1638.山岡コラム



件名:金を貸さない人は良い人!  

酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
日本弁護士連合会が、ようやく腰を上げて、サラ金のテレビコマーシャルは禁
止すべきだと言い出した。
事由はテレビに出る会社・人は総て信用できる、として若者のみならず、大方
の日本人は金を借りることに対して、全く抵抗がなくなってきてしまっている
と言うこと。
その結果が借金漬けの若者であり、サラリーマン、主婦の激増現象になってお
り、弁護士業界もこれを放置できなくなったと言うのが実態の様子。
それに加えて、政治家を先頭に、金に困っている人・会社に、金を貸さない銀
行はけしからん。金を貸さないから起業できない。もっと簡単に誰でも志しあ
る人には簡単に金を貸す銀行を作る必要がある。と大合唱。
よって、街角で、中学・高校生などの少年達が、遊ぶ金を調達すべく、日常茶
飯事に強盗・引ったくりをやる世の中になってしまった。

しかし古来金が潤沢にあって始めた商売は、殆ど失敗。金苦労がない人間に
は、事業経営は出来ないというのが鉄則。
大店の跡取は、芸者通いしか能のない人間になった。
家業を末永く繁栄させるためには、男子は音楽など芸術の道に。そして娘は家
庭教育をしっかりやって、出来のいい男を婿に迎える。これが子孫代代の繁栄
の鉄則として、多くのオーナー会社が選んできた道ではある。
また金苦労で、瀕死の状態に陥り、塗炭の苦しみを味わってきた会社として有
名なのは、今をときめくトヨタ、ホンダ、松下然りで、枚挙にいとまがない。

各テレビ局は、このデフレ下、サラ金会社はスポンサーとして最上等客(=ス
ポンサー)。キレイ事を言っているテレビ他マスメディアも、金次第で何でも
やらかす。
これをもって言論・表現の自由と、自分達の金銭欲のために、憲法を振り回し
ているのが、今の日本ではある。
一時PTAなどが、青少年に有害な不良テレビ番組の、放映禁止をテレビ局に申
し入れた時代もあった。しかしマスコミは、そのお家芸で、自分達に都合の悪
いことは、放映しないので、すぐに世間は忘れてしまう。

こういう不良マスメディアを淘汰するのは、不買運動、非視聴運動以外にな
い。
しかし今の日本はそれをやると、営業妨害罪で恐らく巨額の損害賠償を請求さ
れかねない。
よって今度憲法を改正するときは、民主主義を守り、社会正義・善を守るため
の大衆運動、つまり不買運動、非視聴運動、更にはこういうメディアに対し広
告を掲載する企業に対しても、不買運動を起こせるそういう憲法・法律にすべ
きではなかろうか。
今の憲法・法律の解釈は何でもありで、好き勝手の自由。これを必死で守ろう
といつも大論陣を展開するマスメディア。
しかし最後は自分達の糧道を、自分達で断ってしまう結果にいずれはなろう。
マスメディアよ心せよ!

こういう思いのメールは過去にも書かしてもらったと思いますが。
それではまた。
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酒 井 信 和 H16年5月13日   
Kenzo Yamaoka
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件名:私は「最高の協力者」!  

酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
最近私のネット生活も、ワンパターン化してきている。
ところが、先日、世間を騒がせている、例の「有料アダルトサイト」から、代
金の請求が来た。
ハガキでの請求であるが、その文面はそれこそ法律の専門用語で、素人を脅か
すには殆ど完璧な内容になっている。しかしその法律を駆使した請求の内容
は、全く内容不明で、すべて電話で照会しろ、と言うしろもの。

そんなことで放って置こうと思ったが、たまたま散歩途上に、栄警察署がある
ことを思い出し、遊び半分でそのハガキを持って行ってみた。警察の話では同
様のハガキが100枚以上持ち込まれているとのこと。

丁度担当官も暇だったらしく、事情聴取らしき風情で、ついつい話し込んでい
る内に、警察もどう対応し捜査していったらよいのか思案に暮れていた感じ
だった。
そこで少々お節介話になり、犯人逮捕以前に如何に被害を最小限に食い止める
かの方法をヒトクサリ。ところが俄然担当官が乗り出してきて、いろいろ参考
に聞かせてくれと言う次第になった。暇に任せて30分位講釈をたれて帰宅。

ところが翌朝8時に警察から電話だと、女房が引きつった顔?で呼びに来た。
内容は、昨日聞いた話を、素人にも分かりやすく、チャート式に書いてほしい
との依頼であったので、早速パソコンでやっつけて持参。
その内容を説明していると、これを今度の所内の会議を経て、県警の会議に持
ち出して、真剣に取り組む方針でいるとのこと。
この件がうまく行けば、神奈川県警の三大成果になるとのことで、可成り真剣
顔。

まず三菱自動車という大成果。次が最近摘発されたレンタカー会社の白ナン
バー営業で、今千葉県が最初の摘発となった。それに継ぐ大ヒットの成果にな
るのが、この有料アダルトサイトの不法請求事件で、オレオレ詐欺にも共通す
る捜査方法になるはずと。
従ってこの話は、栄警察としての「大成果」になるレベルのものなので、是非
ご協力をお願いしたいとの、「ビックリ仰天の話」になった。
そんな話をしている際に、担当官の手元の書類をかいま見ると、なんと私は
「最高の協力者」と書かれていた。

まあともかく大した話ではないと思っているが、警察の知識も、新しい分野の
捜査となると、そう大したことはないのだな! と言うことだけは分かった。
それにしても、昨日は一時の満足感が味わえた日ではありました。
以上お粗末の一席。
それではまた。
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酒 井 信 和 H16年5月15日  
Kenzo Yamaoka
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件名:イギリスと言う国はない!  

酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
国債会議などでのイギリスのネームプレートは、どうなっていたでしょうか。

今更!のやや恥ずかしい話ではあるが、以下ご参考に!

こと改めて問われると、「イギリス」という国は、今更何だか訳が分からなく
なる。
<The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland>とある。
即ち、「グレート(大)ブリテン及び北アイルランド連合王国」。
これが我々が一般的に言っているイギリスの正式国名になるはずで、「イギリ
ス」という言葉は何処にもない。

もともと別の国だったイングランド、スコットランド、アイルランドの3つの
王国が合併したから、こんな長い名前になった。
まずイングランド王国とスコットランド王国が合併してグレートブリテン王国
になったのは1707年。イングランド王国のアン王女がスコットランドの女王を
兼ねることになったのがはじまり。
更に、1801年に、グレートブリテン王国のジョージ3世王がアイルランド王国
を兼ねることになり、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が誕
生。
その後1922年にアイルランドで独立運動が起こり、アイルランド島の北部を除
く地域が独立したために「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と
なり、現在の長い国名になったと言うことである。

ご存じのように、イギリスには現在大きく分けて以上の3つの地域の他に、
ウェールズという地域がある。ウェールズはイングランドの1部で、このこと
を加味すれば、イギリスは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北
アイルランドの4つの国からなる連合国家。
かつて「イギリス連邦」を形成し、世界を支配下に治めたイギリスは、その外
交力は勿論、情報吸引力(スパイ網)は、未だに世界NO1を維持しているの
も頷ける。勿論世界の共通語化している英語おや。

イギリス人に、「あなたは何国人ですか」と訊ねると、イギリス人と答えるよ
りも、イングランド人とかスコットランド人などと答える人が多いそうであ
る。

以上は、参考書を見ながら。
それではまた。
酒井信和
Kenzo Yamaoka
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件名:フリーター  

酒井さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
先日、森永卓郎という人の、年収300万円で生活する経済という本を読んで
みた。
いずれ日本の社会も、二極分化が進み、サラリーマンの1%位が超高収入、1
0%位がそこそこの収入で、後は年収3〜4百万円の所得層になるとのご託
宣。
確かにそうなりそうな予感もする。

ところで税金も、また年金も納めていなそうなフリーター。
フリーターは年金に加入していても、申請すれば大体年金納付は免除になるら
しい。そして1銭も保険料を納めていなくても65歳になれば、とにかく免除
とは言え加入していたのだから、年金受給資格はあると言うことにはなるらし
い。

ところで日本のフリーターの人口は?
<417万人>:平成13年におけるフリーターの数(平成15年版国民生活白書、
内閣府作成)。
ここではフリーターを、「学生と主婦を除く15〜34歳の若年のうち、パート・
アルバイト(派遣社員などを含む)及び働く意志のある無職の人」と定義。
この417万人は、学生、主婦を除く若年人口のおよそ5人に1人。(平成2年
のフリーターは183万人で、学生、主婦を除く若年人口のおよそ10人に1人で
あった)。

最近は年齢が上がってもフリーターの状態にある人が大幅に増加しているそう
で、学校を卒業しても進学せず、正社員として就職しない「新卒フリーター」
も増加と。
平成14年では、高校卒業者の38.4%、大学卒業者の31.3%が新卒フリーターに
なっているとのことである。
新卒フリーターの増加の原因は、
・1つの仕事だけではなく様々な経験をしたい、自分に合わない仕事はしたく
ないという、若年者の就業の考え方が変わってきていると言われて来た。
・が最近は厳しい経済状況の中、企業が新規採用を抑えているため、正社員に
なりたいという希望があっても、なれないない学生が増えていることも挙げら
れるそうである。

そもそもアメリカのサラリーマンの世界は、業績主義の社会と日本では思いこ
んでいるようであるが、そんなことはとんでもないこと。業績主義とは、リス
トラのための方便であるとは、随分昔に読んだ本に書いてあった。

今日は台風一過。さすが五月晴れは清々しい。
それではまた。
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酒 井 信 和 H16年5月21日   
Kenzo Yamaoka
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件名:座禅体験  

後藤さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
昨日は、以前から一度体験したいと思っていた「座禅」を夫婦で体験してきまし
た。
朝日カルチャーセンター主催の「鎌倉の禅寺一日体験」・・・建長寺で座禅・食
事・写経・・・で、参加者約100名で盛況(?)でした。
台風2号の接近で心配していましたが、南海上にずれたため影響は無く、台風一
過ですばらしい晴天になりました。

座禅は30分間ほどでしたが、「無」の意味などいろいろお説教もあり参考になり
ました。昼食は建長寺が発祥といわれる「建長汁」
(けんちん汁)つきの食事を禅の精神に従った作法でいただきました。写経は「般
若心経」を写しました。

 本来の自分を失えば、すべての事柄も見失ってしまう。
 こころの真髄を見つければ、人生の道もみえてくる。
                     −「法語規則」要旨−
初めての体験で、いろいろと勉強になりました。
*後藤武雄
Kenzo Yamaoka
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件名:今も息づく樹霊信仰  

神や先祖の霊宿る
生命の偉大さへの畏敬 
 巨樹で知られているのは、屋久島の縄文杉だが、それほどでなくても、日本各地には樹
 齢が数百年以上の巨樹が点在している。 

 それだけ日本の気候風土が植物の生長に適した湿潤温暖であるということだろうが、そ
 れとともに、日本人が樹木に対して手入れしたりして篤くその環境を保護したからであ
 る。神社の杜(もり)はその代表的なものであり、神の霊が宿るものとして禁忌の地域
 として尊崇した歴史がある。 

 樹木に神聖なものを感じる心性は、アニミズムやシャーマニズム的な原始的な宗教から
 来ているが、その背景には人間の寿命よりも長い生命力を持つ樹木に対する畏敬(いけ
 い)や生命をはぐくむ森への崇拝があるといってよい。 

 森林は、特に縄文人にとっては、さまざまな木の実や食用となる動植物を養ってくれる
 命の源の場所でもあった。いつ木の実が熟し、いつ獲物が得られるか、天候に左右され
 やすい環境条件の中にいた人々にとって、豊かな森は豊かな食料を約束してくれる場所
 だったと言えよう。 

 そこに人知では計り知ることができない超越的な存在、その森の命をつかさどる神々を
 想定して供え物や祈祷をささげたりすることは自然な成り行きである。これらの命が偶
 然によって生長しているのではなく、何か神秘的な力が働いて生命の循環をしていると
 思うようになるからである。 

 その意味で、森の中で巨大に育つ巨樹は、その神々の祝福を受けた聖なる存在であり、
 その祝福によって幹が一抱えも二抱えも大きく育ち、空を圧するように枝を天に差し伸
 べながら葉を繁茂させる力を得るとみている。 

▼ 

 大地から真っすぐに伸びた幹、そして頭上を覆うほどの巨樹には、神の霊や先祖の霊が
 宿っていると考えた。それが巨樹信仰、神が宿るよりしろとして大切に保護するという
 巨樹信仰に結び付いた。 

 とはいえ、巨樹のどれでもがそうした聖なる樹木と考えたのではなく、そこでひときわ
 目立つ巨樹が選ばれたと考えられる。そして、その巨樹はそのまま天に近づくための梯
 子(はしご)であり、神霊が天から降りてくる階段とも見えたのではないか。 

 そのような巨樹信仰が残っているのが諏訪大社の御柱(おんばしら)祭と言ってもいい
 かもしれない。巨木を引き出し、神殿の四隅に立てるために勇壮な儀式が行われるが、
 これも聖なるもの、神が樹に宿るという信仰から来ていると言えるだろう。 

 浮遊していた神霊は、そこから伝って降りてくる道として巨樹をよりしろとする。その
 ために、聖なる巨樹は植物のような沈黙を超えて、どこかこちらを圧するようなさまざ
 まな無言の言葉を発しているようにさえ思えるのだ。 

 確かに鬱蒼(うっそう)とした神社の森に注連縄(しめなわ)で守られた巨樹の下には、
 そうした見えないものの気配がまだ濃厚に残っている気がしたことを覚えている。巨樹
 の根は地上にむき出しになり、タコの足のようにクネクネ曲がり、暴れ回っているよう
 に見えたのである。 

 それは樹の精霊が大地に縛られることを嫌い、宙に飛ぼうとして阻止されてのたうった
 魂の跡のようでもある。 

 あるいは、その根元には黒々とした穴があり、その中には長い冬を生き延びたくちなわ
 (蛇)がとぐろを巻いているような気がした。 

▼ 

 巨樹といえば、私の経験でいえば、幼いころによく馬頭観音が祭られていた所にあった
 クスノキの巨樹を思い出す。このクスノキは登るによく、そこで遊ぶには都合のいい枝
 振りと幹の形態を持っていた。 

 それと同時に、このクスノキにはよくあの神秘的なアオスジアゲハが飛び交い、クスノ
 キの茂った葉裏を幾何学的な線を描きながら羽を光らせ、みどりの妖精のように不思議
 な印象を与えた。 

 チョウチョウというのは、アゲハ類と普通のモンシロチョウのようなチョウとは、はっ
 きりした飛び方に違いがあった。 

 モンシロチョウがひたすら地上をすれすれに飛ぶ労働者とすれば、アゲハチョウは頭上
 の空間に優雅な道筋を持っている貴族のような気配があった。羽が空気をたたく音さえ
 聞こえてきそうなほど、ガウンのような羽は抵抗のある空気を打ち、そのささやかな風
 はあたりをみどりの風につつんだ。 

 そのようなアゲハ類の中でも、アオスジアゲハはひときわ美しい輝きを持ち、玉虫色の
 ような羽が振動するたびに光った。クスノキはそのアオスジアゲハの巨樹を行ったり来
 たりしていたのを記憶している。 

 その時は、クスノキの葉にタマゴを生み付けるために乱舞しているのだとは気付いてい
 なかった。クスノキの樟脳(しょうのう)のようなクスリ臭いにおいにアオスジアゲハ
 が引かれてやってくるのだと思い込んでいた。 

▼ 

 巨樹のクスノキの下は、まるで別世界のように少年だった私たちを誘惑し、そして、そ
 の清冽(せいれつ)なにおいの中でゆりかごのように過ごさせてくれた。 

 果たして、そのクスノキが今でも長生きして残っているのかどうかつまびらかにしない。
 あれからの歳月を考えれば、老樹となって切り倒されたか、それとも虫食いのためにぼ
 ろぼろになって切り倒されたか、もはや知るすべはない。 

 もし保護されて、巨樹として、そこだけぽつんとして残っているとしたら、それが幸せ
 であろうか。周りを近代的なビルに囲まれて、そこだけオアシスのように巨樹が立って
 いる風景というのも、どこか不自然で不気味なものがあると思うからである。
 (羽田幸男) 世界日報 ▽掲載許可済み
 
  Kenzo Yamaoka
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件名:日本の肉食禁忌思想と「清らかさ」  

言語と食生活から生まれる美意識/血や肉を排除し育んだ情緒性
御節料理は神社の神饌に由来

 その民族の言語と食生活から固有の美意識が生まれ、その美意識は固有の表現を生む。 
 日本の美術史と西洋・東洋の美術史を通観すると、日本美術の根底に流れる大きな特質
 に気づく。それは諸外国に比して表現が清らかであるという点である。日本美の本質を
 最大限に表現し得た俵屋宗達の作品群には、この清らかさが濃厚に表れていて、画中に
 は正月のようなめでたい気分が漂っている。また、書や建築、ひいては諸芸道、諸芸能、
 陶芸や民芸に至るまで、日本の表現には清らかさという特質を見出すことができる。 

 神道美の源流である伊勢神宮に参詣すれば、この清らかさを全身に感じることができよ
 う。穏やかな曲線を描く宇治橋、玉砂利の参道や斎庭(ゆにわ)、杉並木、五十鈴川の
 流れやそこに遊ぶ魚たち、檜(ひのき)と茅(かや)で造られた社殿、あたりに立ちこ
 める神々しい空気、どれをとっても清浄さの極みである。そして、選(え)りすぐられ
 た素材と清真を保って作られる神饌(しんせん)もまたこの上なく清らかであり、日本
 の食生活の淵源をここに見ることができる。一年で最も日本的になる季節は正月である
 が、この時食される御節(おせち)料理は神社の神饌に由来する。神饌は米、水、塩、
 酒、野菜、海の幸、山の幸を基本とし、血と肉は用いない。日本の神々は血と肉を穢
 (けが)らわしきもの、神と人との仲を断つものとして忌みきらうが、それが日本人の
 食生活の規範となり、その食生活が清浄を好む日本人の情緒性を育(はぐく)んだと言
 っても過言ではない。 

 それに反し、世界の宗教的表現は動物性がきわめて強い。特に蛇や龍の図像が特徴的で
 ある。中国神話の伏犠(ふっき)と女★(=蝸の虫を女に)(じょか)やインドのナー
 ガとナギニーの下半身は蛇体として描かれているし、アフリカの始原神アンマも下半身
 は蛇体と言われる。さらに諸外国では動物そのものを信仰することも多い。清水馨八郎
 氏も西洋の王家の紋章は猛獣や猛禽(もうきん)類がほとんどなのに対し、日本では植
 物が中心であることを指摘されている(『日本文明の真価』祥伝社)。そしてこのこと
 もまた諸外国の食生活と深くかかわっているのである。 

世界の宗教的表現に多い動物 

 考古学者の佐原真(まこと)氏によれば、日本では縄文人ですら肉食はきわめて少なく、
 以降も本土の農業は、食べるための家畜をほとんど持っていなかったという(『騎馬民
 族は来なかった』NHKブックス)。その点諸外国では、肉を主食とすることはもとよ
 り、内臓、脳、血を用いた料理も多く、時には人の血も食すと言われる。 

 歴史的に見て世界の民族は畜産農民と遊牧民に大別することができるが、両者とも肉食
 民族であると言える。これらの人々の特徴は、神に家畜の肉を供え血を注ぐことである。
 中国の『礼記』には、儒教の教えとして、天子は親(みずか)ら犠牲の牛を牽(ひ)き
 祭りを行ってのち、親ら牛を割(さ)くとある。また笏(しゃく)を血で清めることも
 書かれている。アッシリア、バビロニア、アラビア、ギリシャ人なども血を儀式の清め
 のために用いたという。 

 古代に牛を崇拝し犠牲とする風習は、エジプト、シュメール、地中海地域、ヘブライ、
 ギリシャ、ミノア、ローマをはじめとするヨーロッパ全土をはじめ、遠くインドにまで
 及んでいた。ギリシャでは生命と豊饒の神ディオニュソスを雄牛として信仰し、その祭
 礼では熱狂した信者が素手で雄牛を引き裂きその血を体に塗りたくり、肉をちぎって食
 したという。自分と神とを一体化するためにである。肉はあまり食べないと思われがち
 なインドも、古代遊牧民のアーリア人がインダス文明を破壊し、雄牛神インドラ神信と
 牛肉食をもたらした。乳製品を食べる民族は基本的に肉食なのである。 

忌詞という重大な規定が存在 

 日本における肉食禁忌思想は、六世紀に入って来た仏教によってもたらされたと、多く
 の人々は信じているが、それは大きな誤りである。 

 平安時代に編纂(へんさん)された『延喜式』にそれを証明する記述がある。天皇のご
 即位の時の初の新嘗(にいなめ)祭である践祚大嘗(せんそだいじょう)祭は最も厳粛
 なる皇室儀式であり、式典は古代のままの形式で行われるが、その時に使用禁止の忌詞
 (いみことば)というものがある。「血を汗と称(い)ひ、宍(ししむら=肉)を菌
 (くさびら=かび)と称ひ」とあり、また伊勢神宮でも同様に「僧を髪長(かみなが)
 と称ひ、尼を女髪長と称ひ……、血を汗と称ひ、宍を菌と称ひ」という重大な規定を設
 けた。 

 神道の歴史からすればきわめて新しい宗教であり、死にかかわる外来の仏教と関係する
 僧や尼という言葉を排除することは容易に理解できようが、それならばなぜ血や肉をも
 言い換える必要があったのだろう。日本人がもともと肉食で仏教伝来以降に肉食禁忌が
 広まったとすれば、最も日本化し太古のままにもどる祭典の時には、逆に血と肉が神饌
 として積極的に使用されるべきだし、もちろん言葉も用いるべきではないのか。強力な
 肉食禁忌思想が太古より存在し、血や肉の犠牲を用いない風習が連綿と受け継がれてい
 たからこそ、天皇の最も重大なる儀式においては、血や肉という言葉までをも言い換え
 る必要があったのである。 

 わが国における肉食禁忌思想は諸外国に比べまことに特殊なものと言え、それがあの清
 雅なる美術作品や諸々の表現を生み出す原動力となっていたと言えよう。清浄なる食事
 をし寿命を永く保って神上がれば、菊のような香りがすると古代の人々は信じていた。
 あの高砂子(たかさご)の松の老翁老婆の清らかでめでたい神のような老いの姿こそ、
 日本美の窮極の面目なのではないだろうか。 日本画家 鳥居 礼  世界日報 ▽掲載
 許可済み
Kenzo Yamaoka


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