長島秀男 寺尾博之

海軍技術中佐              海軍少尉

 

油山

福岡県福岡市城南区

海軍技術中佐長島秀男 海軍少尉寺尾博之 自刃之処

案内板

昭和二十年八月二十日未明 油山東斜面の泪が原で、長島秀男海軍技術中佐と寺尾博之海軍少尉は、祖国の

安泰を祈念し終戦の責を一身に背負って自刃されました。

この両烈士の志を偲んで現地に「自刃の碑」が建てられています。

 

海軍技術中佐長島秀男 海軍少尉寺尾博之 自刃之処

碑文

昭和二十年八月十五日、大東亜戦争終戦の大詔下るや、九州軍需管理部に所属せる海軍技術中佐長島秀男、

海軍少尉寺尾博之は、八月二十日未明、この地において遥かに皇居を拝し古式にのっとりて割腹自刃せり

 

長島秀男中佐は埼玉縣秩父郡横瀬村出身、東京文理科大学を卒業、昭和十二年身を海軍に投じ技術部門に

おける改良に尽力、航空魚雷の研究においては当代の第一人者たりき、行年三十九才、遺書に曰ふ

 

唯に 上御一人の御心を悩まん奉り候のみならず 一億国民を艱苦の底に沈ませ候事

誠に申し訳無之 所詮死を以てお詫申すべき次第に候

 

寺尾博之少尉は京都市出身、旧制高知高等学校より東京帝國大学農学部に進みしが、高校在学時よりわが國

の思想伝統を仰ぐこと深切、全国の学生有志とともに学風の改革に挺身せり、昭和十八年十二月学徒出陣、海軍

に入る、行年二十五才、遺書に曰ふ

 

一死以て臣が罪を謝し奉り 併せて帝國軍人たるの栄誉を保たんとす 願わくは魂魄

とこしえに 祖国に留めて 玉体を守護し奉らむ

 

両烈士の純真、至誠、温容なほここに在りて我等を先導し給ふごとし、ここに有志一同その志を仰ぎ祖国

日本の恒久を願ひて之を建つ

長島 寺尾両烈士顕彰会

 

海軍技術中佐長島秀男 海軍少尉寺尾博之 自刃之処

 

世紀の自決

更新日:2009/07/19