団報「ビカボシロ」'97夏号

ビーバー・カブ・ボーイ・シニア・ローバー
ボーイスカウト渋谷5団
http://www.asahi-net.or.jp/~UP2J-KNST/bs.htm
1997.10.4発行
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渋谷5団のホームページ

§ボーイ§


夏キャンプ

ヤマセミ班 班長 鈴木恵介

今回のキャンプは、今までで一番つらくてやになって、腹がたったキャンプでした。行く前に、もういやな予感はしていたけれどここまでいくとは思わなかった。

キャンプ場につくと、さっそく1件発生。弁当をわすれたと僕にいってきた。なんとかみんなからわけてもらえたが、まだお腹がすいているようだ。結局、弁当は三日後見つかった。それからすぐに荷物はこび。まだ始まったばかりなのに、先輩後輩関係なく

「持って〜。」

いつものことだからと思うのだが、もうそんな考えはそろそろすてたほうがいい。9月にはカブスカウトがボーイへと上進してくるのだ。彼ら二人は先輩となる。こんな姿を見せたくない。しかし二人は「がんばろう」という気持ちがまるでなかった。結局、その日は、いつものように終わってしまった。・・・・つかれた。

二日目の朝、いきなりリーダーが起こしにきたときには、はっきりいって終わったと思いました。昨日、僕たちがしかけた、うなぎをとるためのワナを見にいくところでした。本当にビックリしました。結果、僕たちは0匹、リーダー2匹。このうなぎ、あとで食べてみたけれどおいしかったです。

僕がキャンプ場で一番やなのが、徹営と点検です。2日目の点検はうまくいきました。しかし、その後のパイオニアリングでは、彼らが竹を半分以上切ってしまって立ちかまど用の竹がなくなってしまって大さわぎ。このひもなにかしらたいへんなことがおきました。夜になると「家に帰りたい」と言いだし、ホームシックになるやら大変。。そんな中、ペットボトルそうだつ戦にはたすかりました。終わった帰りには、“光る棒”をもらって、とてもよろこんでいました。二人はテントの中でも棒を見て仲よく静かにしていました。その二人が

「鈴木さん、僕がんばります」

「僕もがんばります」

今のおちこんでいる僕に元気がついた一言でした。のこりあと3日。三人力を合わせてがんばりました。

ボーイ隊での活動もあと2日。彼ら二人にちょっとした成長が見えてきました。田村君は料理をがんばってくれたし、米沢君は最後の徹営のときなんて、誰よりも働いてくれていました。団ボリーも他のスカウトとの交流が持てたし、カレー大会もおもしろかったです。

最後の6日目、徹営も無事終わってバスに乗るときなんて地獄から天国にいけるほど、うれしかったです。バスの中ではお腹がすいていたのでパンを5枚も食べました。

今回のキャンプは、楽しいことがあったぶん、つらかったことがたくさんありました。二人もよくがんばってくれましたが、やっぱりどこか心配です。今後、この二人が班長になった時が、僕にとって一番の楽しみです。


§シニア§


平成9年夏季固定野営in櫛形山報告

遠山和博

僕は今回のキャンプは、シニアとしてのものだけで、団ボリーに参加できなかったのが残念だ。しかし、とても得たことが多く、また楽しいことも多かったので、記念に残るいいキャンプだったと思う。

今回のキャンプの目玉だったツリーハウスは、とても頑丈なものが出来て、ほかの隊に紹介しても恥ずかしくない絶好のものだった。シニアのキャンプでしか作れないようなものだったと思う。また、もう一つの目玉だった10時間鬼ごっこも、実際は時間が短縮されてしまったが、とてもヘビーでこれもシニアでしかできないようないい思い出となった。ただ全員が無線機を持っていたらもっとおもしろかったと思う。

今回のキャンプで思った一番のことは、とてもシニアらしい、シニアでしかできないようなキャンプだったと思う。事前の計画がよくできていたからこそ、いろいろなアイデアが生まれ、そしてこのような実のつまった、思い出に残るキャンプが出来たのだろう。またこのようなキャンプにいきたいものだ。

個人の目標は「料理をもっと知る」だったが、そのようにした理由は、今まであまり家で料理をしていなくて、またキャンプ経験も浅いため、料理にもっとなれたいと思っていたからである。今回一日食担を任されたが、やはり大変だった。でも、自分で作った料理をおいしいと誉められたときはとてもうれしかった。キャンプの後、家で料理を作ってみたりしているので、この目標は達成できたと思う。


§団友会§


40周年団ボリーに参加して

星 亘

甲府盆地から一挙に昇って、ほぼ1000メートルの櫛形:山梨県民の森で行われた団ボリーに久しぶりに団友会の一員として参加をさせていただきました。

10年ぶりに体験するスカウティングライフは新鮮でキビキビと気持ちのよい2泊3日のキャンプでした。

思い起こせば1967年、長男がカブ隊に入隊するとともに、団委員として当時の東京138団に関与させていただき、徐々にスカウティングに高まりを感じ、シニア、ローバーの隊長として活動させていただいた時代もありました。

ここでどうしても思い出さずにいられない方が故古俣団委員長のことではないでしょうか。

今日われわれの渋谷5団が、これほど立派な組織を誇ることができるのは古俣さんの献身的ともいえるご活躍がなかったら出来得なかったのではないかと思えるのです。

県民の森の展望台から遥か眼下に見える花火の光と共に天在の古俣団委員長に

<40年ですよ、40年>と報告した次第です。

私がローバー隊長のころ、大学生だった連中が今、団の大黒柱となっておられ、更にはそのお子さん達が隊員として、かっての親父と同じことをやっているのを見て嬉しくってたまらない心情でした。

ジイサンもオヤジもムスコも孫もみんなスカウト。こんなに素晴らしいことってあるのですね。これが渋谷5団の強さです。

私事ではありますが1943年、太平洋戦争たけなわの頃、大日本騎道少年団「馬に乗った少年団」に所属していました。軍服のようなユニフォームにサーベルを吊って、毎週日曜日、陸軍士官学校の練兵場で騎乗訓練をしていたのですが、その時の教官が「お前はひと様のごやっかいになるな、人を助けることをおぼえろと常に言っていたことを思い出します。カブの、人のお世話にならぬよう、人のお世話をするように、と同じなのですね。

私はまだ孫に恵まれてはおりませんが、できたら無論のこと渋谷5団です。

年寄りじみたことで恐縮ですが、毎日の乗り物の中で目につく無作法な若い人たちに辟易している身から見るうちのリーダー達のスマートな事。いいですねえ

ボーイスカウトっていいなあと、叫ばずにはおられません。

今回の40周年団ボリーでは、裏方さんとして、多くの団関係のかたがたにお力添えを賜りました。紙上をお借りして心からアリガトウを申し上げます。

月去り、星は移るとも、永久に忘れぬ渋谷5団の灯火がいつまでも明るく輝きます様に。感謝をこめて拙文を載せさせて頂きます。

 

40周年記念団ボリーに参加して

柏木直哉

昭和42年。リーダーとなった翌年が、東京138団(現渋谷5団)発団10周年でした。当時、現実に活動をしていたリーダーは、ボーイ隊の漆畑隊長、中谷副長補、僕、カブ隊の河井隊長と(大物ぞろいだった)女子リーダーが全てといった状況でした。カブの夏の舎営地は山中湖畔平野の民宿。そこから山伏峠の方に20分位歩いた所にあった、その民宿の所有する林の中がボーイ隊の野営地で、同じ時期にキャンプをしました。「せっかくだから夏のキャンプを同じところでやろう」というような話から実現した初めての「団ボリー」でした。最後の夜、合同でキャンプファイヤーをしたのが強い思い出として残っています。

それから30年。今回の団ボリーは、シニアからビーバーまでと担当リーダーからなる縦割り班を基本に団友会、ご父兄の参加も多く、「5団の仲間を知ろう」というテーマにふさわしい素晴らしい「団ボリー」となったように思います。

ローバーが中心となって準備されたというプログラムが実によくできていました。

スカウト皆の共同製作のティーピー(インディアンのテント)を中心としたゲートでの、団委員長による点火式、ゲートをくぐっての入場が団ボリーの開始を告げ、各国のカレーの競作が一気に縦割り班に仲間意識を持たせたように思いました。翌日のハイキングには参加しませんでしたが、ネッチリングと同じやり方で籐を使って作った「腕輪」の工作やファイヤーのスタンツの準備がハイキングの課題に織り込まれ、参加した団友会のメンバー、ご父兄もひとつにまとまりました。

湖を背景にした美しい斜面で行われた野外ミサは静かな中で厳かな雰囲気を保ち、近藤君、鴻君への「キリスト教章授与式」を中にはさんで、皆の心に残る素晴らしいミサになりました。予想以上に多くの信者の参加があったので、御聖体をいただくときに、半分、四分の一と小さくしなければならなかったのも良い思い出です。

そして大きな大きなファイヤー、スタンツで、歌で大いに盛り上がった後、最後には火が「十字架」の形にまとめられ、山崎ローバー隊長の指導の下、皆で心に残る新しい歌を歌いました。「5団の仲間を知ろう」が完成したひとときだった様に思います。

最終日は、本当にアッという間に来ました。皆でゲートをくぐり、3日間ティーピーの中で燃え続けた「火」を消し、団ボリーが終わりました。

10年、30年、35年と団ボリーに参加してきましたが、団が、本当に一体となって活動し、楽しめたという点では、今までの中で、一番素晴らしい団ボリーだったように思います。

キャンプ地を去るバスの中からゲート等の後かたづけに精を出しているローバー諸君が見えました。本当にお世話になりましたという感謝の念で一杯になりました。

最後になりましたが、団として、全体をまとめて下さった鴻団委員、ローバーを中心とした活動を支え、団ボリーを盛り上げて下さった各隊隊長並びにリーダーの皆さんがいらしたからこそ我々は楽しめたのだと思います。改めて心から感謝致します。

 


上進式の最後にスカウトの代表が朗読する「B-Pの最後のメッセージ」

ボーイスカウトを始めたベーデン・パウエル(B-P)が書いた「スカウティング・フォア・ボーイズ」の最後に書いてあるこの部分をいつも何となく聞いているかもしれないけれども、一度、ゆっくりと読んでみてください。高校生以上の人の為に参考までに「英語の原文」も載せてみました。家庭で読んで、話題にしてください。

 

B-Pの最後のメッセージ

 

スカウト諸君

「ピーターパン」の劇を見たことのある人なら、海賊の首領が死ぬときには、最後の演説をするひまはないにちがいないと思って、あらかじめその演説をするのを、覚えているであろう。私もそれと同じで、今すぐ死ぬわけではないが、その日は近いと思うので、君たちに別れの言葉をおくりたい。

これは、君たちへの私の最後の言葉になるのだから、よくかみしめて、読んでくれたまえ。

私は、非常に幸せな生涯を送った。それだから、君たち一人一人にも、同じように幸福な人生を、歩んでもらいたいと願っている。

神は、私たちを、幸福に暮らし楽しむようにと、このすばらしい世界に送ってくださったのだと、私は信じている。金持ちになっても、社会的に成功しても、わがままができても、それによって幸福にはなれない。幸福への第一歩は、少年のうちに、健康で強い体をつくっておくことである。そうしておけば大人になったとき、世の中の役に立つ人になって、人生を楽しむことができる。

自然研究をすると、神が君たちのために、この世界を、美しいものやすばらしいものに満ち満ちた、楽しいところにおつくりになったことが、よくわかる。現在与えられているものに満足し、それをできるだけ生かしたまえ。ものごとを悲観的に見ないで、なにごとにも希望を持ってあたりたまえ。

しかし、幸福を得るほんとうの道は、ほかの人に幸福を分け与えることにある。この世の中を、君が受け継いだ時より、少しでもよくするように努力し、あとの人に残すことができたなら、死ぬ時が来ても、とにかく自分は一生を無駄に過ごさず、最善をつくしたのだという満足感をもって、幸福に死ぬことができる。幸福に生き幸福に死ぬために、この考えにしたがって、「そなえよつねに」を忘れず、大人になっても、いつもスカウトのちかいとおきてを、堅く守りたまえ。神よ、それをしようとする君たちを、お守りください。

 

君たちの友

ベーデン−パウエル・オブ・ギルウェル

 

(これは1941年1月8日にベーデン−パウエルがなくなった後、彼の書きものの中から発見された)

スカウティング フォア ボーイズ(ボーイスカウト日本連盟発行)から転載


 

B.P.'s LAST MESSAGE

 

Dear Scouts:

 

If you have ever seen the play "Peter Pan" you will remember how the pirate chief was always making his dying speech because he was afraid that possibly when the time came for him to die he might not have time to get it off his chest. It is much the same with me, and so, although I am not at this moment dying, I shall be doing so one of these days and I want to send you a parting word of good-bye.

Remember, it is the last you will ever hear from me, so think it over.

I have had a most happy life and I want each one of you to have as happy a life too.

I believe that God put us in this jolly world to be happy and enjoy life. Happiness doesn't come from being rich, nor merely from being successful in your career, nor by self-indulgence. One step towards happiness is to make yourself healthy and strong while you are a boy, so that you can be useful and so can enjoy life when you are a man.

Nature study will show you how full of beautiful and wonderful things God has made the world for you to enjoy. Be contented with what you have got and make the best of it. Look on the bright side of things instead of the gloomy one.

But the real way to get happiness is by giving out happiness to other people. Try to leave this world a little better than you found it and when your turn comes to die, you can die happy in feeling that at any rate you have not wasted your time but have done your best. "Be Prepared" in this way, to live happy and to die happy - stick to your Scout Promise always - even after you have ceased to be a boy - and God help you to do it.

 

Your friend,

Baden-Powell of Gilwell

 

 


5年と10ヶ月を振り返って

前団委員長 冨崎之夫

渋谷5団の団委員長に任命されてから5年10ヶ月が過ぎました。この間、至らぬ事、気の利かぬこと多々あり、皆様にいろいろご迷惑をおかけした事をまずお詫びいたします。

この間に本当に楽しい、いろいろなことがありましたが、5団には良い仲間がいると強く思わされる事が沢山ありました。団ボリーなどで既に話している事ですが、その中で特に印象に残ったことを3つ記します。

地区の役員も良く知らず、心もとなく感じていた頃で、シニアスカウトの一人が隼を取った時のことです。隼の申請をしたら、地区の副コミッショナーより、救急章が取れていないので隼は駄目だといわれました。時期がもう12月に近く、本人は翌年の3月に卒業するので、それから救急章を取って、再申請するには時間が足りません。救急の講習は既に受けており資格は十分あったのに、書類上の行き違いでした。出張が多く連絡を取るのが難しいコミッショナーとどうにか電話で相談することが出来、コミッショナーより隼の授与式後に、日赤、或いはボーイの救急の講習を受けるという条件が出され、無事12月31日に面接、授与式が行われました。私は忙しかったので一件落着と、その後殆ど忘れていました。2月頃だと思いますが、そのスカウトが日赤の講習を受けたと聞き、これこそが5団の仲間だと心から嬉しくなりました。世の中には自分の望みがかなえば約束をした事などは忘れてしまう人が多いものですが、5団ではこのように約束を守る事はあたりまえのことなのです。

次に阪神大震災の時のことです。地震のニュースを聞き、何かボーイも手伝えないかと漠然と考えていた時、ローバーの数人がボランティアとして神戸に行くことを決めたと聞き、やはり5団はすごいなと思いました。芦屋の精道中学で炊き出し、資材管理などの活動を行い、地元の人々から大変感謝されましたが、この時神戸に行かれなかったローバーやリーダーの活躍も特筆すべきだと思います。何が起こるか分からない芦屋で頑張っているローバーと、まだ電話がうまく繋がらない状況で密接に連絡を取り、支えてくれた事は、目立たない所で仲間を支える人がいる5団の良い伝統を感じさせられました。

最後は昨年の100kmハイクの時のことです。一人を除いて5団の全員が時間内にゴールしたのに、一人がまだゴールからほど遠い所にいて、いつゴール出来るか全く見通しがつかない状況でした。ゴール地点の農大一高から係りの人々は皆帰り、校内にいることは出来なくなりました。11月ですから5時半を過ぎると辺りも暗くなり、寒くなってきましたが、100kmハイクに参加した5団のスカウト、応援に来てくれたリーダー、スカウトは誰も帰らず、学校のそばの空き地で待っていました。また何人かのローバーやリーダーは、もう少しで倒れそうになりながら歩いているスカウトの応援に一緒に歩いています。私が待っているから、寒いしもう遅いから帰るように皆に言いましたが誰も帰ろうとしません。6時をすぎ、暫くたってから疲れ切ったスカウトが杖をつきながら、もう係りの人もいないゴールに漸く辿り着きました。その時そこにいた5団の人々全員がやっとの事でゴールしたスカウトを盛大な拍手で迎えました。たった一人のために自分の疲れや寒さをいとわずに“待つ”仲間。それが5団なのです。

このような素晴らしい団の委員長を皆様の暖かいご支援のもとで、どうにか務めさせていただき本当に感謝しています。この伝統をいつまでも絶やさないよう、新団委員長にも皆様の御協力をお願いいたします。

 


編集後記:足掛け二年の準備をしてきた40周年記念団ボリーが終わり、体制も一新して、団委員長も交代しました。冨崎前団委員長は1991年の暮れの総会に就任されましたが、前任の駒月団委員長時代からの懸案であった9月期への移行、35周年、40周年と2度の団ボリーを実施、そして、シニア隊のベンチャー隊への移行の布石を打たれたところで交代されました。上進式で、鯉の滝登りの列の中を、スカウト皆の拍手で通り抜けられました。お疲れさまでした。

40周年の、もう一つの行事が「記念誌の発行」ですが、皆様の協力にも関わらずチョット遅れており、暮れにはお渡しできるものと考えております。

この記念誌を区切りに、広報も交代する予定です。


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