Greatest Drivers
このコーナでは、往年の名ドライバをご紹介していきたいと思います。
第1回は、私がF1を見はじめた年のチャンピオンである、ジェームス・ハントです。


第1回 James Hunt(Great Briten)

「東洋で初のF1レース」
小学校の卒業アルバムの巻末「今年の出来事」に、こんなタイトルで載っていた1976年日本グランプリ。土砂降りの雨の中このレースで3位に入り、この年のチャンピオンを決めたのがジェームス・ハント(マクラーレン・フォード)。私がF1を見始めて最初のチャンピオンである。
 この年チャンピオンを争ったのはハントと、ニキ・ラウダ(フェラーリ)。優勝の懸かったこのレース、ラウダは激しい雨に危険と判断し、3周でリタイア。ハントも雨の上がった終盤、タイヤ交換のタイミングを誤り5位まで順位を落とし、チャンピオンを逃したかに見えたが、残り5週、必死の走りで何とか3位まで順位を上げてフィニッシュ。チャンピオンを決めた。
 ハントについて特に記憶しているのが、その自由奔放さ。パーティでもジーンズにTシャツ姿で現れ、周囲のヒンシュクを買っても知らぬ顔。そんなライフ・スタイルが走りにも表れて、速いときは目茶苦茶速いが、マシンを壊すことも多く「壊し屋ハント」のあだ名がついたほど。どこか今のマンセルに似たキャラクタ(マンセルがハントに似ているが正しい表現か?)でファンを魅了した。私もそのファンの一人。
 1979年あっさり引退。戦闘力の劣るマシンでのレースに嫌気が刺したらしい。その後、英国BBCのF1解説者をつとめ、ライフスタイル通りの歯に衣を着せぬ毒舌で人気を得ていた。
 1993年6月、心臓発作で死亡。享年45歳。このニュースをF1中継で古舘伊知郎が報じたときに、ハントを「(よれよれの出で立ちに)過去の栄光を背負った寂しさ」と、既におちぶれてしまったかのようなコメントを発し、「この人ほんとにハントを知ってるの?」と、疑った覚えがある。

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