1817.島国根性について



「島国根性を捨ててはいけない」布施克彦著Y新書
「島国根性を捨ててはいけない」布施克彦著Y新書の紹介と考察。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896918649/kokusaisenrya-22
                   Fより

日本は超一流先進国家である。1人当たりのGDPが日本より多い
のは、ルクセンブルクとスイスだけである。外貨準備高は世界一。
日刊新聞の人口当たりの発行部数で日本を上回るのは、ノルウェー
、リヒテンショタインのみ。特許国際出願件数では米国についで2
位。識字率100%。日本は平和であり、安全である。日本が分裂
することもない。

米国は途方もないスケールの大地に多様な民族が共生し、懐の広い
社会システムが機能している国。中国は巨大な人口を持つ国家であ
る。この2国に日本人はあこがれるが、そんなにいいのであろうか?

日本人を特徴付けているのが、島国根性であろう。そして、日本人
の大きな問題点は、島国民族に備わった積極面と、それに付随する
恐ろしさを意識していないことだ。身のほどを意識していない。

農耕民的島国根性は、偏狭、狭量、閉鎖的といった意味を持つが、
反面、緻密、正確、協調といった日本民族が誇るプラスの諸特性を
も兼備している。もう1つ、外国の文物を取り入れる海洋民的島国
根性がある。この海洋民社会は日本では脇役になっている。
しかし、日本は、この2つの島国根性で出来ている。

スリランカ対インド
スリランカはスマイルの国で、極貧層が少ない。1人当たり国民所
得はインド460ドルに対してスリランカは880ドル、識字率で
はインド57.2%、スリランカ91.6%。インド人平均寿命は
62歳で、スリランカは男70歳、女76歳。インドには財閥と桁
外れの大金持ちがあるが、スリランカには目立った財閥もないが、
万事均一的で、平均値でインドを仰臥している。

大陸国と島国の違いはなにか??
大陸国は陸地の国境を持つことであり、比較的多民族がいるし、
その民族が移動する。ここに、大陸国の国家運営の悩みがある。
島国は民族構成はシンプルであり、かつ固定的である。多くの民族
が混在することもない。移動もできない。

このため、島国には求心力が働く。フィジーはフィジー系とインド
系で紛争が起きているが、決定的な分裂には至らないであろう。
島国は運命共同体で、仲良くするしかない。

それに反して、大陸国には遠心力が働く。大陸国の複雑さは一国で
問題が片付かない。タジク人はタジキスタン以外にアフガニスタン
、ウズベキスタンにも住んでいる。逆にタジキスタンにはウズベク
人、ロシア人もいる。このため、タジクスタン国民は国家と運命共
同体との意識が希薄である。生活環境が悪化すれば、逃げることが
できる。

このため、大陸国の為政者に求められるのが、民族、宗教を超越し
た愛国心の発揚である。その基礎に、国民を貫く国家理念の確立が
ある。大陸国には観念論が不可欠である。

島国は現実的思考能力。運命共同体である島国の進路はおのずと限
られている。国民のコンセンサスは得やすい。国家理念などいらな
い。大天才は大陸国に生まれるが島国には生まれない。島国に住む
普通の人々は現実主義者であり、しっかりと地に足をつけて物事を
考える。協調精神を持ち、勤勉で、みんなで叡智を生み出す潜在能
力を持っている。

このように大陸国より、島国の方がすばらしい。島国根性によって
、大陸国より一致団結して、豊かな暮らしをしている。その島国根
性を悪いこととせずに、日本としての島国根性を鍛えていこうでは
ないですか??
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「島国根性」は日本の宿命か?
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/simaguni.htm

 今日の日本では、在日の問題も含めて韓国・朝鮮に関する出版物
はおびただしい数にのぼる。しかし、そうなったのは比較的最近の
ことで、20年ぐらい前まではきわめて少なかった。そんなころに、
朝鮮問題について書かれた本を見つけて買おうとしたところ、その
腰巻(宣伝用の帯)に書かれた文字を見て、買う気を失った。「日
本人の血の中に潜む差別意識」とあったからである。腰巻なのだか
ら著者自身が書いたのではなく、出版社が売らんかなという意図を
込めて書いた可能性が高いが、「血の中に潜む」のなら、読んでも
仕方がないではないかと思ったものである。このような自嘲的な表
現が多くの日本人の共感を得ることなどありえない。
明治以来、日本人は西欧に対して自嘲的な自己評価をすることが多
かった。この腰巻の文字はその延長線上にあるもののように私には
思えたのである。そして、西欧に対する自嘲的な意識こそ、日本人
の非西欧系の異民族に対する差別意識の源泉であるようにも思う。
また、このような自嘲的な意識を持ちつづけたのでは、他の非西欧
系の人々の誇りを理解することもできない。

 
 日本は島国である。そのことから、日本人の排外意識は島国根性
と呼ばれて日本人の宿命であるかのように言われることが多い。
しかし、私は「島国根性」は明治以後に形成されたものであり、決
して日本の宿命だとは考えていない。さらに、今日いうような意味
での「日本人」という名での帰属意識の形成も明治以後のものであ
り、それ以前は、日本列島に住む人の帰属意識の対象はずっと小さ
く、一般の農民においては村レベルのものであったと思われる。
帰属意識の対象が小さければ、「よそもの」がこの列島の中の人で
あろうと外の人であろうとあまり大差はなかったのではあるまいか?
「よそもの」は初めこそ警戒されるものの、やがては受け入れられる。

 秋田の農村を地元の人の案内で歩いていたとき、家の一軒一軒に
屋号といってあだ名がついていることを知った。「ねんかんのえ(
怠け者の家)」と呼ばれる家があった。何代か前の主が怠け者だっ
たからだそうで、子孫は災難だと思った。「なごや」という家もあ
った。やはり何代か前の主が名古屋から来たのだという。近代以前
の日本では人々は一定の土地にしがみついていたように思われやす
いが、広い範囲での移動も決して珍しくはなかったようである。
鎖国政策がなければ、「よそもの」が日本列島外の人であったとし
ても、当時の人はあまり頓着せずに受け入れたのではないだろうか?

 日本民族は、大陸や太平洋の島々のあちこちから移住した人々の
子孫が混ざり合って成立したものと考えられている。その融合がス
ムースに進んだのも、むしろ島国だったからではないだろうか? 
大陸では諸民族はそれぞれ分布の中心を持ちながら移動し接触する。
そのために融合はむしろ起こりにくい。しかし、移動する先の限ら
れた島国にいったん入ってくると、融合につとめるほか、ともに生
きる道はない。日本民族の形成は、さまざまな文化伝統を持った人々
がその伝統をやりとりする中で形成されたのではあるまいか? 
そうだとするならば、互いの伝統を排除することなく、受け入れあ
う寛容さこそ、島国の伝統だったのだと思う。だからこそ、この列
島には明治までは豊かな地方差も存続していた。これに対して、
今日いう排他的な「島国根性」とは、この豊かな地方差を破壊する
近代国家の意志とともに形成されたものだと思う。

 鹿児島県の東市来町に「美山」という集落がある。かつては「苗
代川(なえしろがわ)」と呼ばれ、秀吉の朝鮮侵略のときに島津氏
によって拉致された朝鮮の陶工たちが作った村である。陶工たちは
島津藩から武士に相当する扱いを受けながら先祖の技能を代々伝え
、「薩摩焼」を焼きつづけた。興味深いことは彼らが江戸時代300年
余りにもわたって「金」とか「朴」といった先祖の姓を保ちつづけ
たことである。この伝統を崩したのが、明治新政府による朝鮮の植
民地化であり、今日ではこの村に朝鮮姓は残っていない。薩摩焼の
名門である沈寿官家も戸籍上は「大迫」姓だという。この改姓に周
囲からの有形無形の圧力が働いたことはもちろんだが、誇りにして
きた先祖の地が植民地になったことによる村民の内面の変化も見逃
すことはできない。江戸時代の苗代川の村民にとって、朝鮮人の末
裔であることを誇りとすることと、薩摩藩の一員であることとは決
して矛盾するものではなかった。明治も初めのころに起こった西南
の役では、西郷軍の中に苗代川出身の朝鮮姓の兵士がかなり含まれ
ていた。もともと学問の盛んな村だったので、明治以降の苗代側の
村民からは軍や警察関係、教育界に進む人が多かった。第二次大戦
敗戦時の外相東郷茂徳もその一人で、少年時代まで朴という姓であ
った。

 戦後、在日韓国・朝鮮人が帰化しようとするとき、もとの姓名の
ままでの帰化は長い間不可能で、「日本風」の姓名にすることが絶
対の条件とされてきた。今日ではかなり緩和されてはいるが、やは
り有利には働かない。韓国・朝鮮人の多くが今も帰化しようとしな
いのは、名前ばかりが原因ではないが、一因になっていることは確
かである。日本人の中にも、韓国・朝鮮人あるいは中国人と同じよ
うな音読みする漢字一字姓は決して珍しくはない。江戸時代までは
二字姓を大陸風に音読みの一字に改める例さえかなりあったのであ
る。「日本風」の姓名を狭くとらえ、それを強要する姿勢は、明治
以後の悪しき意味での「島国根性」の反映であり、「島国根性」が
国家的につくられたものであって、日本文化の伝統にも反している
ことを物語っている。

 なお、韓国の慶尚南道には、秀吉の侵略のとき、この戦争に疑問
を感じて朝鮮側に投降した日本の武将とその部下たちの子孫がつく
る村として有名な友鹿洞(旧称慕夏堂)があり、司馬遼太郎の「街
道をゆく」シリーズにその訪問記がある。
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島国根性 
http://members.at.infoseek.co.jp/Trina/murmuring/insularism.htm

ある日、エゲレス人ひとり(男)と日本人ふたり(女:わし含む)
でしゃべっていた時のこと。
ユーロトンネルがもうすぐ開通するって頃の話である。

日本人女    「ユーロトンネルもうすぐ開通するね」
エゲレス人男 「・……。そうだな。」
わし      「うれしくなさそうやね。」
エゲレス人男 「・……。 そうだな。 別にうれしくはないな。」
       (というより、「いやっ」って顔) 
日本人女    「なぜぇ? フランスとつながって便利になるじゃ
        ない!」

エゲレス人男 「………………。日本も島国だろ。日本と一番近い
        外国はどこだ?」
わし      「韓国・・・かな。」
エゲレス人男 「正直にゆえ。じゃぁ、韓国と日本が地下トンネル
        でつながったら、おまえらうれしいか?」
日本人女    「……。 あんまり・・別に…・うれしく・・・
        ない。・・・」
わし      「・…………。」 (うれしくない顔)

エゲレス人男 「ほれ見ろぉ!!! いっしょだよ、それと。」

納得。
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日本文化の伝承を考える=島国根性
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040228-62colonia.html

 一九七〇年代の初めブラジルに着いたばかりの私は、モジアーナ
線のサン・シモンで焼き物を始めるべく町外れにある古い一軒家を
借た。そして裏庭に小さな薪窯を築いて、ブラジルでの焼き物の製作
を始めた。

 その当時、二、三日に一回、徒歩で十分くらいの所にある町の中
心まで干し肉や野菜を買いに行くのが常であった。この買い物に行
く道筋に、ブラジルの奥地の町でごく普通に見かけるベランダのつ
いた家があり、買い物に行く度に、家の前にあるそのベランダに
いつも年金生活らしき老人が椅子に座っている光景に出くわすのだ
った。老人は、そこから見える風景を眺めているのか、あるいは、
まれに見かける道を歩く人を眺めているのか、いつも椅子にじっと
座っていた。この風景は、余り四季の区別の無い、夏はかなり暑い
サン・パウロ州奥地の田舎にピッタリはまっていて、島国の日本に
育った私にとって大陸を感じさせるものだった。

 日本はユーラシア大陸の端に位置する、主な四つの島から成る国
で、文化が流れてたどり着き、留まるところであった。
 狭い国でこせこせしているとか、果ては、島国のなかの共同体で
肩をすり寄せ、甘えあい、傷を舐めあっているとか、日本人の特徴を
とらえて自嘲的に島国根性という。 
 ヒダの中まで分け入った心情的な繋がりによって、小集団内の
まとまりを強め、ソトに対する閉鎖性を強める。日本的集団は外に
開かれた集団とはなりにくい。

 かゆいところに手が届くサービス、繊細な神経、技術主義、美術
においては細部にまで神経の行き届いた作品、茶室のような空間を
創造する感覚。これらも島国根性と呼ばれる特徴に起因する。
 集団内の人間関係においては、相手の懐の中まで入っていく親密
さが許容される。そこでは理屈では計り知れない情緒的な関係が存
在する。相手の気持ちや希望を先取りすることが普通に行われる。
そして、「以心伝心」「腹を割って話す」「言外の言」が可能とな
る。日本語では肉体に関する語彙が乏しいのに対して、心理内容を
表す感情関係の語彙が非常に豊富である。

 外国人が日本人の人間関係、人付き合いを見て、どうしてあのよ
うに個人が無防備でいられるのか不思議に思うそうだ。
 文化に良い悪いがある訳ではない。どの文化にも時により長所と
して現れるところ、短所として現れるところもあるが全体として調
和がとれている。現在は、キリスト教文化圏より興った文明が世界
を覆いつつある。日本は少数派というより日本のような文化規範を
持つのは日本だけである。世界の大勢が日本とは異なる文化になっ
ている。

 日本の文化は誇りを持つに値する文化である。ブラジルの文化も
そうであろう。
 日本の人間関係のあり方が世界に通用しないのは力関係によるの
であって、日本文化を自嘲的に島国根性などと言う必要もなければ
、日本文化が優れていると自慢することもない。
(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)


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