布哇 マキキの丘 日本海軍墓地
写真提供:零戦搭乗員会 高橋希輔様
日本海軍 鎮魂碑
碑文
遠く萬延元年四月、日米修好条約批准書の交換の遣米施設護衛艦咸臨丸が帰国の途次、初め
てハワイに寄港して以来、日本軍艦の来航は五十数回を重ね、在留邦人の権益擁護と日布親善
に寄与した功績はまことに大なるものがあった。
これら旧帝國海軍は各々その任務を全うしたが、中には不運にも任務なかばに病のために倒れ
た将兵もあった。
当マキキ日本人墓地は明治元年以来、ハワイ開拓日本人移民の縮図ともいうべき由緒有る日本
人最古の墓地である。
マキキの日本海軍墓地には、明治九年日本海軍創設当時の帝國海軍軍艦初代筑波二等若水夫
荒川又十郎ほか明治三十二年までの間に病没者十六柱の英霊が埋葬されている。これが海外
における日本海軍最初の墓地であるが、爾来幾星霜、茲に壱百年、墓標は傾き霊域は荒廃し、
見るに忍びないものがあった。
依って我々同志相諮り日本朝野関係各位の賛同と当地日系有志諸士の協力の下に「明治元年
移民渡航者の碑」と共に墓地改修を発願し、ハワイ海域に眠る無名諸英霊をも招魂し茲に鎮魂
碑を建立、史跡を保存し記録を永く後世に伝え、以って太平洋永遠の平和とこれら諸霊の冥福
を祈念するものである。
合掌
帝國海軍軍艦初代筑波二等若水夫荒川又十郎墓 大日本軍艦高千穂乗組海軍少尉候補生原亀太郎墓
大日本帝國龍驤艦 戦没者慰霊碑
由来碑
更新日:2002/12/04