テレビ時代劇、ア・ラ・カルト

 テレビで最初に見た時代劇というと、題名は忘れたが、風呂焚きの下男が白覆面に変
身して悪人をこらしめるという内容のドラマだった。NHKの作品だったので、斬殺すことな
く峯打ちで倒していた。

 NHKのチャンバラ時代劇で忘れられないのが『月下の美剣士』だ。1960年の4月に開
始され、最初は悪人をバンバン斬っていたのが、途中から主人公は柔術の名人になり、
剣を抜かなくなり、半年後には番組も打ち切られてしまった。なんでも当時のNHKの会長
さんが、暴力的なことに一切反対したらしい。主演の加藤博司は、後番組の『ポンポン大
将』にほんのちょっと出演した後、NHKを去って大映に入った。大映での芸名は成田純一
郎だよ。

 民放で見た最初の時代劇は、『大江戸風流男・恋さま罷り通る』だった。中村芝雀の“恋
さま”は良家の坊ちゃんだが、市井で暮している。二枚目の優男だけど剣の達人なんだ。
女性にもてて何不自由なく暮すキャラクターは、“若さま侍”と同じだね。3〜4回しか見て
いないんだが、妙に印象に残っている。

加藤博司
(成田純一郎)

諸羽流青眼崩し

 毎回かかさずに見ていたのが、『旗本退屈男』だった。主演は中村竹弥。映画で市川
右太衛門を見ていたので、だいぶ見劣りがしたが、テレビで退屈男が見れたことに満足
したよ。
 中村竹弥は、右太衛門の退屈男のスタイルをそのまま踏襲していた。青眼に構えた刀
を、左足を前に出した逆足にして、刀を真直ぐに立てる立てる諸羽流青眼崩しも、徳川
初期の旗本奴みたいな浪人風の総髪も、三波春夫もマッツァオという豪華絢爛な衣装
も……。
 佐々木味津三の原作には、諸羽流青眼崩しの構えは書かれておらず、頭髪も“青月
代”だし、衣服も黒羽二重だった。私たちがイメージしている退屈男のスタイルは全て
右太衛門が考案したんだよ。

 主演の中村竹弥は、歌舞伎の裏方出身で、舞台活動をしていたところを、1955年に
TBS(当時はKRテレビ)の『江戸の影法師』の主役に抜擢され、一躍売出した。『江戸の
影法師』は同局が初めて挑戦した時代劇で、この成功を受けて『右門捕物帳』『旗本退
屈男』と続けて主演することになる。
 私が中村竹弥を知ったのは『旗本退屈男』からだった。明朗さには欠けるものの、退
屈男の豪放さは上手く演じていたと思う。この番組は、前編・後編の二回完結形式だっ
たが、出演者は常に同じ顔ぶれだった。新東宝の女優だった筑紫あけみや、悪役専門
の山岡徹也が役名を変えて毎回登場していた。俳優を固定化することで出演料をおさえ、
製作費を安くあげてたんだろうなあ。

 中村竹弥の持味が発揮されたのは、1962年の『新選組始末記』の近藤勇だ。徳川
幕府に最後まで忠誠をつくす、生真面目で融通のきかない武骨者の性格が、中村竹弥
のキャラクターと一致していた。
 子母沢寛の同名の史伝を忠実にドラマ化した『新選組始末記』は、芥川隆行の名ナ
レーションと、ドラマの内容にマッチした哀愁を帯びた主題歌で始まる。従来の幕末も
ののドラマでは断片的にしか知られてなかった新選組の姿を、その結成から近藤勇の
死までを、史実に基づいてダイナミックに描いていた。これまでは虚構の世界でしか知
られていなかった新選組の活動が、この番組で視聴者に史実として把握されたことは、
後の幕末ものに大きな影響を与えた。その意味では、幕末歴史ドラマの先駆けといっ
てもいいだろうな。

 中村竹弥以外には、土方歳三に戸浦六宏、沖田総司に明智十三郎、芹沢鴨に金子
信雄といった配役だった。
 明智十三郎の表情の乏しい演技が、逆に沖田総司の朴訥さを感じさせた。明智十三
郎は新東宝出身の俳優で、新東宝時代には松平長七郎を主人公とした“若君漫遊記”
シリーズの主演作がある。テレビにおいても『若君日本晴れ』という、同じキャラクターの
主演ものがあるが、私は見ていない。

 新東宝という映画会社は、「来なかったのは軍艦だけ」といわれ、占領軍まで介入し
た東宝争議のさなか、映画作りに情熱を燃やす俳優と、東宝撮影所従業員組合が
1947年3月に創立した会社だった。しかし、確固たる配給網を持っていなかったので、
常に経営危機と直面しており、61年5月に製作を中止し、事実上倒産した。新東宝の
14年間の歴史は、大きく二つの時代に分けることができる。大蔵貢が社長をしていた
時代と、それ以前とである。新東宝のスターというのは、大蔵時代の専属俳優をいう。
大蔵以前のスターというのは東宝からの移籍組みで、新東宝に来る以前からのスター
だったのだ。

 大蔵体制になる直前の54年に、出演料1本30万円と、自動車の送り迎えという条件
で、新東宝に入社したのが若山富三郎だった。弟の勝新太郎は、一足早く大映入りし
ていた。新東宝の期待を一身に担った感じだが、思ったほど人気が出ず、58年に退
社し、60年に東映に移るまで、テレビで『銭形平次捕物控』に主演していた。
 若山富三郎は立回りがうまいので、十手のような扱いにくい武器を器用に使って迫
力を出していた。ただ投げ銭に関しては、映画の長谷川一夫が一番だな。  

 テレビにおける銭形平次は、62年の安井昌ニを経て、66年の大川橋蔵が極めつけ
となる。なにしろ原作を500も上回る888回、18年も続いた長寿番組だからね。銭形
平次といえば大川橋蔵となるが、初代・若山富三郎も捨てたもんではありませんよ。

若山富三郎

大川橋蔵

 大川橋蔵の映画における代表作は『新吾十番勝負』だね。八代将軍吉宗の御落胤
という毛並みの良さに加え、眉目秀麗な青年剣士という設定は、キリッとした中に艶っ
ぽさをにじませ、プリンス的な優雅さを持つ二枚目俳優の橋蔵にはうってつけだった。

 57年に発表された川口松太郎の小説は、58年12月にテレビ化された。大川橋蔵
の映画が59年だから、テレビの方がわずかであるが早いことになる。
 主演は、新東宝の悪役スターだった江見俊太郎。中川信夫監督の最高傑作である
『東海道四谷怪談』が新東宝最後の作品だった。主人公の民谷伊右衛門をたきつけ
る、悪の権化のような直助を好演。『新吾十番勝負』の前年に、同じ日本テレビで『眠
狂四郎』を主演しているが、こちらは未見。特攻隊の生き残りである江見俊太郎は当
時35歳だったが、孤愁の青年美剣士・葵新吾を演じても違和感はなかった。

 吉宗が松平頼方と名乗っていた頃、行列のお共先をみだした商人を無礼討ちする。
その娘と許婚者が頼方を仇とねらって失敗し、娘は頼方の側室にむかえられ新吾を生
む。許婚者だった庄三郎は新吾をさらい、武州大台ヶ原の自源流の道場に預ける。
 新吾は、庄三郎と、庄三郎の剣の師である梅井多門を親代わりに成長し、自源流の
達人真崎備前守の直伝を受ける。新吾18歳の時に、秩父八幡の宮司の娘お縫を救う
ために、黒田家の次席家老の息子を斬ったことから、黒田家の怒りをかい窮地におち
いる。梅井多門は新吾救出のために出生の秘密をあかすことになる。自分の出生に悩
みつつ、父母への慕情を胸に秘め、新吾は剣の修行を志して、全国を遍歴する。

 テレビでは他に田村正和、松方弘樹、国広富之らが演じたが、61年にフジテレビ系列
で放送された『新吾二十番勝負』の夏目俊二はひどかった。宝塚テレビ映画の時代劇役
者で、立回りはうまいのだが、哀愁・華麗さがなく、育ちの良さという雰囲気がまるでなか
った。59年の『十六文からす堂』の飄々とした浪人役が一番似合っていた。

   (左)徳川吉宗:大友柳太郎
   (右)葵 新吾 :大川橋蔵

タイトルへ    次ページへ