花瀬望比公園
鹿児島県揖宿郡開聞町
沿革
比島作戦に参加した鹿児島県出身戦死者一万二千余柱の遺族と、二千余人の生存者が中心となり、
昭和41年「比島戦没者遺骨収集ならびに慰霊碑建立期成会」を結成。
同年11月に鹿児島大学の練習船「敬天丸」で出航し、ルソン・レイテの島々浦々、山野峡谷から
遺骨4,047柱を収集した。
昭和43年春、開聞町当局の好意により41万6千余柱の英霊の象徴として4千余柱の遺骨を祀る
慰霊碑が建立され、除幕式と慰霊祭が執り行なわれた。
死生の扉
碑文
遥か 南海の比島戦線に散りし四十七万六千余名の英霊
時空を超えて故国のこの地に鎮魂す 心底に万感を憶え痛惜の念を石碑に刻む
自らを捨て祖国の盾となりしその死は 決して徒ではなかった尊い犠牲
限りない加護がありて今日の平和 いやさかの繁栄が有る
私たちは それに応えているや 二度とこんなことを起こしてはならない
親から子へ 孫に 無惨 痛哭の太平洋戦争を
そして壮絶 艱難辛苦の戦後もまた 語り継いでいかねばならない
比島戦没者慰霊碑
碑文
許されるものらば 還らざる旧軍四十七万六千余柱の 精霊なおもとどまる 雲咽万里比島の地に
痛恨の碑を建て その前に伏し 心からなる祈念を捧げたいものを
やむなく 日本列島最南端のここに碑を置き 想いを馳せてみたま鎮まれとひとしく願う
比島戦没者慰霊碑
比島戦没者慰霊碑
比島の方角を指し示す石標
碑文
岬の突端の延長線上千九百キロに 多くの同胞の果てた 比島がある
殉國戦士おもかげの像
想比母子の像
望比観音像
望比鎮魂之鐘
望比鎮魂之鐘
レイテの森
薩摩富士 開聞岳
更新日:2013/08/04