谷 暢夫
海軍少尉
略歴
大正13年 6月 日 岐阜県揖斐郡大野町出身
昭和17年 4月 日 土浦航空隊入隊(甲飛10期)
昭和18年 月 日 千歳海軍航空隊
昭和18年 月 日 松山海軍航空隊(戦闘二〇一豹戦闘機隊)
昭和19年 月 日 グアム島
昭和19年10月25日 神風特別攻撃隊敷島隊三番機として出撃
. 散華(享年20歳)
母親と面会して(松山からグアムに立つ前日)
子を思う御国の母は有難し 千里万里もわれを訪ぬつ
山よりもはるかに高し 海よりもはるかに深き 親の恩かな
松山航空隊に面会に来たご母堂
家郷への最後の書簡
親を惟ひ 国を憂ふる心あらば 身を桜花となりて 散りゆかん
遺書
はじめありて 終りあるもの 鮮し
永らくのご厚思を謝す。何一ツ親孝行らしきことなき小生も、最初の最後の親孝行を致します。
忠孝一致、とは古人、実によく云ったものと感心します。ご両親の長命を切に祈ります。
日の本の空征くものの心なれ 散るを惜しまぬ桜花こそ
辞世
身は軽く つとめは重きを思ふとき 今は敵艦に ただ体当り .
身はたとひ 機関もろとも沈むとも 七たび生れ撃ちてしやまん
牛洞地区 公園
岐阜県揖斐郡大野町
神風院釈暢夫碑
神風院釈暢夫碑
長念寺
岐阜県揖斐郡大野町
牛洞地区戦没者 殉国碑
町立西小学校
岐阜県揖斐郡大野町
卒業生戦没者 忠魂碑
楢本神社
愛媛県西条市
五軍神慰霊碑
更新日:2009/09/13