嗚呼 壮烈の若桜
資料並びに写真提供:中田広直氏、横山幸郎氏
昭和16年12月 8日未明、航空母艦六隻を中心とする連合艦隊は、ハワイ真珠湾に航空機を主力とする攻撃
を敢行。そして攻撃機 29機が未帰還、54人の搭乗員がハワイの海に散華した。
第一次攻撃に参加した加賀雷撃隊第二中隊第四十五小隊三番機の三人も、再び母艦に還ることはなかった。
第一次攻撃隊
加賀雷撃隊第二中隊第四十五小隊三番機
操縦員 長井 泉(甲飛4) 海軍飛行兵曹長
熊本県下益城郡中山村出身偵察員 植田米太郎(乙飛6) 海軍飛行特務少尉
徳島県那賀郡坂野町出身電信員 武田 友治(偵53) 海軍二等飛行兵曹
富山県婦負郡杉原村出身
植田米太郎 海軍飛行特務少尉 長井 泉 海軍飛行兵曹長 武田 友治 海軍二等飛行兵曹
第二次攻撃の雷撃隊40機はフォード島の戦艦群をめがけて急降下、三番機は24番目に魚雷発射地点
へ向かっていった。三番機は敵の曳光弾にやられたらしく、煙をひきながら突っ込んでいる。
今落ちるか、今突っ込むか、かなりスピードが落ちたが、戦艦ネヴァダに照準を合わせ魚雷を投下。魚雷
はネヴァダの艦橋の下に命中し50mくらいまで水煙を吹き上げた。
三番機はネヴァダのマストすれすれに通過して高度を上げつつ右へ旋回、あっと思う間もなく海面に突入
して炎を上げた。
魚雷を投下する九七式艦攻/米映画「パールハーバー」の1シーン 湾外へ脱出を図る米戦艦「ネヴァダ」
大東亜戦争海軍の歌
水漬く屍と潔ぎよく 散りて栄えある若桜 見よ空ゆかば雲に散る
あゝ壮烈の海の鷲 爆弾抱いて体当り 微塵に砕く敵の艦
植田米太郎海軍特務少尉のアルバムより
予科練教程卒業前に霞ヶ浦空友部分遣隊で実施された適性検査
昭和11年2月11日、紀元節(中央列右端) 昭和14年6月18日、任官祝
墓地
徳島県小松島市
正八位功五級勲六等 海軍飛行特務少尉 植田米太郎 墓碑(右)
碑文
昭和十年六月第六期海軍飛行予科練習生トシテ横須賀海軍航空隊ニ入隊 .
昭和十四年八月陸海軍共同海南島攻略作戦ニ於テ武勲ヲ樹テ感状ヲ賜フ .
昭和十六年艦上攻撃機長トシテ軍艦加賀ニ乗組 .
同年十二月八日
操縦員故海軍飛行兵曹長長井泉 電信員故海軍二等航空兵曹武田友治ト共ニ真珠湾攻撃ニ参加シテ 壮烈ナル自爆ヲ遂ゲ 夫々二階級進級 軍神トシテ仰ガル
行年 二十三才
武田二飛曹の養家跡
富山県婦負郡八尾町
武田二飛曹顕彰碑
碑文
盡忠院報國偉烈大居士 海軍飛行特務少尉 正八位勲六等功五級 植田米太郎
浄忠院釋義圓 海軍飛行兵曹長 勲七等功五級 長井 泉 .
殉國院釋義宣 海軍二等飛行兵曹 勲八等功六級 武田友治 .
昭和十六年十二月八日 大東亜戦争開戦劈頭 於布哇真珠灣戦死矣 武田安次郎建之
更新日:2002/12/08