故地探訪 川棚

 

魚雷艇訓練所跡

長崎県東彼杵郡川棚町

特攻殉国の碑

碑文

昭和十九年日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため日本海軍は臨時魚雷艇訓練所を横須賀から

この地長崎県川棚町小串郷に移し魚雷艇隊の訓練を行った 魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇で ペリ

リュー島の攻撃 硫黄島最後の撤収作戦など太平洋 印度洋において活躍した 更にこの訓練所は急迫し

た戦局に処して全国から自ら志願して集まった数万の若人を訓練して 震洋特別攻撃隊 伏竜特別攻撃隊

を編成し また回天 蛟竜などの特攻隊員の練成を行った 震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に体当り

する木造の小型高速艇で七千隻が西太平洋全域に配備され 比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃破

したほか 沖縄でも最も困難な状況のもとに敵の厳重なる警戒を突破して特別攻撃を敢行した 伏竜特別攻

撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊で この地で訓練に励んだ

今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと

我等は景仰する

ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて ゆかりのこの地に特攻殉国の碑を建立し 遠く南海の果に若

き生命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる遺業をとこしえに顕彰する

昭和42年5月27日 有志一同 元隊員一同

 

  

建立当時の「特攻殉国の碑 」(昭和42年)                        震洋艇 復元模型(現存せず)     

 

  

現在の「特攻殉国の碑 」(平成21年) ※戦没者銘碑を一段増設                   川棚魚雷艇訓練所跡の碑        

 

  

桟橋の礎石                                     桟橋の用材

 

  

震洋艇引上レール跡地                             訓練所付属病院の煉瓦塀

 

震洋の海 大村湾

 

震洋特攻隊

更新日:2009/06/06