故地探訪 筑波
神雷部隊の戦闘
神雷部隊の戦闘は、敵艦載機の迎撃による被害が甚大となり、直掩戦闘機隊の損害も少なくなかった。
九州沖航空戦では戦闘306、307は半壊滅となり、航空隊の名前だけが残った。
この戦訓に鑑み、桜花攻撃は編隊攻撃から単機のゲリラ攻撃に変更され、爆戦特攻の併用が決まり、
神雷部隊の戦闘機隊は「建武隊」と呼ばれた。
昭和20年4月1日に出撃した「第一建武隊」は4機中3機が突入を報告、続く4月3日の「第二建武隊」
は突入報告率100%を記録、大いに士気を高めた。
神雷部隊 筑波隊
4月6日以降、筑波隊(筑波空)、神剣隊(大村空)、七生隊(元山空)、昭和隊(谷田部空)が新たに
神雷部隊の指揮下に加わり、建武隊とともに出撃を重ねた。
昭和20年 4月 6日 第一筑波隊 17機出撃、17名戦死
昭和20年 4月14日 第二筑波隊 3機出撃、 3名戦死
昭和20年 4月16日 第三筑波隊 10機出撃、 7名戦死
昭和20年 4月29日 第四筑波隊 6機出撃、 5名戦死
昭和20年 5月11日 第五筑波隊 9機出撃、 9名戦死
昭和20年 5月14日 第六筑波隊 14機出撃、14名戦死
県立友部病院
茨城県西茨城郡友部町
筑波海軍航空隊 隊門
本部庁舎 号令台
供養塔
矢野下墓地
茨城県西茨城郡友部町
地下壕
友部町立歴史民俗資料館
茨城県西茨城郡友部町
筑波海軍航空隊に展示されている遺品、遺影
旭地区
茨城県西茨城郡友部町
筑波海軍航空隊ここにありき
碑文
一九三四年六月開隊 練習機による操縦教育開始トトト
四四年三月 零戦による戦闘機搭乗員養成に任務変更
四五年五月 紫電戦闘機の実戦部隊となる 八月終戦ト
君は信じられるだろうか
ここを巣立った若人達が広域各地に勇戦敢闘し その殆どが南溟の空に散ったことを
また四四年十月以降 フィリピン、沖縄の作戦に数多の者が神風特別攻撃隊員として
一命を捧げたことを
この地で編成し沖縄戦に出撃散華した筑波隊だけでも五十五柱を数える
ここに万感の愛惜をこめてその鎮魂を祈り 且つ恒久の平和を念じてこの碑を建てる
更新日:2003/02/23