鈴 鹿
NTT西日本研修センター
三重県鈴鹿市
説明板
旧海軍は昭和12年に山や畑だあったこの地を開拓して航空隊を設置し、昭和13年10月1日には搭乗偵察員
の教育練習航空隊を開隊したが、昭和20年8月15日の終戦と同時に廃隊となった。この間、太平洋戦争に突
入すると多くの飛行兵がこの地を飛び立ちそのほとんどが戦死したという。
その当時この周辺には海軍雁部隊、第二海軍航空廠鈴鹿支廠、三菱航空機製作所三重工場や整備場等もあ
ったが、いずれも終戦で消滅した。
しかしながら、これら多くの軍関係施設の進出を基盤に昭和17年12月1日鈴鹿市が成立したのも事実である。
鈴鹿海軍航空隊跡/碧空
碑文
空澄み風わたる爽やかな緑の大地と豊かな稔りを誇るここ白子の地に,広く県民より白子の航空隊と親しま
れた鈴鹿海軍航空隊は,昭和十三年十月一日に開隊された。
当隊は海軍機搭乗の偵察員養成の教育機関であり,ここに全国より厳選された若冠二十歳に満たざりし少年
たちが明日の大空をめざして厳正な規律のもと日夜精魂をかたむけけし処なり。
秋あたかも大東亜戦争の戦雲流るゝや,祖国防衛の第一線に馳せ参じよくその任務を遂行せり。また戦局の
進展により併設された第二鈴鹿航空隊の実戦部隊の活躍もめざましく隊史を飾るものであった。
しかし戦局はわれに勝機を与えず一層苛烈の度を加え出身者隊員の大半はひたすら祖国の安泰を念じつゝ
特攻の華となり征きて還らなかった。
いまこの地にたゝずみて血と汗の歴史を綴った悲喜こもごもの青春の日々を振りかえるとき,戦後三十余年の
間その姿を留めえたことは隊員たちにとって感無量にして加うるに言葉なし。
そこで,かっての隊員関係者集いて無き戦友の鎮魂と心からの餞けとしてこの地に顕彰の碑「碧空」を建立,
留別を記念するものなり。
若桜福祉会館(香良洲町歴史資料館)
三重県一志郡香良洲町
鈴鹿海軍航空隊 点鐘台
養泉寺
愛知県幡豆郡吉良町
第1001海軍航空隊滑空機隊 慰霊之碑
碑文
昭和十九年十二月三十日、第1001海軍航空隊所属のクハ−二型滑空機、 第二鈴鹿海軍航空
基地を発進、九六式中攻による伊勢湾一周曳航訓練飛行途中、吉良町上空、高度2,300米にお
いて悪気流の為不時離脱遭難した。
搭乗員全員十二名、養泉寺に収容、地元の方々による献身的な手当にも拘らず七名が殉職した。
茲に謹んで慰霊碑を建立し、殉職の英霊に対し深く哀悼の意を表するものである。
更新日:2005/04/17