体となり海外
の賓客接待が行われるものもある。またその席上読みあげられる
「おことば」は 事実上政府がその原稿をつくるのであるが,極めて
強い政治的影響力をもっている。例えば昭和59年9月,全斗煥韓国
大統領が来日した際,天皇主催のもとに行われた晩餐会席上,天皇の
「おことば」に戦争の謝罪が含まれるかどうかについて,韓国を
はじめ世界各国の耳目が集中したことは,まだ記憶に新しい。
かくて昭和天皇が迎えた外国賓客中,元首,皇族だけでも延べ2百か国
に達した。天皇が国際交流に果たす役割は大きい。

「国会開会式に出席」し,「おことば」を述べることについては,
国事行為の「国会の召集」と密接に関連していることから,違憲説は
あまり出ていない。また「おことば」を違憲とする学説の中にも
「現在の国民の憲法意識に反するよう」であるということで,
「憲法の習律」として例外的に認めようというものもある。
この開会式では天皇ははっきり「君主」として遇されている。その
象徴的な事例が昭和60年にあった。
国会開会式に際し,福永衆議院議長は病気あがりで天皇を無事に
「玉座」にお迎えできないという理由で辞任した。
真相は,背景に与党内の派閥争いがあった。また今日「全国植樹祭や
国体などの各種行事」が頻繁に催され,天皇や皇族が出席されること
が多い。これは,政府や他の公共団体が天皇の臨席によってその行事
に「権威づけ」をはかっているものと思われる。これらは天皇を
「日本国」および「日本国民統合」の体現者として「積極的に」活用
する好例である。これらは天皇の単なる私的行為とはいいがたい。
 毎年,春,秋に開かれる「園遊会」は各省庁からの推薦による各界
功労者約2千名を赤坂御苑に招待,その労をねぎらうものである。
それによって招待者が光栄を浴するわけである。「栄典の授与」と
ともに、功績に対する報奨,また今後への奨励として国家的に重要な
行事であるかもしれない。
「正月の一般参賀」は日本の伝統および文化の体現者であり,
「象徴的君主」だからこそ行いうる行事であり,内閣総理大臣を
はじめ一般国民には到底真似のできない行事である。これらも
「祖国へのアイデンティティー」を醸成する意味において無視しえない
「国政」上の行事でなかろうか。
 特筆すべきは「天皇の国内巡幸」である。このもつ政治的意味は
大きい。例えば伊豆大島大噴火後昭和62年6 月,昭和天皇自らの希望
により行われた行幸は,事実上の噴火終息宣言,安全宣言の心理的
効果を国民にもたらし,被災地住民の歓迎を受けたようである。
平成3年春の雲仙普賢岳の噴火でも天皇はいち早く現地を見舞われた。
関係大臣は遅れをとり被災民をはじめ国民の叱責を浴びた。
「謁見」は外国貴顕などが元首または君主としての天皇と面会すること
であり,外国貴人は意外にもこれを切望するという。したがって
その政治的効果には無視しえないものがある。
 「内奏」は,天皇の国事行為の助言と承認を行う内閣の閣僚が,
国事行為について天皇に口頭で説明することである。天皇が認証や栄典
の授与などの国事行為を行うにあたり,叙勲者について閣僚が説明する
ことも一例である。また閣僚が国事行為に関連して参内した際,
所管事項一般について天皇に説明することもある。その他「拝謁」と
称して例えば海外出張の前後に首相や閣僚が、国会終了後には衆参両議院
議長が,選挙終了後には自治大臣が、年末には都知事や警視総監が,
年始には自衛隊関係者が,重大事件が起こった場合には所轄大臣が,
天皇に報告を行なっている。
 新年行事の「歌会始」は,平安時代から宮中に続く,国民ともっと
も結びつきのある行事である。その年のお題は前年の歌会始当日に
発表され,詠進歌は一般の応募作の中から決められる。
「講書始」は,学術奨励のために行われ,毎年一月上旬,天皇皇后両
陛下をはじめ各皇族方が人文,社会,自然科学などの専門分野の学者,
研究者のご進講をお聴きになる。

3.天皇の公務量
 国事行為とその関連儀式が年間1千件を越えることは先に述べた通り
であるが この他に催される儀式,行事,ご会食,茶会,拝謁なども
年間約2百回に及ぶという。
これらの行為は今日の政治・社会的事情や外交的必要上不可避的に
生じ,増加しつつある。ちなみに昭和61年を例( 国事行為と公的行為)
 にとると 決済書1253件,国賓5 件 公賓3 件,外国王室の歓迎4 件 
非公式に来日した首相・外相との会見9 件 大使の捧呈式28件 離任大使
のお別れ20件 在日大使との昼食8 件 進講49回 内閣の親任式1 回 
お出かけも国会開会式2 回 春と秋の園遊会 植樹祭 秋季国体 戦没者
追悼式・・・・と天皇の公務は今日,相当激務であるといえよう。
また天皇が『日本国の象徴』であることは 天皇が「日本国の歴史 
伝統,文化を体現する者」であることを意味する。例えば大葬の礼
・即位の礼・大嘗祭の一連の儀式において明らかなように 天皇と神道
との関連は緊密であり 皇室には「神事を先にし 他事を後にす」
( 禁秘御抄) という祭事尊重の伝統がある。
つまり祭主たることが天皇の第一義とされ,これは今も変わってい
ない。制憲国会の代表演説において共産党の野坂参三議長が「天皇は
 国民の間に半宗教・・・半分宗教的な役割を演じてきた」と述べた
ことがあったが このことばはあながち外れていない。かくて皇室祭事
は宮中三殿( 天祖天照大神を奉祀し神鏡を神体とする賢所・神武天皇
以来の歴代天皇 追尊天皇 歴代皇后 皇妃 皇親を祀る皇霊殿・天神地祇
八百万神を祭神とする神殿) のすべてもしくはそのいずれかにおいて
行われ 祭事は歴代天皇の式年祭などを含めると年間50数回に及ぶと
いう。もっとも現行憲法に政教分離原則が定められて( 憲法第20,
89 条) 以来 皇室祭事は建前上天皇の私事とされている。

久保憲一

コラム目次に戻る
トップページに戻る