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渋谷5団のホームページ 野営の経験のある人なら誰にでもキャンプについての憶い出があるはずである。私も例外ではない。しかしどういうわけか、お腹をかかえて笑いころげたような憶い出は比較的脳裏にうかんでこない。むしろ私の記憶にあるのは、野営の時の苦しかったことが今となってはありありと思いうかんでくる。遠くはなれた所への水くみ、雨の中での設営と撤営、冬の寒さの中でとうとう眠れぬ一夜をおくったことなどである。前日の激しい作業、情け容赦なく降り続ける雨の中での設営などのあとで、翌日のカラリと晴れ渡った空とあたりをみまわすときの気持ち、空気のうまさ、谷間のせせらぎを流れる、透きとおった、氷のように冷たい水。どれもこれもすばらしいものばかりだ。そのうち朝露をふんで郭公の声がきこえ、もやの中から一筋の煙がたちのぼる。この光景をみれるのは野営の経験のある人だけに与えられる特典なのだ。太陽が遠く山の端に沈み、夕もやをついてきこえる梟の声、またのぼる一筋の煙。まるで桃源郷にでもきた気分になる。このようにして野営には、苦しみがつきものであるが、反面、野営は我々に惜しみなくその良さをあじわせてくれるのである。私もこれまでにいろんなキャンプを体験した。だが憶い出、しかも楽しい憶い出というものは、つまりは苦しかったことだけだということである。野営で汗を流すことは、それだけいっそう、野営の楽しさというものを見出すということなのであり、結局は苦しさが楽しさになるのかもしれない。
私には幸か不幸か、ついぞ班長のみならず次長としての経験はない。班員として行動したのみである。だが班員として考察したところによると、一つの班員数が大体6〜7名だとする、するとそこから一人、班員の間から皆が敬服出来るような素養をもった者が班長としての仕事をするわけである。班長はそれだけに班員の気持ちをよく理解してやると同時に、彼等を引率するだけの責任がある。人数がふえればふえるほど、それがむずかしくなるのは当然のことであるが、一人一人個性が違っているので、統率してひっぱっていくにはかなりの努力が要求される。しかしその彼にとってもよき助手が要る。即ち次長である。次長の仕事は一見陰にかくれていて目立たないものであるが、これまた非常に努力を必要とする役目でもある。ある一つの団体の中で責任ある立場にたつと、いろいろの問題が生じてくることに気付く。
各班を代表する班長と次長はいわば家庭のおとうさんとおかあさんの様な関係である。従って班員を導いていくには二人の協力が絶対必要であり、かつ班員も班長と次長には事が円滑に運ぶように協力しなければならない。何かをやる場合、二人だけでは出来ない。班員が協力することが必要なのである。それ故に、自分たちの班が最も統制のとれた、結束のあるものにするには班長と次長と班員の三者の結びつきがより堅固にして、理解に富んだものでなければならない。そして班長、次長、班員を繋ぐものは夫々の責任であるということ、つまり各自が各々の責任分野を完遂してこそ初めて喜びと、笑みと、進歩のある班が出来るということが言えるであろう。
何か新しいものを生みだそうとするならば、これら三者の協力のほかに貪欲なまでの探求心と班全体の練磨というものがあってこそ班の進歩は可能なのである。つきまとう困難や不満には笑って耐えねばならぬ。
それが君達にとって必要な試練といえるであろう。
諸君の中で、他人に奉仕するのが大好きだ、と言える人はおりますか?
実は、菅野隊長より夜話の原稿を依頼されまして、今、私が諸君に奉仕する立場にあるわけです。ところが、表題が「奉仕をする喜び」とあってまさか代わってもらうこともできず、やっとのことで重い筆をとったしまつです。
「奉仕」はスカウト活動の目的とする四本柱の一つであります。「人格」「健康」「技能」の向上は、自分のことであるだけに誰でも喜んで実行できるわけです。しかし、残る一つは自分の利益を離れ他人の為になるのですから、損だ!と思うのも無理ではありません。
けれども、スカウト活動に参加する以上、奉仕は義務であり、しかも、喜んでやれと言われるのです。
理由は、と問うと、諸君も、私達は人間である。受けた恵みにお返しをするのは当然だ、と答えたでしょう。確かに、人間社会は網の目のように複雑に結び付き、互いに影響し合っているからです。そのことは漢字からも十分にうかがわれます。「人」は大の字になって立っている象形ですが、同時に、人が互いに寄り添って助け合いながら立っている姿でもあるのです。また、「人間」はそのまま人の間であって、人間である限りおよそ自分一人だけということは有り得ないのです。それ故に、社会の向上と自己の向上が無関係でないこともわかってくるはずです。
ある人が猿に鏡を見せたとたん、猿は鏡にいどみかかった、という話があります。歯をむき出して自分に攻撃しに来たと思ったのでしょう。他人の物まねはうまいのに、自分のことがわからないとはおかしいですね。
人類は、鏡を作るはるか昔から水に自分の姿を映すことを知っておりました。鏡に映して自分のあるべき姿、いや、もっとすばらしい姿に正そうとするのが人間の本能かもしれません。
私達の仲間でも、自分の利益ばかり考えて行動している人をみると、何となく獣じみた感がします。いや、利口なだけ獣よりもっと恐ろしく思われるものです。人間の行為や心の動きを映す鏡が有れば便利ですね。
しかし、他人を客観的に見るならば、あるていど自分のこともわかるものです。さらに、こんどは自分を離れて、他の人が自分にやってくれたことを自分自身でやってごらんなさい。いやいやながらでも、物まねと言われてもかまいません。これを繰り返してこそ、社会の中での立場を理解し、自分のとるべき姿・行為がはっきりして、これを正すことができるのです。
自己の利害を超越して、喜んで奉仕することができる時こそ、仰いで天に恥じず、大地に両足をふんばって一人立ちしている姿です。いわゆる「大人」「大丈夫」とは、このような人を指して呼ぶのです。(漆畑昌坦氏寄稿)
私たちはボーイスカウトだと言う前に、スカウトにとって大切な事をなしているかと自問するのは大切ではないだろうか。私達は何の為、何をしなくてはならないかという事を。それには、まず私達がスカウトとなる時のことを思い起こしてみよう。隊長の前で隊旗をしっかと掴み名誉にかけて誓った事を。「神と国とに誠をつくす。」神とは、誠を尽くすとは、何をどうすればよいのであろうか。
「神は愛である。愛のうちにいる者は神におり、神も彼にいます。(聖ヨハネ)」神は永遠から、人間が神を愛する以前から私たち人間を愛されていた。と言われる様に、「神」は愛であるという。愛とは何であろう。スカウトは神の愛に答えるには、何をすればよいのだろうか。それは前にも記した、誓いです。神に対し実行を誓った誓いです。この誠、援け、そして徳、この三つの中にスカウトとして、神の愛に答える全てが含まれています。この三つを私達スカウトが社会生活の中で実行することが、神に答え良き社会人となるためのものなのです。
さて、私達が生活する人間社会には、二つの基礎となるものがあります。一つは正義、そしてもう一つは、この愛です。この社会生活での愛をわかり易く言い表すと、隣人愛と言えます。正義は私達の社会生活には極めて重要な事ですが、これだけでは充分とは言えません。これだけですと心のあたたかみがなく、社会は冷たいものとなります。幸福な社会を作る為には正義以上のものが必要です。それが隣人愛です。隣人を助け他人の善を望み、その人の為に計り一層幸福にしてあげたいという真の好意と、力の及ぶ限り態度と言葉と行為によって表そうと努力するもの。これが隣人愛です、そして愛です。私達が自分を大切にし愛すると同様に、他人をも愛せば良いのです。唯この愛が盲目的であってはなりません。この隣人愛というものは、自分への愛、自分を正しく愛せるものでなくては、真の他人への愛はないのです。さて私達スカウトは、これを唯口で言うだけではだめです。真に愛の心を持てば、心の中がこの愛で満たされれば、おのずと言葉にも表れ、そして当然行為、態度にも表れてきます。隣人を愛するものは常に慈愛の心があり、好んで他人と共に働き、必要があれば犠牲をも省みず、他人のために尽くす心構えができていることが大切です。愛を実行する機会は、色々あるが、その実行する機会に対し奉仕を拒んだり、一応奉仕はしても、無愛想で気の進まぬ顔でしたり、喜んで奉仕するにも必要にせまられねば奉仕しないというのでなく、私共スカウトは、自分から進んで機会を求め奉仕を申し出る人でなくてはならない。そうでなくては、真のスカウトとは言えず、より大きな愛は持てないことになる。この愛(隣人愛)をしっかり持ったスカウト達の居る班、隊、団は、チームワークのとれたしっかりしたものとなり、その社会はよりよくなることは疑う余地がない。なぜなら愛は心の徳であり、この徳を持った者こそ、世の中で一番尊い事をする美しい人であり、真に神の子となれるからです。(河井宏文氏寄稿)
1909年、霧にとざされた冬の夕ぐれ、ロンドン郊外の駅に、一人の紳士が、地図と旅行カバンを持って、汽車から降りた。紳士は行く先がわからなくて困っていた。キビキビした少年が現れたので、紳士は道をたずねた。少年は「私が案内しましょう」とカバンを持ち先に歩いた。目的地に着いたので、紳士は、銀貨を出しチップとして少年に与えようとした。少年は「私はボーイスカウトです。お礼はいただきません。私に一日一善をさせて下さってありがとう」とニッコリしてヤミの中に消えた。
どこの国の少年も、こんな時は喜んでチップをもらうのに、それを断り、逆に礼をいって立ち去るとは・・・紳士は驚いた。ボーイスカウトだから、といったが、それは何であろう。友人に聞くと、パウエル卿が、昨年はじめてつくった少年運動だと答えた。紳士は米国人のボイスという有名な出版業者だった。ボーイスカウトについての書物を全部買って、米国に帰り友人と話し合い、スカウト運動がアメリカに発足したのは、1910年2月8日のことであった。
15年後には、全米にこの運動がひろまり、その数は百万人を越した。米国スカウトは、その功労者を表彰することになって、いろいろ考えてみると、第一は、ボイスを案内した英国少年だということになり、英国スカウト本部に頼んだり、人を派遣したりして捜してもわからない。名乗ってほしいといっても出ない。それで米国側では、協議のすえ、米国スカウト功労賞のバファロー(野牛)の形と同じ型の銅像を作り「日々の善行を努めんとする一少年の忠実が、北米合衆国にボーイスカウト運動を起こさせた。アンノン(名の知れざる)少年のために」と書いて、贈ることになった。
1926年6月4日、ギルウェルの森−これはボーイスカウトのメッカであり、指導者訓練の総本山の道場ともいうべきところ−で厳粛に、贈呈式が行われた。その銅像はいまでもギルウェルにある。
もう一つの逸話である。太平洋戦争も末期のころ、南太平洋の、小さな島で、日米両軍が死闘を繰り返していた時、重傷で倒れた米兵の目に、一人の日本兵が銃剣で突っ込んでくるのが見えた。重傷で動けず、目を閉じたら、気を失ってしまった。
やがて気づくと、日本兵はおらず、そばに紙切れがあった。米国赤十字に助けられてからその紙切れを読むと、「私は君を刺そうとした日本兵だ。君が三指礼をしているのをみて、私も子供の時、スカウトだったことを思い出した。なんで君を殺せよう。傷は応急処置をした。グッド・ラック。」と英語でかいてあった。その米兵はスカウトだったので、死せんとするにあたり、無意識に三指礼をしていたのである。この無名戦士の話は長く消えぬであろう。(三島通陽総長「ボーイスカウト十話」より)
無名スカウトにまつわる物語はすでに君達も知っていることと思うが、それが原因となってアメリカに今日のボーイスカウトの基礎がなされたこともまたよく知られている。そもそもボーイスカウトの歴史は英国に於いて始まる。ベーデン・パウエル卿がその創始者であり、卿は夏の一定期間を、今までの体験と日頃の鋭い少年達に対する考察から彼等に今日のスカウトが行っている訓育を施して非常な成功を収めた。このことはイギリスのみに留するものではなかった。やがてそれは真理を逸脱しない普遍性と妥協性とをもって世界各地へと広まっていったのである。
ボーイスカウトには「誓い」と「おきて」と標語として「そなえよつねに」とそれにスローガンとして「日々の善行」ということが徹底されている。この運動の目的はひたすらに公民を教育することにあって、その行程に用いられる進歩制とか技能章制とか−もっと詳しくいえば手旗とか救急とかいったものであるが−これらは彼等をある意味において向上させる手段であってそれ以上の何物でもないのである。そこには永遠に不変である真理が存在する。すなわち少年の育成に最も大切である年頃の10才ないし18才の青少年達を正しく導き、よい品性を身につけさせ、強健な身体に鍛錬し、種々の技能を習得させ、喜んで社会に対する奉仕が出来る、国際愛をもった、立派な社会人に育てあげることがボーイスカウトの運動なのである。「鉄は熱いうちにうて」の諺どおり、人間も成人してからでは、習癖もなかなか治るものではない。少年のうちに善導することこそ立派な公民を作る礎なのである。こういったことは、子供の親として、また社会人として真剣に考えなければならない問題の一つである。なぜなら子供は社会のものであるからである。
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