海軍飛行科予備学生

 

海軍飛行予備学生

海軍における航空戦力の重要性が認識され始めた昭和九年、飛行機搭乗士官の不足に備え、

海軍が旧制大学・高等専門学校の卒業生から志願制によって採用したのが飛行予備士官制度

である。

当初は数も少なく一期学生は僅かに6名だったが、年を追って増加し大東亜戦争の勃発と共に

昭和十七年には九〜十二期・328名が戦列に加わり、航空決戦が熾烈となった昭和十八年に

は一挙に5,199名が十三期として馳せ参じた。

同年12月には「学徒出陣」によって現役入隊した大学・高専在学生のうち3,323名が十四期

学生として、2,197名が一期生徒として加わった。

 

海軍兵学校、予備学生、特務士官を含む神風特別攻撃隊での戦死者769名。

うち飛行予備学生・生徒の戦死者が653名。85%が予備学生出身者で締められている。

 

海軍飛行予備学生・生徒 期別一覧

クラス

入隊年月日

入隊人数

戦没者人数

うち特攻戦死者

 1期学生

昭和 9.11.21

 2期学生

昭和10. 5. 1

15

 3期学生

昭和11. 4.13

17

 4期学生

昭和12. 4.12

14

 5期学生

昭和13. 4.10

20

 6期学生

昭和14. 4.11

30

10

 7期学生

昭和15. 4.16

33

24

 8期学生

昭和16. 4.15

44

27

 9期学生

昭和17. 1.15

38

24

10期学生

昭和17. 1.15

100

62

11期学生

昭和17. 9.30

121

70

12期学生

昭和17. 9.30

69

30

13期学生

昭和18. 9.30

5,199

1,616

448

14期学生

昭和19. 2. 1

3,323

411

163

 1期生徒

昭和19. 2. 1

2,197

165

37

15期学生

昭和19. 8.10

2,836

22

昭和19. 9.30

 2期生徒

昭和19. 8.10

802

昭和19. 9.30

16期学生

昭和20. 3.25

285

 3期生徒

昭和20. 3.25

合   計

 

15,149

2,485

658

 

靖國神社

東京都千代田区

   

海軍飛行予備学生特攻勇士之像「雄風」

 

愛知縣護國神社

愛知県名古屋市中区

白鴎遺族会「雲流るる果てに」

碑文

はるかなる 雲流るる果てにねむる あまたの若きみ霊に捧ぐ

 

円覚寺松嶺院

神奈川県鎌倉市

白鴎遺族会神奈川県支部「空」

碑文

この碑は、第二次世界大戦において、祖国の平和と愛する人々の幸せを祈り、学窓より敢然と大空

の決戦に参加、勇戦奮闘の果て、散華された本県関係の海軍飛行科予備士官、及び戦後本会の為

尽力された物故戦友の霊を慰め、且つその偉業を顕彰するため、遺族と生存同期生により建立した

ものである。

 

新潟縣護國神社

新潟縣新潟市

流雲碧空

碑文

この碑は第二次世界大戦において祖国日本の平和と愛する人々の幸せを祈り、学窓から敢然と大空の

決戦に挑み、勇戦散華された本県出身の海軍飛行予備士官及び当支部の発展に寄与された物故戦友

の慰霊と顕彰の為生存同期生有志が建てたものである

 

源覚寺

東京都文京区

第十四期飛行予備学生記念碑

碑文

雲ガハシル 学徒ガ征ク 空ニ 同期ノ華 参千六百人

 

高野山奥の院

和歌山県伊都郡高野町

海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔「ああ同期の桜」

碑文

第二次世界大戦の終局まじか昭和十八年十二月 学徒出陣の命くだり学び半ばにして 海軍飛行

予備学生に列せし者三千二百余名

けがれなき若き生命を 雲に山に海に 祖国のさきもりとして散華せし同期の桜 

四百余柱

はたとせの時のうたかた 生き残りしわれらの誓わん君が祈り 人類の平和を くれないの愛と怒

りにかため高めて守りつがん 永遠に

 

十楽寺

徳島県板野郡土成町

第十三期飛行予備学生戦没者慰霊碑  十三期不動

碑文

昭和十八年度夏 既に日本の戦争遂行の前途に厳しさが顕かとなった時 海軍は狂爛を既倒に廻らす

一策として飛行科予備学生の大増員を図り 短縮で九月卒業予定の旧大学・高専生に檄を飛ばし 五

万余人の応募から五千人を選んで九月半ば航空隊に入隊させた 第十三期海軍飛行予備学生である

時間もガソリンも少なかった速成ではあったが搭乗員教育を修了した十三期が 勇躍して部隊に配置

されていったのは十九年七月であった

戦場への出動は早かった 台湾沖 比島 ウルシー 硫黄島 沖縄本土周辺の航空戦で 十三期は常

に先頭にたった優先奮闘し一六〇九名が散華した その内主として小型機の部隊で実施した特攻で戦

死した者四四七名を数える

突如として歴史の歩みが停止し 終戦を迎えた生残りには戦没した戦友への痛恨の思いが尽きること

はない 今日の平和な日本に生きて齢を重ねる時 一掃その感を深まっていく ここに鎮魂のため不動

明王像を建立して戦没戦友の御霊が永久に安らかに眠ることを祈念する

 

予備学生

更新日:2003/09/28