1729.山岡コラム



中国の海洋戦略―川村研究所代表/元海将補・川村純彦氏に聞く  

85年から外洋海軍目指すヒトラーと同じ拡大理論

 中国が東シナ海の日中中間線付近で天然ガス田の開発を始めたり、日本の排他的経済水
 域(EEZ)内で違法調査を行うなど、日本の海洋権益が脅かされている。そこで、沖
 縄の海上自衛隊第五航空群司令として東シナ海の警戒・監視に当たった経歴を持つ川村
 純彦・川村研究所代表(元海将補)に、中国の海洋戦略や今後の台湾海峡情勢などにつ
 いて聞いた。(聞き手=政治部・早川俊行)世界日報 掲載許可済み

 ――中国の積極的な海洋進出は、どのような戦略に基づいているのか。

 現在、改革・開放政策を推し進める中国は、もともと大陸国家であり、毛沢東時代まで
 は「人民戦争戦略」を採っていた。これは、中国の広大な国土に敵を誘い込み、ゲリラ
 戦で殲滅(せんめつ)するという戦略で、つまりベトナム戦争のような形態を想定して
 いた。

 しかし、八〇年代になると、自国に甚大な被害をもたらす人民戦争戦略では、世界の趨
 勢(すうせい)に対応できないと判断するようになった。そこで、当時の最高実力者・
 ”小平は、国土の外側で敵を迎え撃つという「積極防衛戦略」を打ち出した。

 ”小平の戦略の範囲を海洋に広げたのが、海軍司令員(総司令官)・劉華清だった。彼
 は八〇年代半ばに「近海積極防衛戦略」を提唱し、海軍の防衛範囲を外側に広げていく
 努力を開始した。日本周辺海域で活発化する中国艦船の活動は、こうした戦略の一環と
 見ることができる。

 ――中国海軍は「外洋海軍」を目指しているといわれるが。

 八五年の中央軍事委員会の決議で、領土主権とともに海洋権益の擁護が初めて公式に承
 認された。この決議が、それまで陸軍の作戦支援を主任務としていた海軍を沿岸海軍か
 ら外洋海軍へと進ませる根拠になった。

 戦略の変化により、各軍の重要度にも変動が生じ、最下位だった海軍の地位が最上位の
 陸軍と逆転した。海軍においては、ロシアからソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦、キロ
 級潜水艦、スホイ27戦闘機を輸入し、近代化が進められている。

 ――中国海軍は具体的にどのような目標を持っているのか。

 作戦海域を近海と外洋の二つに分けている。近海の範囲は、日本から台湾、フィリピン、
 マラッカ海峡までで、これを「第一列島線」と位置付けている。外洋の範囲は、小笠原
 諸島、マリアナ諸島などを含む「第二列島線」だ。

 中国海軍は、二〇〇〇年までに近海防衛の艦隊を建設し、二〇二〇年までに外洋での行
 動能力を確保することを目標にしている。

 ――中国の行動には、国連海洋法条約など国際法を無視したものも目立つ。

 改革・開放政策の結果、中国は閉鎖的な大陸国家から海洋に依存する通商国家へと変化
 した。そのため、沿海部の経済都市の防衛や海洋資源の獲得が必要となり、海空軍力を
 背景に国防圏を自国からできるだけ遠い海空域にまで拡大することを狙うようになった。
 この戦略を裏付ける理論が、「戦略国境」という概念である。これは、そのときの国力
 や国際環境によって国境は変わるという考え方だ。

 ヒトラーはかつて、「国家が生存発展に必要な資源を支配下に収めることは、成長する
 国家の正当な権利である」として、近隣諸国の併合を正当化したが、これと全く同じ論
 理だといえる。中国はこの戦略国境を拡大するために、外洋で行動できる海軍力の整備
 を進めている。

 ――中国が東シナ海で建設を進めている天然ガス採掘施設は日中中間線の中国側だが、
 戦略国境の理論だと、いずれ日本側海域でも資源開発を始めるのでは。

 戦略国境の考え方からいえば、それは当然のことだ。現在、中間線から中国側四、五`
 のところで開発を行っているが、中国は中間線を全く認めていない。中国の大陸棚は沖
 縄のすぐそばの沖縄トラフ(海溝)まで続き、そこまでが中国のEEZだと主張してい
 る。

 中国がまだ日本側海域で開発を行わないのは、現在、中国にそれができるだけの海軍力
 がないことと、日本の海上自衛隊の防衛力が抑止しているからだと見ていい。

尖閣諸島上陸のシナリオも日本に求められる「覚悟」

 ――中国は、東南アジア諸国とも海洋権益をめぐって摩擦を起こしているが。

 南シナ海は中国の実効支配下に置かれたといっていい。南沙、西沙諸島の領有権をめぐ
 り、中国、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、フィリピン、台湾が争っていた。中国は
 島の領有権は二国間問題と主張し、他の国に介入させないようにした上で、一つ一つ手
 に入れた。ベトナムに対しては、海軍を派遣して力ずくで奪ったこともある。

 中国が南沙諸島で占拠した島礁は十二あり、そのうち六カ所で施設を造って守備兵を置
 いている。フィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にあるミスチーフ環礁も、中国か
 ら一千カイリ以上離れていたが、コンクリート製の巨大な建物を造ってしまった。これ
 は米軍がフィリピンから撤退してすぐのことだ。

 取り返そうとしても、中国のミサイルによる報復が待っているため、そういう行動は結
 局は抑止されてしまう。その意味で、南シナ海は中国の池になったと言っていい。

 ――尖閣諸島でも同じような事態が起きる恐れがあるのでは。

 中国軍がある日突然、尖閣諸島に上陸するというシナリオは十分考えられる。そこで中
 国は自国の領土を回復したと宣言するだろう。そういう事態になった場合、たとえ後日、
 自衛隊が奪回に成功したとしても、中国がいったん、領土宣言をした島を力で取り戻す
 わけだから、当然、報復が考えられる。

 果たして日本にその覚悟ができているのかどうか。そこまではっきりした意思を固めて
 おかない限り、能力があっても守れない。意思がないと見透かされたら、すぐに上陸さ
 れてしまうだろう。

 ――中国はタイミングを見ているのか。

 そういうことだ。ただ、今の中国には、上陸してくるだけの実力がない。そういう意味
 では、自衛隊が中国の行動をしっかり抑止していると言える。

 しかし、中国は着実に軍事力を増強している。ロシアの戦闘機スホイ27とスホイ30の配
 備を進めているが、これはF15に近いレベルの戦闘機だ。東シナ海の制空権が簡単には
 維持できない状況になる可能性がある。

 ――海上自衛隊と比べると、現在の中国海軍の能力はどの程度か。

 現在、海上自衛隊が圧倒的に優勢だ。海自は哨戒機P3Cを九十機保有しているが、そ
 れだけでもすごい戦力だ。六十隻以上ある中国の潜水艦はほとんどが旧式であり、P3
 Cが捜し出して沈めてしまうまでそれほど時間はかからないだろう。

 中国がロシアから購入したキロ級潜水艦は比較的音が静かで、一定の脅威になることが
 予想される。ただし、通常型潜水艦であるため、充電のため必ず海面に頭を出さなけれ
 ばならない。レーダーに探知されやすく、行動範囲も限られる。原子力潜水艦も時代遅
 れの代物であり、潜水艦対策は十分立てられる。

 水上艦艇に対しても、P3Cが積んでいるハープーン対艦ミサイルの射程距離は約百十
 `もある。中国艦艇の現有対空ミサイルの射程は三十`以下だ。P3Cは完全に相手の
 ミサイルが届かないところから攻撃できる。

 ただ、怖いのは戦略ミサイルだ。日本に届く性能のものを数十発持っている。また、中
 国は明確な長期目標を持って、毎年二ケタの伸び率で軍事費を増やしている。今は抑止
 できているが、注意して見ておく必要がある。

2006年に台湾海峡情勢悪化も避けられない米中の衝突

 ――二〇〇八年の北京五輪後に、台湾海峡情勢が不安定化するとの見方があるが。

 その前に悪化することも考えられる。具体的なタイミングとして二〇〇六年という説も
 ある。

 中国が台湾統一をあきらめることはないだろう。統一できるかできないかは、地域大国
 としての鼎(かなえ)の軽重が問われるからだ。台湾海峡の緊張は今後ますます高まる
 ことは間違いない。

 ――現時点で、中国に台湾を武力侵攻できる能力はあるのか。

 仮に台湾上陸が成功したとしても、毎日継続して、膨大な量の武器、弾薬、食糧を運ぶ
 ことは不可能だろう。つまり、第一波の上陸が成功しても、補給が続かないということ
 だ。その意味では、今のところ、中国が台湾を武力で統一できるとは思えない。

 ただ、怖いのは中国の軍人や軍事専門家が、米国は介入しないので、武力で統一できる
 と勘違いすることだ。中国は情報が遮断された社会であり、外から客観的な情報はほと
 んど入ってこない。自分たちはできると過信する恐れがある。

 ――中国は台湾に向かって約五百発のミサイルを配備しているといわれるが。

 台湾を統一する上で、五百発のミサイルなど、脅迫以外にほとんど意味がない。例えば、
 NATO(北大西洋条約機構)軍は七十八日間にわたってユーゴスラビア・コソボ自治
 州に二万三千発の爆弾と三百十発のミサイルで攻撃を行ったが、それでもコソボは「参
 った」と言わなかった。いくら空から爆弾やミサイルを落としても、抵抗する意思のあ
 る国民に対してはあまり効果がない。

 ただ、心理的に台湾の人々を脅かすことはできるであろう。中国はそれを狙っている。

 ――三月の台湾総統選では、独立派の陳水扁総統が再選された。

 独立派が二回続けて勝ったので、中国との統一派がカムバックする芽はなくなったと見
 ていい。これまで日和見を決めていた官僚や軍人らも、台湾独立を支持する姿勢を示し
 始めている。この動きは加速する見通しであり、中国にとって統一はますます難しい状
 況になるだろう。

 ――米国は中国をどう見ているのか。

 現時点では対テロ戦争のために、中国とあえていい関係を保っている。しかし、米国の
 長期的戦略からいうと、中国とは衝突コースにある。このままでは米中両国がぶつかる
 ことは避けられないだろう。

 ――中国が空母を保有する見通しは。

 中国が米国のように航空機を連続して発射させられる能力を持つ航空母艦を造ることは
 ほぼ不可能だ。問題は甲板上から航空機を飛び立たせるためのカタパルトで、米国製品
 を嫌うフランスでさえ米国から輸入せざるを得なかった。まして中国がそれを手に入れ
 ることは絶対にできない。

 空母を造ったとしても、一隻では役に立たない。それを守る護衛兵力が必要となり、莫
 大な費用がかかる。また、故障などを考えると、常に一隻を運用するためには最低三隻
 が必要になる。

 中国の空母は、周辺諸国にとって心理的には大きな圧力になるであろうが、軍事的には
 全く意味がないばかりか、中国にとって経済的負担も重くなるであろう。

 ――台湾海峡の安定のために、日本が果たす役割は大きいのでは。

 結局大事なのは日米安保条約だ。これがしっかりしていれば、台湾海峡の衝突を抑えら
 れるだけでなく、今後、五十年間はアジアの安定は保たれると私は見ている。

 そのためにやらなければならないことは多い。自衛隊の行動を制約する集団的自衛権行
 使の問題と海外派遣の問題を解決する必要がある。

 武器輸出三原則の見直しも行わなければならない。少なくともこの三つを解決すれば、
 日米安保は当分安泰だといえる。

 かわむら・すみひこ 昭和11年、鹿児島県生まれ。防衛大卒。同35年、海上自衛隊入隊。
 対潜哨戒機パイロット、在米日本大使館防衛駐在官、第5航空群司令、第4航空群司令、
 統幕学校副校長などを歴任し、平成3年退官。現在、川村純彦研究所代表、岡崎研究所
 副理事長などを務める。

(聞き手=政治部・早川俊行)世界日報 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:マッカーサー元帥いま健在なら  

大喝一声して集団的自衛権全面的行使へ
韓国動乱から米中対決を舞台に
 ウエストポイント陸軍士官学校を平均九八・六点という飛び抜けた好成績で卒業し、六
 十年に及ぶ長い軍籍にあったダグラス・マッカーサー元帥は、太平洋戦争の終戦ととも
 に占領軍総司令官として来日、そのトップとしての権勢を恣(ほしいまま)にした。

 今、筆者の脳裏に真っ先に浮かぶ感慨は、その対日占領政策は半世紀余を経た今まさに
 花開いた、というものである。

 「日本国民の精神年齢は十二歳にすぎない」と、当時のマ元帥がごう然と言い放って以
 来、日本はいまだにその「域」から一歩も出ていないように思える。当時の占領政策の
 日本国民に対するコントロールがいかに巧妙かつ強烈なものであったかを思い知るので
 ある。

 さらに重要なことは、当時、日本に占領軍として駐留していた米軍がすべて朝鮮半島に
 緊急出動しなければならなくなったため、GHQはその後の日本国内の治安維持に対処
 するための準軍事的組織を創設することを企図した。七万五千人の警察予備隊(現自衛
 隊の前身)だ。これは日本政府はもちろんのこと、ワシントンの諒解もとりつけないま
 まのマ元帥の独断であった。

 しかし、マ元帥はその後、米陸軍省からの日本再軍備の提案に対してこれをきっぱりと
 拒絶している。そのいくつかの理由の中で、「日本を再軍備しても五等国並みの軍事力
 にしかならない」と断言していた。

 そのマ元帥が朝鮮戦争という予想もしていなかった緊急事態に直面して、なぜ、自らの
 起草した日本国憲法「第九条」に背反してまで、この五等国並みの日本の“軍隊”を使
 用しなければならなかったのか。

 マ元帥は「日本は東洋のスイスたれ」と言い、朝鮮戦争の勃発した後も、訪日したダレ
 ス国務長官に「再軍備」の反対を唱えた。また、「攻撃兵器も持たず、海外派兵もでき
 ない“武装集団”などは軍隊とはいい難い」などと言及している。

 これらのことによって、マ元帥はその時点ですでに日本の将来を見越していたのではな
 いか、という説があり、彼は日本を非武装化し、永遠に無力化してしまう占領政策の<
 究極の狙い>にも合致するというのである。

 私見だが、当時、マ元帥が米国防総省の見解と異なり、日本との「早期講和」の実現に
 執着したのは、対日占領政策の「立役者」であったことへの誇示、さらには次の米大統
 領選に出馬することへの悲願からだと解釈している。

 さて、ここで次のような設問を試みたい。「マッカーサー元帥が現存しているとすれば、
 今の日米関係をどう見るか」ということだ。

 朝鮮戦争の勃発当時、日本を五等国とみていたマ元帥だが、この戦争で日本が果たした
 その兵站、補給面における「戦略的基地機能」は“戦略列島日本”の評価をいやが上に
 も高めた。

 だが、一方でマ元帥の本音の部分では、将来、この日本をアジアにおける米国の「同盟
 軍」として活用できないか――朝鮮戦争は、現実にもそれからの東アジアの力学的構造
 にも変化を与えることになった――と真剣に考えるようになった。

 その延長線上でみれば、“現在”のマ元帥の重大関心事は何だろうか。それは、米国防
 総省の想定する来る二〇一五年から二〇年の間に米中間の確執が頂点に達するという分
 析結果であろう。

 それまで同盟としての機能を果たし得なかった一例としての「集団的自衛権」の行使も、
 マ元帥の“大喝一声”で全面的に行使可能となるなど、細部にわたる軍事的法概念が根
 本から修正されることになるだろう。

 とくに「米中戦争」における台湾海峡での第一線には、米軍と共同作戦に投ずる日本国
 軍の兵力は陸海空、後方部隊合わせ約二十万が想定される。一九五〇年六月の「マッカ
 ーサー覚書」を前提にすれば、日本列島そのものを戦略的アジア防衛のための潜在的基
 地―日本本土駐留方式の拡大版とし、米軍部隊の駐留規模は無制限となろう。

 ペンタゴンにおける筆者の長い分析からして、マッカーサー元帥を回顧する時、今こそ
 この日本がこのような人物を必要としていることを痛感してならない。

 (三根生久大、外交・軍事評論家)世界日報 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:プーチン大統領、2期目スタートから100日  

政権発足以来初めて支持率5割を切る
チェチェン情勢悪化、恩典廃止法可決など影響/裏切られつつある国民の期待
 プーチン大統領の任期二期目がスタートしてから十五日で百日が過ぎた。議会では大統
 領支持の政権与党「統一ロシア」が単独で憲法改正も可能な絶対多数を握り、プーチン
 大統領は“皇帝”と称されるほどの強大な権力を手にした。が、その一方で、泥沼化す
 るチェチェン紛争への国民の不安や、年金生活者らの生活を支えてきた恩典制度の廃止
 法案可決などで大統領支持率は政権発足以来初めて五割を切り、49%まで急落した。
 (モスクワ・大川佳宏)

 プーチン大統領の任期百日目を祝う公式行事は行われず、マスコミ報道でもわずかに触
 れられただけだった。一方でモスクワの政治学者や評論家などはこの日、政権百日間の
 分析、そして今後の展望について競うように論評を繰り広げた。というのも、一般的に
 任期二期目に入った大統領や首相などは、その最初の百日間の行動で、残り全任期の政
 治的方向性を示すものだからだ。

 この百日間を振り返り、象徴的な事件は三つあった。一つ目はチェチェン共和国のカデ
 ィロフ前大統領の暗殺と、プーチン政権による対チェチェン独立派強硬策の継続、二つ
 目は、年金生活者や身体障害者らに対する医薬品や都市交通、保養所などの無料制度
 (恩典)廃止法案の可決、そして三つ目は、「国家官僚法」を成立させ、官僚とその家
 族へ手厚い特権を保障したことである。

 カディロフ前大統領の暗殺について政治学者らが出した結論は、次のようなものだ。チ
 ェチェン紛争はクレムリンが言う「終結は間近」などという状態ではなく、独立派武装
 勢力は戦力を増強し紛争は新たな段階に突入した――だ。

 チェチェン西隣のイングーシ共和国では六月二十一日、武装勢力が大規模な襲撃を行い
 コストエフ共和国内相代行ら九十二人を殺害。チェチェン東隣のダゲスタン共和国でも
 同日、武装勢力が襲撃を行った。チェチェン紛争が北カフカス全体に広がったことを示
 す事件であり、ロシア社会に大きな不安を呼び起こした。一方で、チェチェンでのロシ
 ア軍の損失についての情報は、旧ソ連時代のように主に外国の報道機関を通じて入手す
 るしかない。ロシアの全国ネットTVが国営・政府系で占められる中で、チェチェン紛
 争について不利な報道を規制するよう政府が圧力を掛けているとみられる。かつて対チ
 ェチェン強硬策で絶大な人気を獲得したプーチン大統領にとって、同問題は最大のアキ
 レス腱(けん)になりつつある。

 プーチン大統領は年次教書で貧困対策を最重要課題としていたが、年金生活者や身障者
 らへの恩典廃止は、貧困層に属する三千万人から四千万人の生活を直撃する。「社会保
 障制度の効率化」がその目的とされるが、恩典廃止の代償として支給されるのは月額百
 五十ルーブル(約五百七十円)から千五百ルーブル(約五千七百円)。恩典に比べれば
 微々たる額である上、インフレで目減りする可能性も高い。年金生活者らの反発は強く、
 ロシア全土で繰り広げられた反対集会には述べ百万人が参加した。

 この恩典廃止法案はプーチン大統領の署名で成立する。支持率低下に直面するプーチン
 大統領が“慈悲深い皇帝”を演出するために署名を拒否するとの見方もあるが、実際に
 はその可能性は低いだろう。プーチン大統領は支持率の低下に動じていないようであり、
 十一日、「国家官僚法案」に署名し成立させた。

 国家官僚法は官僚の汚職防止が目的とされるが、その一方で、約百五十万人を数える官
 僚の給与引き上げのほか、彼らとその家族に無料医療や高級保養所利用、無料航空チケ
 ットなど手厚い“恩典”を保障するものだ。議会の絶対多数を占める「統一ロシア」議
 員の大半は官僚出身であり、その利益代弁者である。プーチン大統領にとって「統一ロ
 シア」は自らを支える巨大な権力基盤。彼らを手なずけておくことは極めて重要である。

 以上が、プーチン大統領二期目の百日間における“実績”だ。エリツィン時代の社会混
 乱に疲れた国民は、社会秩序確立と生活向上への期待からプーチン大統領を強く支持し
 たが、その期待は大きく裏切られつつあるのが現状だ。世界日報 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:ブーイング民意にみる中国の不穏  

アジア杯、「反日」と「反政府」の間/制御効かない「江沢民の子供たち」
評論家 高橋 正 
日中戦争、双方に虐殺の事実 

 重慶、済南、北京と転戦、対中決戦で良くアジア杯をものにした日本サッカー・チーム
 に対する地元サポーターの「礼節の国」らしからぬ無礼不作法は、日頃は中国に弱腰の
 日本政府やマスコミも流石(さすが)に問題にせざるを得ない程ひどかった。 

 とは言え、その対中非難は相変わらず及び腰で、マスコミは戦前の「済南事件」、戦中
 の重慶爆撃、戦後の首相の靖国参拝などが、観客のブーイングや反日行動の元になって
 いると、相変わらず「非は我が方にある」かの如き解説を加えている。これこそ「画竜
 点睛」を欠き、代わりに「蛇足」を加える愚行の最たるものである。

 確かに、戦時中、国民政府(蒋介石政権)所在地・重慶に対する日本航空隊の空爆で、
 市街や市民に被害があったのは歴史的事実である。しかし、その犠牲は数百戸、数百人
 を出ない。逆に米人傭兵操縦の重慶軍爆撃機が台湾を空襲したこともある。

 一方、済南では一九二八年、北伐途上の国民党軍が居留民保護のために進駐していた日
 本軍との約束を破って、日本人男女・子供百人余りを虐殺している(済南事件)。二七
 年の南京外交公館乱入(第一次南京事件)に続く国民党軍の暴虐で、当時の日本では
 「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)の世論が渦巻き、日本軍山東出兵の元になったのだ
 が、戦後の歴史解釈では、これら虐殺の事実は伏せられ、専ら日本軍の「中国侵略」の
 口実に利用されたとしている。

 日中戦争が始まった三七年七月、北京郊外の通州でも地元政府の保安隊が国民党軍の宣
 伝に惑わされて、二百人以上の日本人居留民を虐殺している(通州事件)。一方、同年
 十二月の「南京虐殺事件」(第二次南京事件)は、今日では、国民党の宣伝に始まり、
 東京裁判での一方的断罪、それらを受けた共産党政権の喧伝する「日本軍による南京市
 民大虐殺」が史実に程遠いことが判明している。日本軍の暴虐を言うなら、敗退する国
 府軍の残虐ぶりも指摘しなければなるまい。

反日を名分にした反政府運動

 ところが、それもこれも日本が加害者で中国が被害者であるかの如く言いくるめられ、
 戦争の真実を知らぬ中国人は居丈高になり、日本人は忸怩(じくじ)たる思いに駆られ
 て「反省」ばかりしている訳だ。

 この期に及んでもなお、例えば「中国青年報」(九日)は「侵略された国として悲惨な
 歴史を国民に学ばせるのが道理だ…日本側は中国人ファンの<無礼極まりない>ブーイ
 ングを問題にするが、小泉首相の靖国神社参拝は抗日戦争での数千万中国人犠牲者と十
 三億国民に対するブーイングだ」と、飛んだ八つ当たりをしている。

 流石に、「人民日報」(同日)の方は、北京五輪開催への風当たりを気にしてか、海外
 版で「恨みを捨てよう」(一面)と訴えているが、これは筆者がこのコラムで度々指摘
 しているように(〇三年十月二十五日「天に唾する中国の靖国参拝非難」、十一月二十
 日「天に唾する北京政府(その二)」等参照)、江沢民前党総書記の始めた「愛国主義
 教育」という名の「反日教育」が今や、「江沢民の子供たち」によって制御の効かない
 ところまで成長してきていることを物語るものであるばかりでなく(北京工人体育館内
 外の中国人観客の不穏な動きを見よ)、実は「反日」という「大義名分」に名を借りた
 「反政府」に転化しつつあることへの焦燥と恐怖を示唆するものに他ならない。

決勝日のデモ集会計画を摘発

 現に、七日の工人体育館での日中決勝戦と並行して同日、天安門広場では、地方官僚の
 腐敗などに抗議する農民・労働者二万人の集会・デモが計画されていたが、当局は前日
 までに主催者以下二千数百名を逮捕し、辛うじて集会を未然に防いだことが判明してい
 る。もしこの集会が実現し、それが体育館の反日フリガニズムと照応、合体したら、そ
 れこそ、第二の天安門事件、「暴乱」へと発展するのは造作もないことだったろう。

 当局が体育館内外に一万人以上の警官を配備しなければならなかったのは、実は体育館
 内外での反日暴動阻止よりも、それが天安門広場のデモと連動することを何よりも恐れ
 たからである。それでも、体育館内外での不穏な動きを抑え切ることができなかったの
 が、北京の現状なのだ。日本も、中国人サポーターのブーイングや中国経済のブームな
 ど上面(うわつら)のことばかりに一喜一憂している場合ではないのである。
  (世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:不登校調査/多様な教育システムの構築を  

 平成十五年度に三十日以上小中学校を欠席した不登校の児童生徒は十二万六千人で、前
 年度より約五千人減り、二年連続の減少――。文部科学省の調査で判明したものだ。そ
 れでも小学校では三百人に一人、中学校では三十七人に一人の多さで、依然として深刻
 な課題であることには変わりはない。
「減少」とは違う深刻な実態

 不登校の調査が始まった平成三年度から同十三年度まで毎年上昇し続けてきた。その意
 味で今回注目すべきは、二年連続減少ということの背景についてである。

 自治体によって差はあるが、減少したところでは、文部科学省や学校の一貫した取り組
 みの成果があったといえよう。

 文科省が不登校対策として取ってきたのは、スクールカウンセラーの配置と、教育支援
 センターの拡充でカウンセラーは公立小中学校に置かれるようになった。

 教育支援センターは千百カ所に整備されている。担当教師やカウンセラーをはじめ学校
 全体で取り組み、個別的に指導しながら、学校復帰を目指してきたのである。

 不登校は、実際には教室に行かなくても保健室や教育支援センターに顔を出せば出席し
 たと見なされる。そのため授業を受けず、集団生活をしなくとも不登校ではないとカウ
 ントされた部分が、この統計には含まれているのだ。

 学校に行く意義や目的は何か。勉強なのか集団生活なのか、そこで時間を過ごすことか、
 人格の形成か――など多様だが、どの部分に注目するかによって、この統計数字の意味
 は変わってくる。

 小中学生といっても情緒的な内面世界は極めて鋭敏だ。文科省が調べた「不登校になっ
 た直接のきっかけ」を見ると、約40%が友人関係など学校生活、約17%が親子関係
 など家庭生活、この二つで六割近い。病欠など本人の問題は約35%にすぎない。

 ここから、友人や家族など対人関係の内面的葛藤が、不登校の背景にあることがうかが
 えよう。

 ところで三月に、東京で不登校をめぐって、映画「ハナのアフガンノート」のイラン人
 監督ハナ・マフバルさんと、イラストレーターの田場寿子さんの対談が行われたが、こ
 の二人の少女の不登校体験はあまりにも対照的だった。

 田場さんの不登校体験は、いじめられたことが原因で、中学卒業の際、教師の父親から
 「高校へ行くか、働くかしなければ、死ぬしかない」と言われて、心に深い傷が残った
 という。

 これに対し、ハナさんは、学校へ行かなかったことは“負の体験”を意味したのではな
 く、映画監督になるという夢に向け、積極的に進んでいくという意味を持っていたとい
 う。彼女は小学校には行かず、父親の手作りの映画学校に入学するのだ。

 日本での不登校といえば、ハナさんのような例はほとんどなく、多くは田場さんのよう
 に“負の体験”を意味している。欧米世界は個を尊重するキリスト教文化が背景にある
 ために、ハナさんのようなケースは珍しくはない。

「ふるいにかける」式でなく

 発明王として知られるエジソンは、小学校を三カ月で落ちこぼれた注意欠陥障害者だっ
 た。こうした例について、京都大学教授の正高信男さんは『天才はなぜ生まれるか』の
 中でこう述べる。

 「私たちに求められているのは、従来の『ふるいにかける』式ではない、才能教育の形
 を見つけだすことだろう」

 不登校に至る背景はさまざまだが、それをすくい上げる多様な教育システムの構築が急
 がれる。世界日報  掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
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件名:上層町衆宗達と古典復興運動  

死を間近な激動時代に高度な表現/宮廷と庶民の一体感から生まれる
日本画家 鳥居 礼
朝廷に仕えた裕福な上層町衆

 俵屋宗達がどのような人物であったかは、不明な点が多い。ただ宗達が京都の裕福な上
 層町衆であり、慶長十九年(一六一四)以前に茶人の千少庵と交友があり、本阿弥(ほ
 んあみ)光悦や西陣の名家織屋の井関妙持とも茶の仲間であったこと。俵屋とは絵屋の
 屋号で、宗達はその主人と思われ、元和(一六一五〜二四)年間の京において「俵屋絵」
 「俵屋の扇」として評判を得ていたこと。法橋(ほっきょう)の地位にあって、朝廷の
 ご用を務め宗達の名が宮廷人の間に知られていたこと。醍醐寺との関係が推測されるこ
 となどが、わずかな資料から知られている(「宗達芸術の出現とその展開」山根有三)。
 また光悦(一五五八〜一六三七)とは姻戚関係にあり、ほぼ同年代であろうと思われて
 いる。

 永禄十一年(一五六八)織田信長が上洛し、天正元年(一五七三)には足利義昭を追放
 し、朝廷を軽んじていた足利幕府を滅ぼした。次いで関ヶ原の戦い(一六〇〇)、大坂
 冬の陣・夏の陣を経て、家康が完全に豊臣家を滅ぼし天下を掌握するが、宗達も光悦も
 この動乱期をともに生きぬき、戦いと死を間近に感じていたことを、作品を見る上で忘
 れてはならない。常に死を覚悟し潔く生きたからこそ、あのような穏やかさの奥に刀の
 鋭さを秘めたような高度な表現ができたのではないだろうか。

日本の美を復興した織豊時代

 十五世紀後半、応仁・文明の大乱のころ、京都には町衆という新興富商階級が存在した。
 町衆とはもともと、京都の町ごとに団結した商人や手工業者のことを指している。町衆
 は公家や武家にかわって、戦乱で荒れはてた京都の復興につくし、京都の実質的な中心
 となっていた。室町幕府も宮廷人も、この町衆の経済力に支えられ、中には織豊(しょ
 くほう)時代の政権交替に重要な役割を果たした者もおり、時として大海に出航し海外
 貿易を行う壮大さも備えていた。宗達も光悦も上層町衆に属し、その気風を大いに発揮
 しながら制作したといえよう。

 慶長八年(一六〇三)徳川家康により、幕府は江戸に遷(うつ)されたが、平安時代以
 来、日本の中心であった京都はいまだ繁栄を保っていた。京都には天皇の坐(ま)す禁
 裏と長い文化的伝統、そして富をたくわえた町衆たちがいた。大陸文化に傾き日本古来
 の美意識が軽視されていた足利室町時代の終焉を期に、後陽成院(ごようぜいいん)や
 後水尾院(ごみずのおいん)を中心とした宮廷の人々と上層町衆により、本来の日本文
 化を取りもどすための古典文化の復興が行われることになる。政治的にも信長の神道的
 美意識、秀吉の土着農耕の楽天的めでたさ、そして徳川家の日本保護のための鎖国精神
 など、足利の反日本的な時代に対し、織田・豊臣・徳川の三者は桃山及び江戸時代にお
 ける日本国有文化の発達に多大な功績を残したと言わざるを得ない。

 上層町衆であった宗達・光悦はまさにこの古典復興運動の中心的存在だった。光悦の言
 動を記した『本阿弥行状記』には、「日本国は神の御末にてみな禁裏様の物也」と書か
 れているが、これは当時の町衆の一般的心情でもあった。古典復興・王朝文化復興の運
 動は、そのような宮廷と庶民の一体感の中で生まれ出でたことを忘れてはならない。

反室町的な桃山文化第一人者

 ところで宗達は色紙や短冊の金銀泥絵、扇絵、貝絵、染織絵、屏風絵などを総合的に描
 く「絵屋」を営んでいたと言われている。仮名草子の『竹斎』に「あふぎは都たわらや
 がひかるげんじのゆふかほの巻、えぐをあかせてかいたりけり」とあり、宗達の作品に
 扇面画が多いことから、宗達主宰の俵屋を扇屋とする説もあるが、作品全体を見るとよ
 り広範囲な絵屋とする方が妥当と言えそうだ。

 狩野派や土佐派などの流派系絵師とはちがって、何の束縛もない絵屋の絵師たちは、顧
 客の好みを敏感に取り入れ、また桃山調の豪放さと華やかさをその作品の中に大いに反
 映したと思われる。とりわけ宗達は、彼の作品そのものが桃山文化と言ってよいほど、
 反室町的な性質を有している。

 また宗達の画風の中で特に興味深いのは、洛中洛外図などの風俗画が盛んに描かれてい
 たこの時代にあって、宗達が風俗画をまったく描かなかったことであろう。それは古典
 復興という大目標があったことや、高度な品格を要求する宮廷の人々と深く関わってい
 たことによるとも考えられようが、宗達が芸術家として歴史に残るような作品を制作し
 ようと考えた時、自ずと風俗画は否定すべきものとなったのではないか。日本美術史上
 に輝く画家たちは、こぞってその当日の風俗を描かなかったということは、おもしろい
 事実である。  (世界日報)掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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