大月空襲

 

昭和20年8月13日。午前8時10分頃から約30分間、B29・グラマン・ロッキード戦闘機数機が爆弾投下や

機銃掃射を行った。

当時の大月には、興亜航空・大月産業・能登飛行機等の軍需工場、都留中に立川航空廠、都留高女に陸軍

航空本部第4技術研究所の工場疎開などがあり、勤労動員で働いていた旧制都留中・都留高女の生徒や市

民が亡くなった。最も被害が大きかったのは都留高等女学校(現在の大月高校)であった。

死者およそ50名

 

行願寺

山梨県大月市

都留高女遺髪塚

碑文

遺髪塚合祀霊名

小山緑 功刀さち子 岩田昭子 幡野親次郎 田口弘子 大村薫 井汲より子 幡野たか 三浦和子

土屋綾子 浅井満智子 水越栄子 能登ミツエ 中山民子 天野五四子 三枝あや子 天野久子

佐藤幸子 吉角大久美 石原錦子 中村不士子 上野和子 高麗雅子 小俣浦子

 

遺髪塚の記

太平洋戦争もまさに終わらんとする昭和二十年八月十三日午前八時二十分思いもよらぬ無差別の空襲たちまち

悲惨 な地の地獄と化した都留高女このたった数分の挙があたら十数名の尊い命を奪う戦い終わり悲しみの中に

校葬を挙行  遺髪を塚に納めて弔う三十年旧都留高女校舎の歴史を閉するの時生徒会の名にて碑を建立今年

三十三回忌に当たり 同窓旧師四百余名挙りて遺髪塚を整備し懇ろに回向して永久の冥福を祈る。

昭和五十二年八月十三日  遺髪塚整備委員会

 

終戦既に五十年歴史の重さを痛感しつつ旧師同窓願い一つに遺髪塚をば大改修し追悼の法要も営み、以後の

管理を 都留高等学校同窓会並びに学校当局にゆだね、永久の供養と歩み来し五十年の思いを託し万感込めて

み霊の冥福を祈る。

平成六年七月二十四日  遺髪塚管理委員会

 

厄王大権現

山梨県大月市

  

平和祈願の石

碑文

昭和二十年八月十三日午前八時三十二分米軍艦載機は突如大月町を襲い山間の町民に恐怖の中で甚大

な被害を与えた

この時投下された爆弾の一つは桂川で爆発しその爆風は一、五トンの石をふき上げ百余米の高さに達したと

いう

附近は国道沿いの人家密集地であったがこの石は厄王大権現の霊験によって当山地先に落下し町民はあや

うく難をまぬかれた

時移り世が進むにつれ世人びと厄王大権現を畏敬し当時落下したこの石を、平和祈願の石と名づけここに安

置したものである

昭和四十七年四月八日  大月市長 志村寛識

 

都市空襲

更新日:2007/06/20