忍者ブームとなった『隠密剣士』
沢村精四郎は『紅孔雀』の前年の1961年に『猿飛佐助』を主演している。これは、
九字を切り、印を結ぶとドロンと消えたり、何かに化けたりする従来の忍術映画と
異なり、<撒きびし>や<しころ>といった忍者道具を使った本格的なものだった。
しかし、猿飛佐助という立川文庫のヒーローとリアリズムにはギャップがあり、見て
いて違和感を覚えた。これが、猿飛佐助という既成の忍術使いでなく、白土三平が
描くような忍者であれば、また違っていたかもしれない。当時、マンガ(劇画)の世界
では、白土三平が本格的な忍者を描いており、私たちの世代に忍術使いでない、
忍者が深く浸透してきていたからね。
忍者をビジュアルに表現して成功したのが、62年10月からスタートした『隠密剣士』
だった。主演は月光仮面の大瀬康一。宣弘社の初めての時代劇なら、大瀬康一も時
代劇初出演。最初は刀がうまく使えず、立回りもギコチなかったが、手が血マメだらけ
になる猛稽古で“高段者の太刀さばき”と云われるまでになったとのこと。
幕府の財政建て直しのため、老中松平定信から豊かな物産を有するエゾ地を調べ
る依頼を受けたのが、将軍家斉の腹違いの兄・松平信千代、又の名を秋草新太郎。
隠密剣士となってエゾ地へ向かうが、行く手の松前藩の懐刀・鬼場陣十郎が新太郎
の命を狙うべく、待ちうけている。
鬼場陣十郎には、快傑ハリマオの勝木敏之。第三部忍法伊賀十忍でも、伊賀忍者
の頭領として敵役で登場していた。
第一部は忍者の登場しない純粋チャンバラだったが、第二部忍法甲賀衆から、忍者
相手の立回りとなった。『伊賀の影丸』に登場する忍者のように、特殊な術を使う13人
の忍者を、毎回一人づつ倒していく展開だった。13人が、いっぺんにかかっていったら、
隠密剣士でも勝てなかったんじゃないかと、後で思いましたよ。甲賀忍者の頭領は友田
輝。大凧に乗って爆弾攻撃をするんだが、友田輝は悪人らしくなく、迫力がなかった。
第三部で牧冬吉の霧の遁兵衛が初めて登場した。牧冬吉は第二部で、隠密剣士に
味方して仲間を裏切る敵の甲賀忍者役で出演している。この時のキャラクターが霧の
遁兵衛に踏襲された感じだ。空中を飛ぶアクロバティックな忍者の動き、手裏剣が連続
して飛んでくるといった派手なアクションがこの頃から定着する。天井裏や床の下といっ
た狭い場所での立回りは、テレビの小さな画面もハンデにならず、凄い迫力があった。
元体操選手という牧冬吉の本物の忍者顔負けの動き、忍者握りという刀の握り方、腰
をかがめて七三の構えから、手裏剣を連続して投げるスタイルに感激したんだよ。
第五部忍法風摩一族の巻で、隠密剣士の忍者ブームは頂点に達する。<くない>や
<しのび鎌>といった忍者の武器はもちろんのこと、新式の火薬や竜の頭をつけた潜
水艦まで登場する。頭領の風摩小太郎は天津敏だった。傲岸不遜な面構えとドスの利
いた声。闇の世界で、暗殺・謀略・破壊といったテロ活動を行う恐るべき集団の、頭領に
相応しい強烈な個性を持っていた。
『隠密剣士』は、64年に東映で2本製作されるが、どちらも天津敏が忍者の頭領を演じ
ており、後の東映任侠映画になくてはならぬ悪役の片鱗を見せていた。
監督は『月光仮面』の時代から、宣弘社のテレビ映画の監督を一手に引き受けていた
船床定男。そういえば、藤純子も甲賀のくノ一で出演していたなあ。
大瀬康一のシリーズは65年3月で終了し、引き続き林真一郎の『新・隠密剣士』がスター
トする。牧冬吉の霧の遁兵衛は、継続して登場していたが、前ほど人気を得ることができな
かった。
カラー放送による『隠密剣士』が、73年10月から翌3月にかけて荻島慎一主演で再度
登場するが、チャンバラも忍者も、子どもの人気の対象ではなくなっていた。
一方、大瀬康一は『黒い編笠』を最後に芸能界から引退した。
新・隠密剣士
再・隠密剣士
1963年から65年にかけて巻き起こった忍者ブームは、既に62年にその前兆が現れ
ていた。マンガ界では、貸本マンガ(マンガといわず劇画といっていた)のエースであった
『忍者武芸帳』が幅広い層で読まれており、メジャー雑誌の「少年」で61年から連載を開
始した『サスケ』も人気が出てきていた。少年マンガ界の四天王のひとり横山光輝が、
「週刊少年サンデー」で61年から連載を開始した『伊賀の影丸』も大人気マンガとなって
いた。『伊賀の影丸』は、64年頃人形劇で放映されていたが、内容が小学生低学年向き
だったので、2〜3回見た程度。
小説の世界では、『甲賀忍法帖』からはじまる山田風太郎の忍法小説がブームとなり、
63年から翌年にかけて《山田風太郎忍法全集》全15巻が刊行されている。奇想天外な
山田忍法とは対照的にシリアスな忍者の世界を描いたのが、60年に発表された村山
知義の『忍びの者』だった。山本薩夫監督により、市川雷蔵主演で62年に映画化され、
大映のドル箱シリーズになる。64年に東映テレビ映画が、品川隆二主演でテレビ化した。
忍者の非情な世界を品川隆二が熱演していたが、学校じゃあ話題にならなかったなあ。
仲間うちで人気があったのは『忍者部隊月光』だった。“空を飛び 風を切り 進み
ゆく忍者 正義の味方……” デューク・エイセスの歌う主題歌がタイトルバックに流
れ、忍者部隊が音もなく現れる。隊長・月光の掌と指を使って出すサインで、隊員た
ちは作戦行動をおこす。俊敏な動きで敵の基地に進入し、物音も立てずに手裏剣で
敵を倒していく。仲間を助けるため、隊員の三日月が拳銃を射つと、隊長の月光が
怒った。
「バカ! 射つやつがあるか。拳銃は最後の武器だ。われわれは忍者部隊だ」
このフレーズは学校でも流行り、色々言葉を変えて使われた。例えば、遅刻しそうで
学校へ急いでいる時、走って追いぬいていった同級生に対して、「バカ! 走るやつ
があるか。走るのは最後の武器だ。われわれは忍者部隊だ」といった具合にさ。結
局、私も駆け出すハメになるのだが……。教室にコッソリ入る時は、もちろん掌と指
を使ったサインで、級友に合図するんだよ。
全員が、揃いの皮ジャンや迷彩色の戦闘服に、月のマークのついた鉄カブト(ヘル
メットのイメージじゃないんだな)、背中に刀を背負い、胸のホルスターには拳銃という
現代版忍者だった。正義と人類の平和を守ることを使命とする“あけぼの機関”という、
まるで右翼団体のような組織に所属している。伊賀・甲賀の流れをくむ5人の忍者部
隊が、人類滅亡をねらう国際ゲリラ組織や秘密結社の悪人たちに立ち向かうという
内容だった。64年1月から66年3月まで放送され、主演の水木襄は評判を呼び、子
どもたちのアイドルとなった。メンバーは途中で入れ替えがあり、女性隊員の三日月
は銀月に代わった。私の好みは、三日月の方だったので、少し残念な気がした。
スタートから人気番組となり、東映で64年にすぐに映画化された。水木襄他5人の
レギュラーに、新隊員3名を加えた強力忍者部隊が編成された。空陸海に展開する
特撮シーンふんだんのアクションは、今から考えるとチャチいものだが、映画ならでは
の迫力があったよ。
原作は「週刊少年キング」に連載されていた吉田竜夫の『少年忍者部隊 月光』で
ある。テレビと異なり、太平洋戦争を舞台とした戦記マンガだった。陸軍中野学校で
訓練を受け、伊賀・甲賀の忍法を習得した少年兵として登場する。
隊員は全部で8人。その隊長が“月光”こと月田光平だった。後部にプロペラのつ
いた幻の戦闘機“震電”が彼らの専用機である。第二次大戦中、ゼロ戦より高性能
の秘密戦闘機として研究されていたが、生産は間に合わなかった。だけど、プラモデ
ルの戦闘機のラインアップには必ず入っていたね。
番組そのものは今イチだったが、忍者アニメ『風のフジ丸』は忍法講義コーナーが
面白かった。それは、番組ラストの3分間の「忍術千一夜」で、本間千代子が案内人
となって、戸隠流忍法34代宗家・初見良昭氏に忍法の秘伝をあれこれ質問するのだ。
なにしろホンモノの忍者が解説するのだから説得力がある。いろいろな忍者道具の
使い方や、忍者の実際をフィルムで紹介してくれるので、知ったかぶりの私には学
ぶべきところが多かった。ところで、戸隠流忍法というのが、小説や映画で登場しな
いのは何故だろう……?
“時は戦国 嵐の時代……”の主題歌ではじまる『風のフジ丸』は、白土三平の『忍者
旋風』が原作だった。原作の主人公は風魔小太郎だったが、フジ丸になったのは、スポ
ンサーが藤沢薬品だったから、というのは前に書いたよね。