鳥取藩の支藩である鳥取西館新田藩(2万石)は、幕末に若桜に陣屋を設置したため、若桜藩と称されました。
若桜は鳥取県の南東部にある山間の町で小規模ながらも昔の風情が残る城下町です。特に鶴尾山山頂にある「若桜鬼ヶ城」は播麿・但馬・美作・因幡をおさえる要衝の地に位置し、鳥取城、鹿野城とともに因幡三名城と言われています。

1泊2日(H25.12.29-30)の旅程でしたが、予想以上の大雪で交通は寸断、列車とタクシーを乗り継ぎ、何とか鳥取までたどり着きました。若桜陣屋と城下町には何とか行くことができましたが、若桜鬼ヶ城の登城は大雪で断念しました。雪解けを待って再チャレンジしたいと思います!
※本ページ最後に動画も載せていますので是非ご覧ください。


若桜には鳥取から若桜鉄道に乗り入れる直通列車があり1時間弱で行けます。
これが若桜駅です。レトロな駅舎です。
それもそのはず、国の有形登録文化財だそうです。
若桜鉄道は、映画「男はつらいよ」シリーズの撮影地だそうで熱心なファンが乗りに来るのだとか。

仮屋通り。若桜城下町のメインストリートです。
一部は現代家屋に置き換わっていますが、未だ当時の旧家が軒を連ねています。
写真左の家屋のように道路から一段下げて仮屋(ひさし)を設けていますが、これも明治時代の大火を教訓に防火を意識したものだそうです。
蔵通り。ここでも明治時代の大火の教訓から、寺町を守るため蔵以外の建物は禁止されたことから、現在も蔵が建ち並んでいます。
100年以上経った今でも残り続けているのがすごいです!
写真の若桜中学校(廃校)のグラウンド部分が若桜陣屋(御殿)があった場所ですが、遺構らしきものは一切ありません。
せめて標識くらいは建てて欲しいものです。
上写真のグラウンド脇から鶴尾山(若桜鬼ヶ城)を望めます。
幕末の不穏な時期でもあり、このような要衝の地に陣屋を構え、有事の際は背後の城を利用することを想定していたものと思われます。
八東(はっとう)川(手前)から鶴尾山(若桜鬼ヶ城)を望む。
山の麓には百關ホ垣という長大な石垣が築かれています。
鶴尾山麓の若桜小学校(廃校)脇から若桜鬼ヶ城に登る登山口があります、登城口は3か所あり、車道も整備されています。
この城は、中世と近世の遺構が併存すること、特殊な虎口が見つかったことなどから国史跡に指定されています。
さすがは、因幡三名城ですね。
上写真の登山口です。ここから徒歩40分ほどで山頂です。
さすがにこの大雪では断念せざるを得ませんでした。
登城は雪解けを待って・・・
若桜小学校(廃校)から若桜鬼ヶ城を望む。このあたりは上級武士の屋敷が建ち並んでいたそうだ。
上写真の若桜小学校前の道。城下町には枡形と呼ばれる防御
施設があったそうで、このあたり(道路右の空き地)かと思われるが、破壊されてしまって当時の様子がわからない。
若桜鬼ヶ城の北西側にある若桜神社。若桜鬼ヶ城の初代城主矢部氏の創建と伝えられている。
〜おまけ〜
智頭急行HOT3507号車(智頭駅にて)
宮本武蔵のキャラクターがかわいい。

H25.12.30

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