黒田長政が築城・在番した機張倭城。蔚山と釜山の間に位置するこの城には、主郭を中心に今も石垣が残り、主郭からの海の眺めは最高でした! |
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今回は、釜田(プジョン)駅からKORAIL(韓国鉄道公社)東海南部 線で機張を目指します。海雲台(ヘウンデ)までは高層マンション等 が建ち並び、都会という感じですが、その後は、車窓に海が広がり、 良い眺めでした。鉄道好きな方はこのルートをおすすめします。 きっぷは窓口で購入しますが、ハングルで書いた紙を示せば、言葉 は通じずとも難なく買えました。窓口のお姉さんはとても親切でした! ただ、鉄道は本数が少なく、日中は1時間に1本足らずですので、海 雲台から蔚山方面に行くバスに乗る方が良いかもしれません。 |
釜田駅から30分ほどで、機張(キジャン)駅に到着です。 駅前から徒歩数分の機張市場付近にあるタクシー乗り場から、 タクシーで機張城に行きました。10分もかからなかったと思います。 料金は3400ウォン(250円くらい)でした。 バスの場合は、機張バスターミナルから竹城方面の循環バスが出 ていて、トゥホという折り返しのバス停で降りて数分で行くことができ ますが、ハングル表記しかないバスは、どうも苦手で利用しません でした。 |
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バス停から、少し戻ると小山が見え、その上に石垣が見えています ので一目で城とわかります。 |
お城の前には駐車場、トイレ、自転車置場まであり、観光客への配慮 が感じられます。 駐車場前には城を示す標識がありましたが、ハングルのみでした。 左は機張竹城里倭城、右は機張竹城里クロマツ(樹齢300年)です。 現地では竹城里倭城と呼ばれているようです。 |
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駐車場から城(主郭)までは階段が設置されていますが、いかにも 階段という感じで、もう少し景観に配慮して欲しいものです。 ちなみに左側の土塁は、倭城によく見られる登り石垣と通路の役目 を果たしていました。 |
階段横の土塁上にあった石碑です。 ハングルではなく、漢字表記になっています。 |
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階段を登り詰めると、虎口にあたる朽ちた石垣が見えてきます。 ここは搦手にあたります。 |
上記虎口を入ると主郭の石垣が現れます。 写真のとおり主郭の石垣はしっかりと残っています。 |
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お城からは海(竹城港)が一望できます。 入り江に多くの船が収容でき、兵站基地として、最適な場所にある ことがわかります。 |
主郭の虎口(搦手側)です。 石垣前には解説板があり、日本語表記もありました。 以下、表示板の日本語解説です。 機張 竹城里 倭城 釜山広域市 指定記念物第48号 この城は1593年日本軍が南海岸に長期間駐屯するために積み上げ た城である。竹城里の後ろ側の海岸の要衝地に位置していて多くの 船舶を収容できた。蔚山の西生浦と鶴城そして釜山城を連結する中 間の要地に位置している。 |
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主郭内から見た天守台です。かなり崩れています。 ここにどんな天守が建っていたのでしょうか。創造は尽きません。 |
天守台上から主郭内と海の眺めです。主郭は方形でまわりは塀や櫓 で囲まれていたのでしょう。 天守からの眺めは最高でしたでしょうね。 |
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先ほどの駐車場内にあるトイレです。竹城里にちなんで、竹をイメー ジしたつくりになっています。内部もこまめに清掃されているようで、 とてもきれいでした。 男子トイレは小便をしながらお城が見れるように窓があります。 となりは自転車置き場になっています。 |
竹城港からお城方向を眺めた写真です。 見た目は、日本の漁港とあまり変わりませんね。 ちなみに、左の高い方の山が主郭、そこから右側の少し盛り上がった 部分に朝鮮時代の城跡(後述)があります。 |
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主郭の北側には日本の石垣とは異なる石垣が残っています。 これは、朝鮮時代前記の水軍の城(豆毛浦鎮城)の跡で、日本軍が この鎮城を取り入れて築城したと考えられています。 機張倭城は、日本と韓国の城が同居している点で貴重な遺構です。 |
帰りはバスでと思いましたが、乗り損ねてしまい、徒歩で機張駅を 目指しました。徒歩の場合は40分近くかかりました。 写真は、南側(釜田側)から見た機張駅です。 先ほどの竹城港とは違って、駅周辺は高層マンションが立ち並び 都会といった感じです。 機張には、機張倭城以外にも機張市場や機張邑城等の見どころが ありますが、今回は時間切れでした。 また、次回ゆっくりと見に行きたいと思います。 H23.12.11 |
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