1999年
2月12日(金)の宿 港町ディングルのジョン通りで会ったおばちゃんの家
ディングル半島へ レンタカーを借りて3日目の夕方。 このディングルの町を目指して、半島南岸に沿って走るまっすぐな田舎道「R561号道路」を西へと走っていた。 ディングル半島に進入するには、半島の根元の町「トラリーTralee」から国道N86号線を利用する北岸ルート のほうが道は広いとは思うが、 この日とったルートの関係上、南側から半島に入ったのだった。 R561号道路沿いの景色 半島南岸側は大西洋に向かって口を開けた「ディングル湾」という湾になっているのだが、 その一番内陸に食い込んでいるあたりの海岸は、アイルランドでよく見る、黒い泥のような浜であまりきれいなものではなかった。 正直言って水浴びしたくない感じだ。 しかし、半島の根元から3分の1も進むと、面白い景観に出くわした。 ディングル湾内部に、細長〜く突き出した長さ5kmほど陸地がのびていて、 湾の黒い最奥部分と、外洋側とをキレイに2つに隔てていたのだった。 その細長い陸地の、外洋側は白砂の美しいビーチ。 「インチinch」という地名らしい。
手前の黒い瀬とその先の海とを隔てる境界線でもある、細長く橋のように伸びたその浜は、
湾の内側から大西洋に向って矢を射るような感じに軽くしなった弓の形をしている。美しくも不思議なビーチ。
たえず西のほうから(大西洋)から押し寄せる波が、幾重にも平行に白浜に向って、歩み寄ってきている。 その光景がダイナミックできれいだった。 R561号道路はやがて、 北岸側から半島中央の山脈の低くなっいるところをつらぬいて南岸側にやってきた国道N86号に合流する。 国道N86号はそのままディングルの町に通じる。 港町ディングルへ 目的の宿が見つからない 通りをウロウロしていたら、2匹(3匹だったかな)の黒い犬を散歩に連れた、痩せた おばあさんに 『どうしたの?』 と声をかけられる。 ※このとき、ぱっと見は「おばあさん」だと思ったのだが、 後で波留子が本人に聞いたところによると、 『孫はまだいないの、まだグランドマザーじゃないわ』 ・・・とのことだったので、これ以降の記事では失礼のないように、 また親しみもこめて「おばちゃん」と書くことにする。 『B&B宿を探してるのですが・・・』 と答える。
すると、おばちゃんは 『それなら、うちにおいで』 と言ってくれた。
しかし、ぱっと見るとあまり大きな家ではなくて、しかもちょっと古そう。
あきぼん 『あ、いえ、この家を探してるので・・・』
おばちゃんは、しばらくその紙切れをのぞき込む。 言葉がいまいち通じず、ちょっとやり取りした末、 「パックス・ハウス」を知ってるそうで、この道を教えてくれた。 (こちらの英語力が足りないため、この時ちゃんと理解してなかったんだけど・・・)
別れ際に彼女は、 『もしダメだったらうちへおいで』 と笑顔で言ってくれた。 しかし、日はとっぷりと暮れてるし、 ちょっと道を進むと、集落を離れ街灯のない山道に。 道は細いし暗いし、B&Bを探すにも探せない。 にっちもさっちも行かなくなって、結局あきらめて街に引き返した。
そして、波留子が公衆電話から「パックス・ハウス」に電話。
『青木さんはダブリンにいる』 とのこと。 この時たまたま用事があって不在だったのか、それとも今はもうダブリンに住んでるのかは、 英会話なれしてなかったため、確認しなかった。 おばちゃんの家
呼び鈴を鳴らして外で待つ。
窓から家の中を覗き込むと、おばちゃんがやってくるのが見えたので、
手を振ると、両手をあげて駆け足で喜んでくれた。
19時30分。ようやく宿に落ち着くと おばちゃんが紅茶を入れてくれた。ホットひといき。 看板も出てないし、もしかしたら季節はずれで営業してなかったのかもしれない。 決して広くもないし、新しい建物ではないけれど、清潔なベッド。 バス・トイレも、そのおうちのものと共用。 居間を通らないと、トイレに行けない。 翌朝の食事も(ダイニングルームはないので)キッチンでとった。 普通の家に泊めてもらったって感じがした。 単なるホテルとして考えた場合、正直言って品質は高くないが、 おばちゃんがいい人で、ここに泊まれてホントによかったと思ってる。 いろいろ話かけてくれた。 カタコトながら、結構コミュニケーション。 『2年前の夏に、日本人の男の子が滞在した』そうで、 日本人が好きだといってた。
そして 夜、ディングルの町にて 夜中 翌朝 客には、アイルランド風朝食を出しておきながら、 おばちゃんはトーストとコーヒーだけ(^^; 『あたしはこれだけでいいの(笑)』 別れ際に、 『あなたのおかげで、楽しかったです。』 といったら喜んでくれた。 握手して別れた。 戻る |