釜山倭城は、日本軍が上陸後、最初に攻撃した釜山鎮城の場所にあります。城は母城と子城に別れ、子城は日本軍の撤退後も鎮城として使用されました。子城部分は子城台(チャソンデ、正式名称は釜山鎮支城)と呼ばれ、現在は子城台公園として、倭城時代の石垣が残り、鎮城時代の楼閣や城門も復元されています。 |
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地下鉄1号線の凡一(ポミル)駅から徒歩10分くらいで子城台公園の 北入口(北門)に着きます。 |
西側から見ると城の真近まで家が密集し、かろうじて城の中心部のみ が残っているといった感じです。 |
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城は子城台公園となって、石垣上には遊具ならぬ屈伸や腕立てが できる体育施設が備えられている。 平日の朝ということで人はまばらで、おじいさんがトレーニング、ジョギ ングに励んでいました。みなさんお元気ですね。 |
公園の中に突如現れた石垣、これが天守台です。 勾配のある石垣で堂々としています。 |
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子城の主郭にあたる部分の南側には、鎮南台と明の将軍をたたえる 碑が建っています。 |
主郭内部の広場です。それほど広くはありませんが、バトミントン場 があり、市民の憩いの場になっています。 |
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すっかり公園化していますが、西側は2段の石垣がしっかりと残って います。 |
同じく西側にある竪石垣の一部(写真下)。この石垣の向こうには母 城があるので、そこまで石垣でつながっていたのかもしれません。 母城までは直線で900mくらいです。 |
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公園内の通路です。部分的ですが、石垣が残っています。 しかし、城に関する案内板は少なく知らない人は単なる公園としか 思わないかもしれません。 |
城の南側に位置する永嘉台は、朝鮮通信使が日本に向けて出発する にあたり、安全を祈願した場所です。 当時は佐川駅付近(KORAILの線路あたり)にありました。 |
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永嘉台に隣接する朝鮮通信使歴史館。通信使に関する展示、歴史 について解説されており、、日韓友好の歴史を伝える歴史館です。 |
城の東側に位置する鎮東門。鎮城時代の城門を再現したもの。 実際の位置よりも70mほどずれた位置に建っています。 今まで見てきた、日本式の石垣から一転して、韓国城郭の門が登場 する。まさに、韓国倭城特有の光景ですね。 |
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西門です。釜山倭城の子城は、日本軍が撤退したあとも鎮城として 利用されましたが、建物は日本統治時代に破壊されました。 |
鎮城時代の数少ない遺構である西門の礎石。 西門の両脇に埋め込まれています。 |
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南西側の子城立体橋付近から見た城です(真ん中の小山)。 当時は、城の近くまで海だったそうですが、現在は跡形もなく、完全に 市街地化しています。 |
同じ場所から、母城方向(真ん中の小山)を見た写真。 母城は、結構な高台にあることがわかります。 時間切れで、母城は次回以降に持ち越しです。 H23.12.12 |
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