甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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昭和63年 4月10日

第十五回 甲飛十三期殉國之碑慰霊例祭

朗読された遺書

 

両親に宛てた遺書

父上様

母上様

皇国興廃のこの秋、忠三も選ばれて、栄ある壮途に上ることと相成りました

軍人としての栄誉之にすぐるものなく、只々聖恩の恭じけなさに感泣致す次第であります。

顧みますれば20有余年の長い間、何一つお喜ばし申し上げる事も出来ませず、何時もお志に背いて

今日に至りましたが、今度こそご恩返しを致すべき秋と大いに張り切って居ります。

現戦局を打開し得るものが、新兵器並びに神風特攻部隊の如く特攻精神に俟ちますこと

今更申し上げるまでもありません。

未だ研鑽至らぬ未熟の私も、その精神の一端にでも触れるべく、赤近家の名誉にかけて出発致します。

父上様、母上様に先立ちます不孝の程は残る兄弟たちに償って戴きまして、我が家最初の出撃者と致して、

万遺憾なき奮闘をお誓い致します。

昨年12月賜暇を戴きまして帰省の節、皆の丈夫な姿に接し心残りなき談笑に一日の骨を休めまして、

回復しました。

辰雄兄の健康な姿、前途洋々たる頼もしい操吉の勉強ぶり、鼻の頭を赤くして飛び歩く和夫を見て、

家も之からだとその隆昌を目に見えるようであります。

その嬉しさで笑って別れてまいりましたが、今もそれ以上の晴々とした気持ちで笑って征きます。

父上様、母上様何時々々までもお元気で帝国の弥栄と彼らの前途を祝福して下さい。

では征きます。

 

両親にかくせしことも君ゆえぞ 今ぞ詫びなむ秋は来にけり

 

昭和20年3月13日

御両親様

忠三



弟たちに宛てた遺書

昼飯を食べながら考えた。

大好物の生卵と焼きのり、残念ながら醤油がないので、そのまま頂戴したが妙な舌触りで美味しいとは

云えなかっが、珍重されているこれらのご馳走もたった一つの醤油が欠けていた為に、その本来の真味を

発揮出来なかったわけだ。

我々人間としても又同じであると思う。

最後の大事なものが欠けていた為、日本男児の真価が発揮できぬとあっては甚だ申し訳のない次第である。

又、焼きのりとても沢山のご馳走と並べられては、いくら力んでみても焼きのりとしての味しか出ない

であろう。

美味しい御膳に出ては感謝される事もないが、貧しい人の食膳に出ると非常に喜ばれるであろう。

しかし焼きのり自身は唯その本来のままを発揮するだけで、ご馳走に交じった時は美味しくないように

する訳でもない。

人の言葉に関係せず黙って自分のやるべき事をやっているのである。

私もやがて日本男児として、その全力を発揮すべき秋を控え最後の大事なものを欠くことなく頑張る

積もりだ。

美味しいか、まずいかそんな事はどうでもよい。

最後まで日本男児の真面目を発揮し、この身、諸共に敵を砕く覚悟である。

皆はよく心を合わせて自分に出来る精一杯の努力をするように、そして父上、母上に存分の孝行を頼む。

正敏君、君は今なお昔のままの純真さでいる事と思うが、何時までもその純粋の気持ちで頑張ってくれ。

私の気持ちは一番良く分かると思うが、幼い者たちによく聞かせてくれ。

隆久君、野心家で伸びんとするのは結構であるが、それが必ず大きな道にかなった野心であるように。

操吉君、父上の云われる通り一生懸命で勉強して皆を喜ばすように、兄さんも何処からか見ています。

好仁、和夫君、仲良く勉強して身体も心も誰にも負けぬ良い子になりなさい。

最後に皆が元気で強く逞しく育つようにお祈りしつつ、兄さんも屹度々々やる事を誓います。

 

荒波と砕けて散らん身にしあれど 寄せてかえさむ御代の弥栄

 

皆の忠義な心を寄せあつめて必ず々々

宿敵米英を砕き肇国治す世に復しましょう。

昭和20年3月10日

正敏君 隆久君 操吉君 好仁君 和夫君

兄より

 

故赤近忠三君の経歴

経歴

鹿児島県出身。京城師範学校。

昭和18年12月 三重海軍航空隊入隊。土浦空に転隊

昭和19年 9月 第一次回天特攻志願。光基地

昭和20年 3月13日 第18号輸送艦(白竜隊)で出撃。

昭和20年 3月18日 沖縄、栗国島の北で被雷、戦死。

 

備考。弟の隆久君は甲飛16期生として入隊、淡路島に赴任途次、米艦載機の襲撃で戦死

 

朗読された遺書

更新日:2007/11/03