3374.RE: 幼少時をゴーギャンは



RE: 幼少時をゴーギャンはペルーで過ごしたことについて

得丸さん

>我々がものを考えるのは、単に記憶を持ち出してくるか、新しく受け入れた知識と
>記憶を足し合わせるだけの、きわめて単純な作業にすぎないのかもしれな
い、、、。
・・・引用・・・・・・・・・・・・・・
ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマ ン神
学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とす
るカソリックの典礼の授業もあった。デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリス
ト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与え
ようと試みた。この教理における3つの基本的な問答は「人間はどこから来たのか
(Where does humanity come from?)、「どこへ行こうとするのか (Where is it
going to?)」、「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity
proceed?)」であった。ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するよう
になるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから
離れることはなかったと言える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、@wiki
まさしくゴーギャンは、神学校時の刷り込み(記憶)と、進歩より、何者であるかの
煩悶(新しく受け入れた知識)の混合を提出したのかもしれません。
あるいは、捨て去りきっていたはずの教理が、過酷な生の果ての遺作めいた作を描き
上げて深い所からの泡のように浮いてきたのかもしれないし、浮かんだことが制作の
契機になったのかもしれないし、
ゴーギャン本人にしか、わからないことです。(上記の引用の信憑も不明)。
鑑賞者は、タイトルも含めた総体として、おのおの眺め、受け取る。
その感受もおのおの異なる。


>どうすれば正しく読んで、正しく評価し、正しい知識を受け取ることができるの
か。
「正」の対義語は「誤」であり「邪」です。世の中に「これは絶対に<正しい>」は
ないと思います。ある時点での正しいかもしれないこと。しかし位置が少しずれれ
ば、正しさの度合いは減じたりしやしませんか。
>いつも読書会をやっていて思うのですが、同じ本を読んでも、人それぞれによっ
て、>受け取る知識が違うし、本そのものの評価もまちまちです。
だからこそ、読書会は面白い。自分は、こう感じたが、ああそのような<読み>もあ
りか、と顧たり、さらっと読み流した箇所へのこだわりを知ったり。<場>の動的平
衡のダイナミズム。

>誰かがある本や文章を書く行為は、何かを伝えたいためであり、それを正しく受け
>止めて、正しく評価することが、読み手として本来求められている行為でしょう。
<伝えたい>という目的的でなく、なんか湧いてきたから書いちゃった、もありだ
し、
職業作家は換金のためだったりもするし、読むがわの「正しさ」基準でも、累卵の如
き<蓄積された記憶や知識>の間隙が少し埋まることもあれば堆積することもある。
「正しく受け止め、正しく評価する」のは学術論文に求められることではあると思い
ます。が、会では、より鷹揚なフトコロ広さも含有しているのが魅力なのではないか
しら。
森さんの言葉で得丸さんのゴーギャン観が豊かになり、<思考>への思考にまで広
がっていったように。

                         日比谷
==============================
日比谷さん、

> デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから
> 離れることはなかったと言える。

> まさしくゴーギャンは、神学校時の刷り込み(記憶)と、進歩より、
>何者であるかの煩悶(新しく受け入れた知識)の混合を提出したのか
>もしれません。

ご指摘ありがとうございました。

我々が何か新しい概念を獲得するのは、目の前に具体的な問題があ
るときに限られるということもあるようで、でもそのときに、ヒン
トになる知恵・言葉が湧き上がってくるためには、論語の素読や教
義なんかも役に立つのかもしれませんね。

それまで、中味のない言葉の羅列に過ぎなかったものが、現前の問
題と一体化して、問題を対象化することができる。

そういったことを考えさせてくれた森さんのコメントもあり、ゴー
ギャンの絵を観てよかったと思います。

それに比べると、韓国はとらえどころがない、韓国で何を見てくる
のかと、ずっと考えていますが、なかなか「自発性、現場性、当事
者性、対等性」(谷川雁の言葉)にぴったりするテーマに出会えてい
ません。

70年のよど号事件、74年の文世光事件、79年の10.26事件から、80年
の光州事件、と続く、「民主化」運動の表と裏あたりはどうだろう
かと思い始めていますが、いやあ厄介な問題ですね。

得丸




コラム目次に戻る
トップページに戻る