精神医療の入院制度と精神保健指定医

(はじめに)

 精神疾患の治療においては、専門家に治療が必要であると説明されても、患者さんに病気の自覚がなかったり、精神科治療に強い不安を抱いたりするために、本人が治療を拒否することがあります。このような場合、やむを得ず本人の意思に反して入院させたり、行動の制限を行いつつ治療を行わざるを得ない事態が想定されます。この際、精神障害者の人権面に特別な配慮を払う必要があることから、精神科では他の診療科とは異なる入院制度と精神保健指定医の制度とが設けられています。

 

(精神科の入院制度)

 精神科の入院制度には、①任意入院②措置入院③医療保護入院④応急入院及び⑤仮入院があります。

①任意入院は、精神障害者本人の同意に基づく入院です。この入院形態では、退院も本人の意思に基づくことが原則とされます。人権擁護の観点からも、また医療を円滑かつ効果的に行うという観点からも、できるだけ本人の同意を得て入院治療を行うことが望ましいといえます。一般医療における自由入院との違いは、本人が退院を希望した場合でも、精神保健指定医が入院の継続を必要と診断する場合には、入院治療の必要性を説明したり、今後の治療について家族等との連絡、調整などにあてるために72時間に限り退院を制限できること、および閉鎖病棟で治療を受けるなど一部行動制限が行われる場合があること、などです。しかし、可能な限り行動制限を行わず、患者さんの意思を尊重することが法の趣旨であることはいうまでもありません。

②措置入院は、入院させなければ自傷他害(自分を傷つけたり、他人に危害を加える)のおそれのある精神障害者に対して、知事の権限で行われる入院です。一般人からの申請や、警察官などからの通報、精神病院の管理者の届け出などに基づき、2名の精神保健指定医がともに入院の必要性を認めたときに決定されます。入院期間は、精神障害者の自傷他害のおそれが消失するまでの間です。措置入院治療は、都道府県知事が指定する精神病院で行われます。措置入院患者に対しても他の入院形態の場合と同様の精神科治療が行われますが、たとえば措置入院患者が無断で病院を抜け出し、傷害などの事件を起こせば病院が責任を問われることがありますし、また措置入院患者の自傷他害のおそれの消失に関する判断を誤ると、本人の人権尊重か社会の安全面のどちらかで問題が生じることになりかねません。このように、措置入院は、医療と保護に関して、特に慎重かつ適切な判断が求められる入院形態です。

<緊急措置入院>また、急速を要し、措置入院の手続きを取ることを待てない場合に、1名の精神保健指定医の診察の結果、自傷他害のおそれのある精神障害者であると判断されたなら、72時間だけ緊急措置入院させることができます。

 ③医療保護入院は、精神保健指定医が診察し、精神障害者の医療及び保護のために入院が必要と認めたが、本人の同意が得られない場合、保護者が代わりに入院に同意したときに限り行われる入院です。保護者は、後見人、親権者、配偶者、扶養義務を負う者(2人以上の場合には家庭裁判所で選任を受けた者)、市区町村長(前記の該当者がいないか、保護を行うことができないときに限る)の中から1名選ばれます。1988年の法改正で、扶養義務者が同意者となる場合、まだ選任をうけていなくとも、選任を受けるまでの経過措置として28日間に限り、その同意で入院させることができるようになりました。精神保健指定医は入院に際して本人に書面で告知し、精神病院の管理者は、入院届と退院届を最寄りの保健所長を経て都道府県知事または指定都市の市長に届け出ることになっています。

 医療保護入院は、本人の同意に基づかないので強制入院の一種です。従って、その時点で入院しなければ治療が行えず、また保護の面で深刻な事態が想定される場合にのみ決定されます。この点に関する判断が公正かつ適切でないと、精神障害者の人権侵害が生じる危険があります。

 ④応急入院は、精神保健指定医が直ちに本人を入院させると判断する場合で、本人及び保護者の同意が得られない場合に行われる入院です。この入院のために、都道府県ごとに厚生大臣の定める基準に適合する医療機関が指定されています。

⑤仮入院とは、精神保健指定医が診察の結果、精神障害の疑いがあってその診断に相当の時日を要すると認める者を、その後見人、配偶者又は親権者、その他扶養義務者の同意がある場合に、本人の同意がなくとも、1週間を越えない期間入院させるものです。

 平成8年6月30日現在、任意入院は224,857人(65.9%)、措置入院は5,394人(1.7%)、医療保護入院は98,528人(30.1%)でした。応急入院と仮入院はこれらに比べてずっと少人数に留まっていました。1988年の精神保健法施行以来、任意入院が増加し、医療保護入院は減少する傾向があります。しかし、入院形態の比率は都道府県ごとに少しずつ異なっています。真に精神障害者の人権尊重が十分に行われているか否かは、単に数だけでなく、その内実に着目して検討しなければなりません。その意味で都道府県「格差」の問題についても、その由来について十分な検討が望まれます。

(精神保健指定医)

 精神保健指定医は、一定の臨床経験を満たし、必要な知識及び技能を有すると認められる医師の申請に基づき、厚生大臣が指定するものです。精神医療には精神保健指定医でなければ行えない業務として、これまでに挙げた入院や退院に関わるものの他、入院形態の如何を問わず病院内における隔離、身体拘束に関する決定などがあります。隔離とは、本人ないし周囲の安全のために、本人の意志に反して12時間を越えて個室に収容することです。また、身体拘束とは、同様の目的で、拘束衣ないし綿入れの布ベルト等で手や足の自由を奪うことです。当然、これらの行動制限は必要やむをえない場合に、最小限のみ行われるべきもので、精神保健指定医はその実施の指示を行い、自ら診療録に、それら行動制限の理由、開始日時等を記載し、原則として常時臨床的観察を行うことを義務づけられています。

 かつて精神病院のなかで、医療従事者が、指示に従わないなどの理由で入院患者に暴力を振るい、傷害や死に至らしめた悲惨な事件が報道されました。今日、隔離や身体拘束が単なる懲罰的な理由で行われることがないように、精神保健指定医は先頭に立って人権保護の重要性を指導することが求められています。と同時に、精神病院長はこれを病院全体の問題として十分に掌握し、違法行為が生じないように監督する責任があります。

 また、例えば痴呆性老人に対して、精神病院と同様の保護を行うことが想定される老人病院や各種の施設では精神保健福祉法の効力が及びません。こうした病院や施設においても、人権侵害を防止するための何らかの制度が必要ではないかとの意見があります。

 この他、精神保健指定医は、厚生大臣や都道府県知事から、入院患者から退院請求が出された場合の診察や、精神病院における立ち入り検査等、公務員としての職務を命じられることがあります。