特集F1の歴史「TechnologyとRegulationのいたちごっこ」
モータースポーツは当然ではあるが速い者勝ち。エンジニアはそのために知恵を絞り、あらゆるテクノロジーを駆使して速いマシンを開発しようとする。特にF1はモータスポーツの頂点、巨額な費用をかけ恐ろしいスピードで技術は進歩し、マシンは速くなる。
しかし速くなればなるほど、ドライバーへの負担は人間の限界を越え、危険が増す。また、技術を得るためにはそれなりのお金が必要。マネーパワーがマシンの性能を決め、結局チーム間格差は広がる一方。特定チームしか勝てない状況に陥ることもある。
このような、安全面、興行面、はたまた政治的要素まで絡んで、マシンの速さを抑制するレギュレーションもまた、技術の進歩にあわせ改正されていった。F1の歴史は、こんな「技術と規制のいたちごっこ」の繰り返し、とも言うことができる。この結果、レギュレーションによって葬り去られた技術もたくさんある。
そこで、数回にわたりこのいたちごっこの結果禁止にされた「技術」にスポットをあて、私の知る範囲で掘り起こして行こうと思います。
第一回目は6輪車です。

第1回 「6輪車」
1976年第4戦スペインGPで、ケン・ティレルおじさんのティレルチーム(当時はタイレルと読んでいた)から奇抜なマシンがデビューした。そのマシン"P34"は、前にタイヤが4本、まるでサンダーバードに出てきた未来カーのような、後にも先にも公式レースに出場した史上初の6輪F1だったのである。
なぜ前輪を4輪にしたか? F1マシンの運動性能、特に「曲がる」「止まる」「加速する」は、どんなカテゴリのマシンと比べてもダントツ優れている。ところが、「最高速度」は、WSCカーやルマン・カーには劣ってしまう。なぜか。おわかりかと思うが、むき出しの巨大なタイヤが空気抵抗となって直線スピードを抑えてしまうからである。それじゃ、タイヤを小さくしよう! というのが6輪車誕生の発端。ティレルの場合は、前輪を小径にして、前から見るとスポーツカーノーズにタイヤを隠し、前面の空気抵抗を減らし、直線スピードを稼ごうというのが当初の目論見。しかし、タイヤを小さくすると前輪の接地面積が少なくなってグリップが低下し、コーナーリング・スピードが落ちてしまう。それじゃ小さいタイヤを2本追加すれば接地面積を普通のタイヤ2本より稼げる、という発想でこのマシンは誕生したのである。で、結果、実際に速かったのである。デビューレースでは、P.ドゥパイユが予選3位、決勝でもブレーキトラブルでクラッシュするまで一時3位を快走して見せる。特に、当初の目的である直線スピードにはたいした効果はなかったが、コーナーリング・スピードには驚くほどの効果があり、デビューから3レース目のモナコGPでは、J.シェクター2位、ドゥパイユが3位に入りそろって表彰台へ。そして次のスウェーデンGPではついにシェクター、ドゥパイユの1、2フィニッシュを決めてしまう。この年6輪タイレルは、優勝はこの1勝だけであったが、2位に9回入り、コンストラクター3位という現在のティレルからは想像もつかない好成績を納め、6輪車の優位を証明したのであった。
しかし翌年は、6輪車を開発したデザイナーがチームを去ったり、特注タイヤの性能が思うように上がらなくなったりで大不振に陥り、ティレルはこの年をもって6輪車を止めてしまう。この年から始まったティレルの不振がそのまま現在まで続いている。
6輪車は、このほかに当時のマーチ(のちのレイトン・ハウス)が後輪の空気抵抗を減らそうと、前輪と同じ大きさ(同じもの?)のタイヤ4本を駆動するマシンを試作したが、実戦投入にはいたらなかった。また、当時F1を題材にしたアニメをテレビでやっていて、あまり見なかったが主人公の乗るマシンが8輪車であったのを記憶している(当時のF1ドライバーが実名に近い形で出ていたと思ったが)。
現在のレギュレーションでは車輪は4本と決められており、もう6輪車にはお目にはかかれない。しかし規制がなかったとしてもセッティングの難しさや、重量、タイヤのことを考えると多分もう出てこないのではと思うのだが.....(6輪車の場合、レギュレーションで葬り去られたと言うより、自滅したと言うべきか...)。

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