●八幡の歴史をもっと学ぶための書籍 |
八幡市の歴史を学ぶための書籍。本ホームページは、これらの本を参考に作成しています。またこれらの本は、市民図書館の参考図書室の一角、郷土図書コーナーや八幡市松花堂庭園図書コーナーで閲覧できます(一部はできないものもあります)。 2011.12.10更新 |
番号 | 書籍名 | 編者/著者 | 発行者 | 発行年 | 概要 |
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001 | 洛陽名所集 | 山本泰順撰 | 上村次郎右衛門 | 寛文4年 (1664) | 全12巻12冊。巻之六に八幡の記述あり |
002 | 菟藝泥赴(つぎねふ) | 北村季吟 | 貞享元年 (1684) | 全8巻9冊。第八巻に八幡宮、石清水、上高良など14項目にわたって八幡の記述あり | |
003 | 雍州府志 | 黒川道祐 | 貞享3年 (1686) | 山城風土記。京都学の古典の書。 | |
004 | 名所都鳥 | 不明 | 洛陽書林/吉田四郎右衛門ほか | 元禄3年 (1690) | 山城の名所を山、川、野、池、岡、井、瀧、道、橋など37種に分類。それぞれに郡名を付し40の挿絵を入れている。八幡の名所には八幡山、男山、美濃山、放生川、山ノ井などが見える |
005 | 都名所図会 | 秋里仁左衛門 著 竹原信繁 絵 | 吉野家為八 | 安永9年 (1780) | 巻5 放生川、宿院、下高良社、上高良社、影清塚、滝本坊旧跡、正法寺、女郎花塚、石清水八幡宮 |
006 | 拾遺 都名所図会 | 天明7年 (1787) | 巻4 | ||
007 | 都林泉名勝図会 | 秋里籬嶋 著 佐久間草偃・西村中和・奥文嶋 画 | 吉野家為八 | 寛政13年 (1801) | 巻5 松花堂の案内あり |
008 | 細見 男山放生会図録 | 画工 速水春暁斎 彫刻 井上治兵衛 | 京都書林 堺屋仁兵衛 | 文政4年 (1821) | 男山放生会の行列図 |
009 | 男山考古録 | 藤原尚次 | 藤原尚次 | 嘉永元年 (1848) | 石清水八幡宮並びに付近の事柄を記した石清水大観というべき書物 |
010 | 淀川両岸一覧 | 暁晴翁著 松川半山画 | 山城屋佐兵衛、河内屋喜兵衛、俵屋清兵衛 | 文久元年 (1861) | 淀川両岸一覧は、全4冊からなる旅行案内記であるが、八幡市の記述は、上り船之巻の上巻である。そこには、橋本のあたりをゆく旅情が紹介されている。 |
011 | 八幡山名所案内記 | 藤原尚次 | 慶応2年 (1866) | 慶應2年に作成された長濱家所蔵版。石清水八幡宮の名所を簡潔に130カ所を紹介。 | |
012 | 護国女太平記 | 不詳 | 明治18年 (1885) | 江戸時代後期の作。八幡を舞台にした大坂の豪商、淀屋辰五郎の記載が見える | |
013 | 山城綴喜郡誌 | 京都府教育会綴喜郡部会 | 京都府教育会綴喜郡部会 | 明治41年 (1908) | 名所旧蹟のほか、人物、風俗、地理、政治、教育、産業などを紹介 |
014 | 松花堂真蹟三十六歌仙短冊帖 | 松花堂昭乗 | 西東書店 | 大正1年 (1912) | |
015 | 新撰 京都名勝誌 | 京都市教育会 | 京都市教育会 | 大正4年 (1915) | 男山八幡宮、神應寺、円福寺、橋本、放生川を紹介 |
016 | 東山の麓より | 成瀬無極 | 大鐙閣 | 大正7年 (1918) | 著者が京都での生活を始めて10年を経た記念に作られた。「男山八幡」と題し、石清水祭について記述あり |
017 | 京都府史蹟名勝地調査会報告 第一册 | 京都府 | 臨川書店 | 大正8年 (1919) | 八幡市の西車塚古墳を収録。同古墳上には「八角堂」が男山山頂から移築されている。 |
018 | 光悦及松花堂 | 斉藤隆三監修 | 新古画粋社 | 大正8年 (1919) | |
019 | 松花堂印譜 | 滝本坊昭乗 | 風俗絵巻図画刊行会 | 大正9年 (1920) | 芸苑叢書 第1期 |
020 | 趣味の旅 古跡めぐり | 笹川臨風 | 博文館 | 大正14年 (1925) | 写真は大正14年発行の改訂8版である。本書では「松花堂あと」と題し、12ページに渡って記述している。 |
021 | 明治維新神佛分離史料 | 鷲尾順敬ほか | 東方書院 | 大正15年 (1926) | 本書は明治の神仏分離令にかかる史料集で、続編を含めると全5巻からなる。その上巻には「石清水神社神仏分離調査報告」「石清水八幡大神魚味奉供の達」が収録されている |
022 | 氏神と八幡の正體 | 岸 一太 | 北隆館 | 昭和3年 (1928) | 石清水八幡又男山八幡宮と題した小項目の記述と「明治維新 神仏分離史料」を付録で記載する |
023 | 京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十冊 | 京都府 | 京都府 | 昭和4年 (1929) | 「美濃山の横穴」について紹介 |
024 | 新京都めぐり 京洛の史蹟 | 淺井虎夫 | 緑掎軒 | 昭和5年 (1930) | 「男山 山崎行き」の項に神應寺、男山(石清水)八幡宮、松花堂墓、小野頼風墓等14カ所を紹介 |
025 | 松花堂画帖 | 松花堂昭乗 | 松花堂画帖刊行会 | 昭和5年 (1930) | 雪、月、花 |
026 | 八幡瀧本坊藏帳 附 不二山黙々寺記 | 益田鈍翁 | 益田家藏版 | 昭和6年 (1931) | 和本、非売品 |
027 | 京都府史蹟名勝天然記念物調査報告 第13册 | 京都府 | 臨川書店 | 昭和7年 (1932) | 昭和58年に復刻版。東車塚庭園ほか |
028 | 石清水八幡宮史 全9册 | 石清水八幡宮社務所 | 石清水八幡宮社務所 | 昭和7年 (1932) | |
029 | 八幡史蹟 | 中村直勝 | 京滋探遊会 | 昭和11年 (1936) | 男山及び八幡付近の史実と史蹟とを15項目に分けて紹介されている |
030 | 京都府史蹟天然紀念物調査報告 第十七册 | 京都府 | 臨川書店 | 昭和12年 (1937) | 八幡町志水瓦窯址について記述 |
031 | 松花堂昭乗 | 佐藤虎雄 | 河原書店 | 昭和13年 (1938) | 昭乗の家系、社僧の昭乗、昭乗の交友、昭乗の入定、昭乗の歌道・書道、八幡名物、茶室松花堂など、松花堂のすべてをこの一冊で知ることができる |
032 | 星岡 第97号 | 井川定慶ほか | 星岡茶寮 | 昭和13年 (1938) | 井川定慶氏による寄稿「椿の本陣と松花堂」を収録 |
033 | 郷土研究 上方 八幡男山號 | 南木芳太郎編/中村直勝・井川定慶ほか | 創元社 | 昭和13年 (1938) | 中村直勝氏による「石清水八幡宮略説」、井川定慶氏による「松花堂と大坂・堺」、柴田実氏による「松花堂の遺構」のほか、「洞ヶ峠と筒井順慶」「女郎花塚」などが紹介されています。 |
034 | 東洋美術文庫第37巻 松花堂 | 佐藤虎雄 | アトリエ社 | 昭和14年 (1939) | 本書の半分以上が図版が占める。その数48点。西村氏所蔵の昭乗のたばこ盆が目を引く。 |
035 | 随筆 松花堂 | 井川定慶 | 立命館出版部 | 昭和14年 (1939) | |
036 | 京都古銘聚記 | 川勝政太郎、佐々木利三 | スズカケ出版部 | 昭和16年 (1941) | 石清水八幡宮の「永仁の石灯籠」などを紹介 |
037 | 茶室 | 千 宗守 | 河原書店 | 昭和17年 (1942) | 松花堂が紹介されている |
038 | 淀川 | 北尾鐐之助 | 京阪電気鉄道株式会社 | 昭和18年 (1943) | 「男山山上展望」「橋本と山崎の渡船」について紹介 |
039 | 近畿 茶室行脚 | 岡田孝男 | 晃文社 | 昭和18年 (1943) | 本書は八幡の松花堂のほか、大阪、奈良、京阪沿線、京都の43の茶室を紹介されている。図版も多い。 |
040 | 石造美術と京都 | 川勝政太郎 | 高桐書院 | 昭和21年 (1946) | 本書の図版には、石清水八幡宮の「永仁の石灯籠」(重要文化財)が、皇太神宮遙拝所にあった当時の写真が使われている。石清水八幡宮の石灯籠について32行にわたって紹介されている。 |
041 | 京阪神叢書2 淀川 | 北尾鐐之助 | 宝書房 | 昭和21年 (1946)12月20日 | 男山山上展望、橋本と山崎の渡し船について記載 |
042 | 京都古蹟行脚 | 川勝政太郎 | 臼井書房 | 昭和22年 (1947) | 石清水と八幡の寺々で、神應寺、石清水八幡宮、薬薗寺、善法律寺、八角院、松花堂、円福寺について紹介 |
043 | 京阪神叢書6 男山 | 中村直勝 | 宝書房 | 昭和22年 (1947) | |
044 | 短歌風土記 山城の巻 | 吉井勇 | 創元社 | 昭和22年 (1947) | |
045 | 茶室百選 裏千家 松花堂 | 佐々木三味 | 芸艸堂出版部 | 昭和23年 (1947) | |
046 | 吉井勇歌集 残夢 | 吉井勇 | 矢部良策 | 昭和23年 (1947) | 吉井勇が八幡市の寶青庵に住まいしていた頃の作品集。松花堂庭園に建立されている歌碑、「昭乗といへる・・」を収録。 |
047 | 南やましろ 上古中古篇 | 京都府立桃山高等学校郷土史研究部 | 京都府立桃山高等学校 | 昭和25年 (1950) | |
048 | 続 京都歳時記 | 高桑義生 | 推古書院 | 昭和26年 (1951) | 石清水八幡宮、石清水祭、橋本、松花堂円福寺を紹介 |
新着 | 大山崎史叢考 | 吉川一郎 | 創元社 | 昭和28年 (1953) | 大山崎の歴史は、石清水八幡宮と重要な関係を持っている。石清水の神人の中で、一番力を持っていたのは大山崎神人であった。本書では「石清水八幡宮大山崎神人」が取り上げられている。 |
新着 | 史蹟行脚 京都 | 川勝政太郎 | 京都出版社 | 昭和30年 (1955) | 石清水八幡宮、石清水社、薬園寺、善法律寺、八角院、松花堂、円福寺を紹介 |
049 | 淀川 | 井上俊夫 | 三一房書 | 昭和32年 (1957) | 淀の水車と三川合流点、八幡と橋本 |
050 | 関西文学散歩 (上巻)大阪、堺・淀川両岸 | 野田宇太郎 | 小山書店新社 | 昭和32年 (1957) | 淀川両岸の項に、橋本、蘆刈、八幡道、吉井勇と八幡、寶青庵、円福寺と松花堂 |
051 | 石清水八幡宮史料叢書 全5巻 | 藤原尚次著 毛利秀義編ほか | 石清水八幡宮社務所 | 昭和35年〜 (1960〜) | 男山考古録を第1巻に収録する全5巻からなる |
052 | 京都古寺巡礼 | 川勝政太郎 | 社会思想社 | 昭和39年 (1964) | 川勝政太郎著の「京都古蹟行脚」に続く第2段。石清水八幡宮を紹介 |
053 | 松花堂昭乗 | 中村昌生 | 淡交新社 | 昭和41年 (1966) | 淡交新社発行のテキストブック「茶人編」。謎の出生、社僧昭乗、応山と昭乗、鐘楼坊と瀧本坊の茶会など中村昌生氏が執筆 |
054 | 京都名園記 下巻 | 久恒秀治 | 誠文堂新光社 | 昭和44年 (1969) | 松花堂庭園について紹介 |
055 | 重要文化財石清水八幡宮社殿修理報告書 | 京都府教育庁文化財保護課 | 京都府教育委員会 | 昭和44年 (1969) | 石清水八幡宮本殿の他、8棟の修理報告書 |
056 | 寛永の三筆 | 春名好重 | 淡交社 | 昭和46年 (1971) | 松花堂昭乗は寛永の三筆の一人 |
057 | カラー京都の魅力 | 中村直勝 | 淡交社 | 昭和46年 (1971) | 男山(石清水)八幡宮、松花堂、円福寺を美しいカラー写真で紹介 |
058 | 近畿歴史探訪 | 徳永真一郎 | 新人物往来社 | 昭和47年 (1972) | 京都府域ては、大山崎の油座の特権、天王山勝敗の岐路の地で石清水八幡宮について触れているが、大阪府域の淀屋橋の項で八幡に住まいした淀屋の記述が興味深い |
059 | 京都の石造美術 | 川勝政太郎 | 木耳社 | 昭和47年 (1972) | 八幡市の関係部分は、「五輪塔をさぐる」と題する編で、日本最大級の規模を誇る航海記念塔が登場する。 |
060 | 京都の文化財 南山城編 | 京都府教育委員会 | 松香堂 | 昭和47年 (1972) | 式部谷遺跡、金右衛門垣内遺跡、西車塚古墳、志水瓦窯跡、石灯籠、石清水八幡宮文書、石清水八幡宮、五輪塔、行教律師座像など八幡市の文化財28が紹介されている |
061 | 古都の港・淀納所の歴史 | 中村富三郎 | 汐文社 | 昭和47年 (1972) | 本書の第3章には「男山八幡宮(かって石清水八幡宮は、こう呼ばれていた)と与杼神社」について紹介されている。 |
062 | 京都古社寺詳説 平安前期編 | 出雲路敬和 | 有峰書店 | 昭和49年 (1974) | 「第五章 八幡の神の信仰と東寺」で石清水八幡宮について詳細に紹介している |
新着 | 京都 古文化財細見記 | 出雲路敬和 | 京都銀行協会 | 昭和50年 (1975) | 石清水八幡宮、石清水祭について紹介している |
063 | 京都考古学散歩 | 樋口隆康 | 学生社 | 昭和51年 (1976) | 「第6章 石清水八幡宮から奈良山まで」で、石清水八幡宮、西車塚古墳、史跡松花堂などを紹介 |
064 | 神々と民衆運動 | 西垣晴次 | 毎日新聞社 | 昭和52年 (1977) | 石清水八幡宮と志多羅神について紹介されている |
065 | 京都古寺巡礼 | 川勝政太郎 | 社会思想社 | 昭和53年 (1978) | 石清水八幡宮について紹介 |
066 | 日本名跡叢刊 第20回配本 江戸 松花堂昭乗 長恨歌 | 小松茂美監修 | (株)二玄社 | 昭和53年 (1978) | 松花堂昭乗31歳のとき、近衛信尋(応山)のために手本として書いた書を紹介 |
067 | 日本の美術 寛永の三筆 | 是澤恭三 | 至文堂 | 昭和53年 (1978) | 監修は文化庁、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館で、収録されている資料も半端じゃない。松花堂作品に触れることができる。 |
068 | わが淀川 やぶにらみ浪花噺 | 井上俊夫 | 草思社 | 昭和54年 (1979) | 石清水八幡宮と山崎の離宮八幡宮を結ぶ「燈明の渡し」について紹介 |
069 | つくばい百趣 | 北尾春道 | 河原書店 | 昭和54年 (1979) | 松花堂のつくばいとして、太子形の手水鉢について紹介している |
070 | 京都の社寺建築 南山城編 | 財団法人 京都府文化財保護基金 | (財団法人 京都府文化財保護基金 | 昭和54年 (1979) | 京都府南山城地域に所在する未指定文化財の社寺建築について、京都府教育庁文化財保護課が中心となってまとめた報告書。 |
071 | 八幡市誌 第2巻 | 八幡市誌編纂委員協議会 | 八幡市 | 昭和55年 (1980) | 第4編 中世の八幡 第5編 近世の八幡 |
072 | 日本歴史地名大系26 京都府の地名 | 柴田実、高取正男 | 平凡社 | 昭和56年 (1981) | 京都府の歴史地名について詳しく解説 |
073 | 京都府地名大辞典(上巻) | 足利健亮 上島有ほか | 角川書店 | 昭和57年 (1982) | 総説、地名編 |
074 | 燈用植物 | 深津 正 | 法政大学出版局 | 昭和58年 (1983) | エジソン電球に使われた八幡竹を紹介 |
075 | 八幡市誌 第3巻 | 八幡市誌編纂委員協議会 | 八幡市 | 昭和59年 (1984) | 第6編 近代の八幡 第7編 現代の八幡 |
076 | 茶道誌 淡交 三月号 特集 八幡名物 | 納屋嘉治 | 淡交社 | 昭和59年 (1984) | 八幡名物とは、松花堂昭乗所有の茶道具であった。 |
078 | 史跡松花堂およびその跡 発掘調査概報 | 石清水八幡宮 | 石清水八幡宮 | 昭和59年 (1984) | 泉坊・松花堂跡の調査で出土した瓦の写真、詳細な図面がふんだんに使われた報告書 |
078 | 京都百話 京都千年への案内 | 奈良本辰也ほか | 角川選書 | 昭和59年 (1984) | 石清水八幡宮の一つだけだが八幡神と神風について興味深く書かれている |
079 | 淀川往来 | 上方史蹟散策の会 | 片岡 衛 | 昭和59年 (1984) | 木津の流れ橋、石清水八幡宮、松花堂昭乗、神應寺と淀屋辰五郎、八幡の町あれこれ |
080 | 京都男山の植物 | 廣江美之助 | 田中文清 | 昭和60年 (1985) | 石清水八幡宮御鎮座1125年を記念して作成された男山全山の植物植生調査書 |
081 | 続石清水八幡宮史料叢書 全3巻 | 石清水八幡宮 | 石清水八幡宮社務所 | 昭和60年 (1985) | 田中家文書、菊大路家文書からなる全3巻 |
082 | 八幡市誌 第1巻 | 八幡市誌編纂委員協議会 | 八幡市 | 昭和61年 (1986) | 第1編 八幡の自然環境 第2編 先史の八幡 第3編 古代の八幡 |
083 | 重要文化財伊佐家住宅 内蔵・東蔵・乾蔵・・・修理工事報告書 | 京都府教育庁指導部文化財保護課 | 京都府教育委員会 | 昭和61年 (1986) | 八幡市上津屋浜垣内にある重要文化財伊佐家住宅の内蔵・東蔵・乾蔵・二階蔵・木小屋・高塀の修理工事報告書。伊佐家は江戸時代において累代幕府領の庄屋を勤めた。 |
084 | 南山城の歴史的景観 | 乾 孝次 | 古今書院 | 昭和62年 (1987) | 南山城の地理的・歴史的性格、南山城の地形環境、歴史的景観の復元、明治期以降の景観と今後の開発の諸問題とその課題 |
085 | 八幡正法寺の絵画と書跡 | 京都府立山城郷土資料館 | 京都府立山城郷土資料館 | 昭和62年 (1987) | 山城郷土資料館で開催された企画展で発行された書籍 |
086 | 神道大系 石清水 | 財団法人 神道大系編纂会 | 財団法人 神道大系編纂会 | 昭和63年 (1988) | 石清水八幡宮に伝来する文書を収録 |
087 | 淀川絵巻 | 木村きよし | 保育社 | 昭和63年 (1988) | 語るよりも見せる。絵巻風に著者による力作鳥瞰図 |
088 | 京都府指定文化財 正法寺書院修理工事報告書 | 建築文化研究所 | 正法寺 | 平成元年 (1989) | 昭和59年12月に着工し、平成元年3月に完成を見た正法寺書院修理工事報告書 |
089 | けいはんな風土記 | 門脇禎二監修 | 関西学術研究都市推進機構 | 平成2年 (1990) | 「平安京と石清水八幡宮」〜石清水八幡宮の成立〜石清水八幡宮の荘園〜 「東高野街道」を紹介 |
090 | 木津川歴史散歩 南山城をめぐる | 斉藤幸雄 | かもがわ出版 | 平成2年 (1990) | 本書は斎藤幸雄が著した2册の「木津川歴史散歩」の第1段。 |
091 | 料理名由来考 | 志の島忠・浪川寛治 | 三一書房 | 平成2年 (1990) | 八幡市発祥の「八幡巻」のルーツが紹介されている |
092 | ヒル塚古墳発掘調査概報 | 八幡市教育委員会 | 八幡市教育委員会 | 平成2年 (1990) | 八幡市美濃山ヒル塚古墳の発掘調査概要 |
093 | 八幡文化のふるさと 文化財の数々をみる | 八幡市教育委員会 | 八幡市教育委員会 | 平成3年 (1991) | 石清水八幡宮、石田神社など神社4社、神應寺、正法寺など寺院21が紹介されている。善法律寺の愛染明王座像、正法寺の阿弥陀如来立像など |
094 | 山城国綴喜郡八幡 正法寺古文書目録 | 京都府立山城郷土資料館 | 京都府教育委員会 | 平成3年 (1991) | 八幡市八幡清水井にある正法寺は、鎌倉時代初期に創建された浄土宗の古刹である。徳川御三家の尾張藩の祖、義直を産んだお亀の方を輩出した寺でもある。この正法寺に伝来した中世から近世の古文書の調査報告書である。 |
095 | 重要文化財 正法寺本堂修理工事報告書 | 京都府教育委員会 | 京都府教育委員会 | 平成4年 (1992) | 寛永6年〜7年にかけて建設された本堂の修理工事報告書。 |
096 | 八幡宮の建築 | 土田充義 | 財団法人 九州大学出版会 | 平成4年 (1992) | 八幡信仰は九州を・宇佐を発祥地としている。本書は宇佐八幡宮を初め石清水八幡宮の社殿建築を紹介する。 |
097 | 続・木津川歴史散歩 | 斉藤幸雄 | かもがわ出版 | 平成4年 (1992) | 流れ橋、飛行神社 |
098 | 松花堂昭乗 茶の湯の心と筆墨 | 大和文華館 | 大和文華館 | 平成5年 (1993) | 「特別展 松花堂昭乗」の出品作品をまとめたもの |
099 | 狛犬学事始 | ねずてつつや | ナカニシヤ出版 | 平成6年 (1994) | 南山城地域で最も古い狛犬は上奈良・御園神社の狛犬だと著者は言う |
100 | まちと暮らしの京都史 | 岩井忠熊 | 文理閣 | 平成6年 (1994) | 「しだら神と石清水八幡宮」について紹介 |
101 | 寺院神社大事典 | 平凡社編 | 平凡社 | 平成9年 (1997) | 京都・山城地域の寺院と神社の大事典 |
102 | 地方史研究 第271号 | 林 英夫 | 地方史研究協議会 | 平成10年 (1998) | 石清水八幡宮と大山崎神人 離宮八幡宮の成立と機能をめぐって 小山田陽子著 |
103 | 神主と神人の社会史 | 橋本政宣・山本信吉編 | 思文閣出版 | 平成10年 (1998) | 石清水八幡宮神人の経済活動、身分と商業と題して鍛代敏雄氏の論文が紹介されている |
104 | 内里八丁遺跡 | 京都府京都文化博物館学芸第二課 | 京都府京都文化博物館 | 平成10年 (1998) | 第二京阪道路建設に伴う京都府八幡市所在遺跡の調査報告書 |
105 | 文化燦燦2 | 石清水八幡宮崇敬会 | 石清水八幡宮崇敬会 | 平成11年 (1999) | 石清水八幡宮研究所田中君於氏による「男山四十八坊」文化講演会の内容をまとめた。 |
106 | 石清水八幡宮文書外 | 続群書類従完成会 | 続群書類従完成会 | 平成11年 (1999) | 本書は筑波大学所蔵の文書のうち、石清水八幡宮文書・香取文書・長福寺文書・雑文書を収めている |
107 | 大阪の街道と道標 | 武藤善一郎 | 武藤善一郎 | 平成11年 (1999) | 八幡市内を縦貫する東高野街道について紹介されている |
108 | 神応寺文化財調査報告書 | 八幡市教育委員会 | 八幡市教育委員会 | 平成13年 (2001) | 八幡市教育委員会が平成8年12月から神應寺の調査を開始し平成13年3月にまとめた調査報告書である。 |
109 | 松花堂昭乗関係資料調査報告書 | 八幡市 | 八幡市 | 平成14年 (2002) | |
110 | 松花堂茶会記と茶の湯の世界 | 八幡市立松花堂美術館 | 八幡市立松花堂美術館 | 平成14年 (2002) | 松花堂美術館が平成14年10月20日から12月1日にかけて開催した特別展「松花堂茶会記と茶の湯の世界」に発行 |
111 | 神社紀行 石清水八幡宮 | 学習研究社 | 学習研究社 | 平成15年 (2003) | 学研の週間神社紀行30 石清水八幡宮。石清水八幡宮がいっぱいの本 |
112 | 八幡正法寺の名宝展 | 八幡市立松花堂美術館 | 八幡市立松花堂美術館 | 平成16年 (2004) | 松花堂美術館が平成16年10月9日から11月28日にかけて開催した特別展「八幡正法寺の名宝展」に発行 |
113 | 神仏分離の動乱 | 臼井史朗 | 思文閣出版 | 平成16年 (2004) | 神仏分離令に最後まで抵抗した石清水八幡宮。その動揺は尋常ではなかった |
114 | 男山で学ぶ人と森の歴史 | 八幡市教育委員会 | 八幡市教育委員会 | 平成17年 (2005) | 石清水八幡宮が鎮座する男山の自然を、その歴史と人々の生活との関わりの中から見直そうと、資料提供など市民参加の調査報告集としてまとめられている |
115 | 八幡市遺跡地図 | 八幡市教育委員会 | 八幡市教育委員会 | 平成17年 (2005) | 八幡市の埋蔵文化財について知る一冊 |
116 | 松花堂昭乗の眼差し | 松花堂美術館 | 松花堂美術館 | 平成17年 (2005) | 松花堂美術館開館3周年を記念して開催された特別展の作品集 |
117 | 神仏習合の聖地 | 村山修一 | 法蔵館 | 平成18年 (2006) | 石清水八幡宮と護國寺について記述 |
118 | 志水廃寺第4次・月夜田遺跡発掘調査報告書 | 八幡市教育委員会 | 平成19年 (2007) | 奈良時代から平安時代の初めにかけて機能していた溝状の遺構が確認された | |
119 | 石清水八幡宮諸建物群調査報告書(本文編) | 八幡市教育委員会 | 平成19年 (2007) | 報告書は、石清水八幡宮境内にある未指定建造物を対象とした3年間にわたる調査報告である。 | |
120 | 石清水八幡宮諸建物群調査報告書(図版編) | 八幡市教育委員会 | 平成19年 (2007) | 報告書は、石清水八幡宮境内にある未指定建造物を対象とした3年間にわたる調査報告で図版77点を掲載する。 | |
121 | 南山城の俳諧 芭蕉・蕪村・樗良 | 京都府立山城郷土資料館 | 京都府立山城郷土資料館友の会 | 平成19年 (2007) | 「八幡八景 石清水八幡宮と連歌」が興味深い |
122 | 戦国期の石清水と本願寺 | 鍛代敏雄 | 法蔵館 | 平成20年 (2008) | 戦国期の淀川流域に位置した権門寺社の石清水八幡宮寺と真宗教団の大坂本願寺。二大寺社の「宗教領主」としての実態を都市自治や物流、交通の視点から考察 |
123 | 没後370年 松花堂昭乗 先人たちへの憧憬 | 松花堂美術館 | 松花堂美術館 | 平成21年 (2009) | 松花堂美術館の特別展で発行された冊子 |
124 | 古社名刹 巡拝の旅 淀川の岸辺 | 集英社 | 集英社 | 平成21年 (2009) | 石清水八幡宮、水無瀬神宮の特集 |
125 | 石清水八幡宮境内調査報告書 | 八幡市教育委員会 | 八幡市教育委員会 | 平成23年 (2011) | 平成19年度から23年度にかけて実施された国庫補助事業による石清水八幡宮境内調査報告書 |
洛陽名所集 【編著者】山本泰順撰 【発行者】上村次郎右衛門 【発刊年】寛文4年(1664) 【所蔵所】 全12巻12册で構成される。巻之六に八幡の記述を見ることができる。ここで取り上げられているのは、八幡、石清水、放生川、八幡山、男山、男塚女塚の6項目。 |
菟藝泥赴 【著 者】北村季吟 【発行者】 【発刊年】貞享元年(1684) 【所蔵所】 著者の北村季吟は近江国野洲郡北村に住んでいた人で、通称は久助、号は呂庵、後に拾穂軒といった。医者であったが、京都に出て師について和歌、俳諧を学び、国文学の研究にも力を入れ、「源氏物語湖月抄」「枕草子春曙抄」「土佐日記抄」などを著し多くの功績を残したという。元禄二年、季吟の好学が広く伝わり、幕府に召された。本書は淀城主稲葉氏の強い願いにより、貞享元年、山城一円の名勝旧跡社寺に関する故事由緒について、国文学的な色合いを強く持った書物として完成したという。 八幡市に関する記述は14項目ある。八幡宮、譽田天皇、上高良、下高良、狩尾、下院、石清水、極楽寺、鳩峯、男山、女郎花塚、放生河、片岡達磨、狐河である。 |
雍州府志 【編著者】黒川道祐 【発行者】 【発刊年】貞享3年(1686) 【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館、松花堂美術館図書室 平安京は中国・長安(現在の西安)をお手本にして創られました。この長安の所在地が「雍州」であり、これにならって平安京の所在地を雍州といったことがこの書名の由来とするところです。また、そのあとに続く「府誌」とは地方誌という意味を持っています。 さて、本の著者は黒川道祐といい、静庵・遠碧軒とも号しました。安芸藩の儒医でした。その物を観る眼を発揮して多くの書物を執筆し刊行。雍州府志もその一冊でした。この書は、天和2年(1682)4月までに書きためたものを10冊に編集してもので、山川、城池、寺社、土産等を地域別に扱い、さながら「京都案内書」といえるものでした。 本書に見える八幡にかかる記述は、巻3の八幡宮、若宮、若宮殿、水若宮、住吉社、武内社、高良社、狩尾社。巻5の神宮寺、薬師寺、足立寺、神應寺、善法寺、円福寺、浄徳寺が見える。 また、雍州府志補遺では、金橋、橋本、大谷、放生川、八幡五井、山井,園、遙拝、美濃山、御幸谷、三国橋が見える。巻10では杉山塔、景清塔、如法塚、相応院殿塔、竹腰山城守塔、志水氏墓、男女塔が見える。 【八幡宮】 男山石清水の地にあり。男山、あるいは雄徳山と称し、また鳩の嶺と号す。欽明天皇三十一年冬、肥後國菱形の地辺、民家の児、三歳の時、神託して曰く、我はこみれ人皇十六代誉田八幡麻呂なりと。ここにおいて勅使を差し、豊前國宇佐の宮に鎮座す。しかうして八幡と称す。一説に、昔、白幡四つ、赤幡四つ、天より筑前國那珂郡筥崎に降る。すなはち、その処に松を植えて、標とす。その跡、今に至りて存す。これによりて、八幡の号を得といふ。伝えいふ、貞観元年秋七月、八幡太神、鳩の峯に移る。はじめ、釈行教、南都大安寺に居す。この僧、俗種、武内大臣の裔なり。かつて貞観元年宇佐の神祠に詣し、一夏九旬、昼は大乗経を説き、夜は密咒を誦す。一夕、夢中に太神告げて曰く、久しく法施を受く、師に離れんことを欲せず、師王城に帰らば、我もまた随ひ行き、王城の側に居て、まさに皇祚を護るべし。教、やうやく山城州山崎に到る。その夜、また、夢中、太神告げて曰く、師、我が居る所を見よと。覚めてこれを見れば、東南男山鳩の峯の上、大光を現ず。教、晨を凌ぎて、光を発するの地に到る。実に霊区なり。教、すなはち二事を録し、表をもってこれを奏す。帝、すなはち木工寮権允橘良基に詔したまひ、宇佐の祠規に准じて、六宇の新殿を造らしむ。すなはち正殿三宇・外殿三宇、合せて六宇なり。正殿三座、中は八幡宮、すなはち応神天皇なり.東は気長足姫尊、すなはち神功皇后なり。西は比口羊(ひめ)大神、すなはち玉依姫なり。その社規、魏々然たり。嵯峨院、源姓を諸皇子に賜ふ。すなはち八幡宮をもって氏神としたまふ。この社をもって、本朝第二の宗廟とす。山下第一の鳥居、八幡宮の額は、藤佐理卿の筆跡なり。山上狩尾神社は、これ当山地主神にして山腹の護國寺薬師は、八幡勧請以前より当山にあるところなり。行教の弟、僧正益信、護國寺の検校たり。同じく俗姪、安宗、別當たり。はじめ宇佐より従ひ来る紀氏ならびに大神氏、たがひに神職を勤む。古へ八社家あり。善法寺・田中・新善法寺・壇・園・西竹・東竹等、これなり。検校・別當の両職は、すなはち勅任なり。この中、多くはこれ紀氏にして、武内の裔なり。大神氏は絶ゆ。今、伶人山井・近江等、その余流なり。八社家のうち、田中は、もと、護國寺の別當たり。しかれども、今においては、別にを置きて護國寺を守らしめ、みづから八幡宮の社家となり、禁闕の祈祷を勧む。善法寺・新善法寺は、公方家の祈祷を修す。善法寺・田中・新善法寺、八幡においては三門主と称す。各々裘代を著す。行願寺の行円等もまた、これを著す。故に、世に、革堂上人と称す。しかれども、神社においては革を忌む。故に、裘代と称す。その衣色、濃紫にして、黒を帯ぶ。僧正著すところの緋衣と大きに同じくして、小しき異なり。これによりて、謬り伝へて、三門主僧正にあらずして緋衣を著すといふ。毎年二月・十一月初の卯の日、神楽あり。禁裏の御神楽に准じて、伶人山井・多・豊(ぶん)・安陪等、これを勤む。同じく八月十五日、放生会あり。伝えへいふ、神功皇后三韓を征する時、多くの人命を断つ。故に、魚鳥を放つ。追薦の徴意に比して、当山においてこれを修するものなりと。この法会、社僧、最勝王経を講ず。この経の中、放生の事あり。故にこれを修すといふ。元正天皇養老四年、はじめて執行したまふ。その後、久しく絶ゆ。社家の内、田中、特にこれを嘆き、東武に請ふ。延宝七年、放生会の料、禄若干を下賜、再び廃礼を興す。毎年、上卿・参議・弁・六府ならびに諸役人等、参向してこれを勤む。その余の神事、枚挙に遑あらず。神領、今において六千七百石余あり。社家の説に、この地、もと久世郡にして、八幡社のある所は、久世郡科手郷に属す。およそ、男山の麓、河原村より以南、綴喜郡なり。旧記の載するところ、各々然り。近世、誤りて綴喜郡とするものか。 【若宮】 同処、本社の艮隅にあり。応神天皇の皇子にして、大鷦鷯尊を祭るところなり。すなはち、仁徳天皇これなり。 【若宮殿(にゃくうどの)】 若宮の右にあり。これ、応神天皇の姫宮なり。 【水若宮】 若宮の左にあり。これもまた、応神天皇の季子、菟道稚郎子(うぢわかいらつこ)にして、宇治皇子と号する、これなり。 【住吉社】 本社の北ににあり。 【武内社】 本社内殿西北の隅にあり。これ、武内大臣を祭るところにして、上高良明神と号する、これなり。 【高良社】 八幡山下にあり。筑前国高良山よりこの処に移る。西の一座は住吉を祭る、東の一座は武内を祭るものなり。これを下高良明神と称す。武内大臣、千珠・満珠両顆をもって海に投ず。故に、あるいは玉垂命と号す。およそ、この社、船の形を表して、これを建つるものなり。 【狩尾社】 八幡山の西にあり。これ、国常立尊・大己貴尊・天児屋根命の三座を祭るところなり。男山地主神にして、八幡太神遷座以前の勧請するところなり。このほか護國寺ならびに宝塔院、合せて三所、共に同じく然り。 【神宮寺】 八幡山石清水の麓にあり。真言宗にして、八幡宮の供僧たり。光仁帝の時、はじめて八幡比売神宮寺を造ると。けだし、この寺か。 【薬師寺】 八幡の山腹にあり。本尊薬師は、すなはち、当山の地主なり。大江匡房卿゜、疾病を祈る。平復の後、脇侍十二神将を造り、本尊の左右に置く。匡房卿の願文、この寺火災に罹る時、鳥有となる。惜しき哉。古へ、田中、この寺の別当たり。今、真言宗の僧をして、交々これを守らしむ。 【足立寺】 男山の西にあり。樟葉村の南より山に登るの路なり。和気清麻呂、道鏡が怒りに触れて、脚の筋を断ち、紫陽に放たる。宇佐八幡の加護によりて、両脚たちまち癒えて、歩行、故の如し。ここにおいて、足立寺を創す。八幡宮還幸の日、この寺もまた、この山に建。今、寺は絶えて、山の名となる。 |
名所都鳥 【編著者】不明 【発行者】吉田四郎右衛門、丸屋源兵衛、田原嘉兵衛 【発刊年】元禄3年(1686)2月 【所蔵所】 「名所都鳥」は全6巻からなる。5巻と6巻は上下2巻からなるので、全体としては8册である。選者は不明。山城の名所を以下の37種に分類し紹介している。 山、川、野、池、岡、井、瀧、道、橋、森、水、谷、石、峯、崎、芝、島、名木、谷、坂、嶽、里、原、尾、瀬、林、峠、田、淵、宮社院園、雑、堤、越、古城、塚、壇、畷、薗である。 それぞれの名所には郡名が付されている。なお、八幡の名所は次の10カ所となっている。山/八幡山(男山鳩ケ峯)、美濃山 川/放生川 井/山之井(ここでは、八幡五井として、石清水、獨鈷の水、阿加井、藤井、筒井をあげている)橋/安居橋 谷/御幸谷 峠/洞ヶ峠 塚/如法塚、男塚女塚 園/園(八幡の園地区では「世に賞する八幡牛蒡」を産すると紹介され、八幡巻きのルーツを見ることができる) |
都名所図会(前朱雀) 【編著者】秋里仁左衛門著 竹原信繁絵 【発行者】吉野家為八 【発刊年】安永9年(1780)8月 【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館、松花堂美術館図書室 「名所図会」とは地誌、名所案内書の一種で、名所の解説と絵図とが一緒になった本です。 最初の名所図会として出版されたのが、この『都名所図会』で、刊行は安永9年(1780)8月のことでした。『都---』とは、京の「都」のことで、いわば江戸時代における京都の地誌です。 美濃本6巻6冊からなる『都名所図会』の著者は秋里仁左衛門といい、号は雛島。絵は竹原信繁、号を春朝斎によるもの。そして、出版者は京都、寺町五条上ルで本屋を営んでいた吉野屋為八という人です。瀧沢馬琴の随筆『異聞雑稿』に書かれている「吉野屋為八」によると、吉野屋為八は京都、五条に住む商人で「京の図会を売り出したい」と半分、趣味も手伝って発案。三百両という大金をつぎ込んで当時京都で出版されていたすべての「名所記」という板株(出版権)を本屋から買い取りました。このあと、為八は俳譜師の秋里離島に執筆を、画工竹原春朝斎に図会を描いてくれるよう依頼。そして2人を3年もの間、丸抱えにして完成させ、さらに版木の彫り終わるまであと2〜3年の月日を費やしました。その間の費用は二千両にものぼったといいます。 やっと完成した『都名所図会』は、為八の思惑に反して、思うように売れませんでした。しかし、為八は、「自分の趣味で出した本だから」と、さほど気にはかけずにいたそうです。その後、大坂城代の若狭小浜の藩主が、所用で江戸に参向した時、親類縁者への土産にと『都名所図会』を十数部もっていったところ、これが評判になって、その翌年から急に年四千部も売れるベストセラーになりました。このときの大坂城代が牧野越中守貞長(安永6年〜天明元年5月11日まで在任)といわれています。 『都名所図会』は神社仏閣の鳥瞰図が多く見られます。また、当時の風俗や人々の生活を描いた絵図に人々の風俗や生活を眺めることができます。(以上、宗政五十緒著「都名所図会を読む」を参考) 生き生きと伝える八幡の名所 『都名所図会』の巻5 前朱雀には八幡の名所が紹介されています。 紹介文は神宮寺、放生川、宿院、阿弥陀堂、下高良社、上高良社、鳩が峰、石清水、影清塚、滝本坊旧跡、志水、正法寺、女郎花塚、石清水八幡宮など。絵は「八幡神宮寺」「八幡御旅所疫神社、阿弥陀堂」「石清水八幡宮」「放生会」「志水正法寺」の5点。「八幡神宮寺」の絵では、今の市営駐車場あたりと思われるところの農地を耕す人が生き生きと描かれています。「八幡御旅所疫神社、阿弥陀堂」の絵からは、安居橋が当時は平らな橋だったこと、その上流に架かる橋が反り橋だったことがわかります。謎の多い航海記念塔が絵に見えません。日本一の大きさなのに描かれていないのはどういうことなのか、また一つ謎が深まります。 |
拾遺 都名所図会 【編著者】秋里仁左衛門著 竹原信繁絵 【発行者】吉野家為八 【発刊年】天明7年(1787) 【所蔵所】八幡市民図書館 江戸時代後期に刊行された「---名所図会」は一種の案内書で、名所の解説文と主要な名所の絵図を掲げた本でした。それまでの本が、詳しい解説や挿絵が掲載されてはいなかったのが一般的だったのが、安永9年(1780)8月、『都名所図会』がその殻をを破って刊行されました。 刊行初年は思うようには売れなかったものの、翌年から急に売れだし、一か年に4000部という当時としてはベストセラーに。こうして『都名所図会』は摺刷に摺刷を重ね、遂に板木が傷み、版元は天明6年 (1786)正月、新たに版を刻して再刻本を出版。更にその続編が刊行されるに至りました。この本が天明7年(1787)に刊行された『拾遺都名所図会』でした。 著者は『都名所図会』と同じく、秋里仁左衛門、号雛島。京都、五条橋西の、源融の塩竈の旧跡、まがきが島の跡に住居したので離島と号したといいます。絵は竹原信繁、号は春朝斎といいます。本姓松本、名は信繁、通称門次といい、大坂の人です。絵を坂本春汐斎に学びました。寛政12年(1800)没、享年未詳。出版者は、京都、寺町五条上ルに住んでいた本屋、吉野屋為八です。為八は『拾遺都名所図会』に続いて大和国の名所図会『大和名所図会』を出版し、更に『住吉名勝図会』・『摂津名所図会』・『和泉名所図会』・『東海道名所図会』などを刊行しました。 江戸時代の京都地誌を代表する本は、『都名所図会』と続編の『拾遺都名所図会』の2冊であると言われるぐらいに著名な本です。 八幡の名所が載っているのは巻4で、八幡山(男山のこと)、頼風塔、達磨堂円福寺,長の松、橋本、川口天満宮,内里王塚が紹介されています。また、挿絵は幣原円福寺の1箇所です。 |
都林泉名勝図会 【編著者】秋里仁左衛門著 竹原信繁絵 【発行者】吉野家為八 【発刊年】寛政13年(1801) 【再版】昭和50年(1975)6月25日、柳原書店 【所蔵所】八幡市民図書館 写真の本は、秋里仁左衛門作の『都林泉名勝図会』大本5巻6冊を活字翻刻したもので、底本には寛政11巳歳仲夏、小川多左衛門の刊記を有する本を参考にして、柳原書店によって昭和50年に発行されたものである。 八幡の記述は、巻之五に見える。そこには、「男山」の項に、放生会の斎行についての記述が見える。また、八幡八景が紹介されている。そのほか、松花堂昭乗の草庵茶室や石清水祭の神幸の絵を見ることができる。 |
細見 男山放生会図録 【編著者】画工 速水春暁斎 彫刻 井上治兵衛 【発行者】京都書林 三条通柳馬場東角 堺屋仁兵衛 版 八幡平谷町 大和屋九郎兵衛 【発刊年】文政三年(1820)辰四月 御免 同四年(1821)巳八月 成刻 【所蔵所】 【大きさ】縦30.0センチ×16.5センチ 【ページ】44ページ 男山放生会の行列を生き生きと描いた図録。石清水八幡宮の3神が3基の鳳輦(ほうれん)に移り、本殿から総勢500余名のお供が付き添って絹屋殿まで下る神幸(しんこう)の儀。その夕刻、頓宮を出発し、神幸の儀と同じくお供が付き添って山上本殿に還幸になる還幸(かんこう)の儀に参加する人々の姿が描かれている。あわせて、八幡宮紀略、男山鎮座、放生会起、神事次第について書かれている。 |
男山考古録 【編著者】藤原尚次 【発行者】(初版)藤原尚次 (復刻版)京都府綴喜郡組合立男山中学校編 (復刻版)石清水八幡宮 【発刊年】(初版)嘉永元年(1848)5月 (復刻版)昭和26年1月30日(謄写版) (復刻版)昭和35年8月1日 【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館、松花堂美術館図書室 【大きさ】縦21.5センチ×15.5センチ(昭和35年版) 【ページ】555ページ(昭和35年版) 八幡の歴史を振り返るとき、そのバイブルとなっているのがこの「男山考古録」で、その解説文には「言わば石清水八幡宮並びにその付近のことも詳記した『石清水大観』」といって不可ないものである。だから石清水八幡宮や付近の事柄について何か理解し、あるいは研究しようとするならば、まず、この考古録に問うてみるのが順序であろう」と述べています。事実、石清水八幡宮では、座右書のひとつとして、絶えずこれを見、社務運営の参考にされているといいます。 著者は石清水八幡宮の宮大工 藤原尚次は寛政9年(1797)、石清水八幡宮の宮大工直次の子として生まれました。そして、父の後を継ぎ宮大工となり、嘉永元年(1848)、「男山考古録(全15巻)」を著しました。 その執筆には約半年を要したと尚次の記述が見えますが、その資料収集には数十年を要し、また、読破した諸文献は300余冊にも及んだといいます。こうして著された男山考古録は、こういった諸文献と同じ傾向をもつ大観的記述で、男山を中心とする古跡、事物、行事がその由来とともに詳細に記載され、そのものによっては尚次自身の鋭い考察をもってその評価がされているのが興味深いものとなっています。 この考古録、実はその原本は、石清水八幡宮社務所に秘蔵されていましたが、昭和22年(1947)2月12日の炎上によって灰燼に帰してしまいました。その後、有志らが諸本を探し求め、幸運にも山本九兵衛、辻村豊夫両氏の書架にその写本が見つかり、男山中学校の先生たちが中心となって昭和26年1月30日に復刻となり、こうして私たちはいま、八幡の歴史にふれることできるのです。 男山考古録編纂の言葉から 廣幡八幡三所皇大紳、貞観のむかし、わが石清水の所に大宮所敷坐しより、いやさかえに榮えて、峯に尾に堂杜いとなみ建られ、麓に里に軒をつらねて、名だたる所こそ多く成たりけるが、中津世の亂に焼亡壊顛なそして、今其蹟所さだかならぬがうへに、古記ともうしなはれ、たまたまに遺れるは寫誤あるがままに、狡意たちして己自恣佛さた、漢こころに解ひかめて、本の在りかたを損ひつるも少からず、おのれ年に月にそれの證を索めて、石清水のみなもとに遡に、中つ瀬の濁をなかし、本のこころを汲あげて、雄徳山の古今、有とある事實を、よどむくまなく清らにせまほしと、見るに搴し聞に録せし記とも、百の數をかさねぬ、それ皆ひとつにいひ出んのこころあれども、かにかく道にうとく、見る事の淺きから、おもひたとりて定めかねつ、さらばとてあらましのみにて閣むも朽をしく、今は老の心短く、おのがむねにはあらぬ事とも多かれど、先はし近き名所の由來の大概を其中より抜出て、千世のふる道猶問むにつきにもなれかしと、去年の秋より今年の春かけて、神仕の隙々思ひ出るまにまに、ついでをも分たず筆に任せて、とみに物せしに、三か一もいふべきを云はず、いかにも短みぢかくとど思ひ居れども、くだくだしさにや、かく十餘五巻にはなりぬ、かれ次々つづり出べきふみどもあれは、此ふみまたあらため書むのいとまなし、眞に下草の亂れたる儘なりけり、 さるをふみ分て見む人あらば、誤れるを正し、知ざるをさとし、もれたるは補ひてよ、今やふるきを温ねて、絶たるを興し給ふ大御代、かかる時をうしなひて、いたづらに在るものかは、其故、蹟をしのび、其神縁を仰ぎ、誠忠を憤發して猶ふたたびの営あらば、男山の昔にかへり、さらにさかえて道のためにこそ、 嘉永元年三月末の二日 石清水宮工司 藤原尚次 謹誌 |
八幡山名所案内記 【編著者】藤原尚次 【発行者】藤原尚次 【発刊年】慶應2年(1866) 【在本所】八幡市民図書館 【大きさ】縦15.1センチ×横7.2センチ 【ページ】 本書は、慶応二年(1866)に開板されたものである。著者は石清水八幡宮の祠官長浜尚次である。151ミリメートル×72ミリメートルの折本で、石清水八幡山の摂社、末社、宿院、宿坊、名木、名橋、名水、碑、道などの項目にわたって記されている。平安時代以来、「南祭」として石清水祭礼はつとに有名であったが、幕末期文久三年(1863)四月、孝明天皇の「石清水行幸」によって大いに盛りあがった時期があった。本書はそうしたものを背景に、あらためてつくられた『案内記』といってよかろう。(『八幡山名所案内記』が収録されている『新撰 京都叢書 第五巻』の巻頭の言葉から) ※写真は、『八幡山名所案内記』が収録されている『新撰 京都叢書 第五巻』 |
松花堂真蹟三十六歌仙短冊帖 【編著者】松花堂昭乗 【発行者】西東書店 【発刊年】大正1年(1912) 【所蔵所】 【大きさ】 【ページ】 |
新撰 京都名勝誌 【発行者】京都市教育会 【発刊年】大正4年(1915)10月30日 【所蔵所】 【大きさ】縦22.5センチ、横15.4センチ 【ページ】551ページ 本書は京都市及びその周辺の名勝を網羅するとともに有名な祭典、社寺の宝物、史蹟・旧跡を考証し、重要物産の沿革現状を略述し、写真を挿入し、詩歌、俳句を収録し・・・と、その概要を紹介している。八幡の記述は、「西山巡り」の項にある。橋本、男山八幡宮(明治元年から大正7年まで、石清水八幡宮は「男山八幡宮」と改称された)、男山祭、神應寺、円福寺が紹介されている。 |
東山の麓より 【編著者】成瀬無極 【発行者】対鐙閣 【発刊年】大正7年(1918)11月18日、再版 大正7年12月7日 【所蔵所】 【大きさ】縦18センチ、横10.2センチ 【ページ】586ページ 著者が京都に移り住んで10年を経たことを記念し、作成された。項目の中の「男山八幡」は、240ページから244ページまでの5ページにわたって石清水祭を中心に紹介されている。 |
京都府史蹟名勝地調査会報告 第一册 【編著者】京都府 【発行者】京都府 【発刊年】大正8年(1919)6月25日、復刻再版 昭和58年6月30日(臨川書店) 【所蔵所】八幡市民図書館 【大きさ】縦26.2センチ、横19センチ 【ページ】135ページ、図版50ページ 図書の写真は、昭和58年に復刻されたもの。八幡市に関する記述は、「西車塚古墳」である。この西車塚古墳の上には、男山にかつてあった八角堂が移築されている所である。本書では、「西車塚古墳上に八角堂が移築されたことにより、古墳内部の破壊を免れたが、明治35年6月18日に境内の土工に際し、遂に石室に堀り当たり、遺物を出すに至った。このとき、出土の副葬品は東京帝室博物館の所蔵になり調査できないものの、室は全く破壊されていた」とある。遺物とは、古鏡5面、車輪石10、石釧3、鍬形石3、石製品1、勾玉11、管玉120、小玉72、木片4、刀残片27としている。 |
光悦及松花堂 【編著者】斉藤隆三監修 【発行者】新古画粋社 【発刊年】大正8年(1919) 【所蔵所】 【大きさ】 【ページ】
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