三の鳥居
三の鳥居地図
さんのとりい
空白線
三の鳥居

所在地:八幡市八幡高坊

三の鳥居は、石清水八幡宮の表参道を登り切った神馬舎前にある。石造りの鳥居は、本殿に通じる石畳の参道をまたぐようにそびえている。この三の鳥居が初めて建てられたのは、南北朝が統一されてまもない応永7年(1400年)7月16日のことであった。

それから約200年間、鳥居は大木を用い、朱塗りにし、金で飾られ、非常に美しかったようだ。しかし、木造であったため、時々作り替えが行われ、多大の費用を要するためか、正保2年(1645年)正月に石造りに改められた。その石柱には、松花堂昭乗の門人である法童坊孝以の筆によって、本殿に向かって右側の柱に源家の霊を崇め、武門繁栄の祈請文(「石清水八幡宮者 本朝如在之宗廟 源家尊崇之英霊也 方今 奉為 武門繁栄懇祷 邦国安泰 奉謹雕巨石 以為華表而建立 正保二年五月吉日 従四位下行信濃守大江姓永井尚政 民部卿法印林道春誌之《)が記されたが、鳥居は安永3年(1774年)6月23日の台風で倒れてしまった。
そして、同年8月3日、木造による仮の鳥居が作られたが、その後、安永6年(1777年)3月に鳥居の石柱を湯谷(現在の神馬舎西横に通じる登り口)へ引き上げ、復旧に取りかかった。この工事には町の多くの人々が参加し、賑々しく行われたという。そして、翌年5月28日に再建された。

鳥居の起源や語源については、古来様々に論じられてきたが、中国の革表(宮城・墓陵などの前に立っている標柱)が原型であるとの説が一般的である。また、語源については、「門居(かどすえ)《が転化したとの説が有力。おそらく、神域を外界から区別するしめ柱のようなものと、住宅や宮殿の門とが複合してその形式が固定したものと思われる。

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