宇和島

 

沿革

昭和20年 3月 1日 宇和島海軍航空隊開隊、予科練教育を開始

              (松山空分遣隊から独立)

 

宇和島海軍航空隊

宇和島海軍航空隊の前身は、松山空宇和島分遣隊として設置。

昭和19年3月15日、甲飛13期(前期)が配属されて教育を開始。同期は、6月1日予科練教程を終了し、

上海空・青島空・徳島空(偵察)等に転隊。

6月1日に甲飛14期(前期)約1,900名が、9月1日に同(後期)約600名が松山空から転隊。

その後、甲飛15期・甲飛16期がここで予科練訓練を受けた。

昭和20年3月1日、分遣隊が独立して宇和島海軍航空隊となったが、5月31日に予科練は教育中止となり、

「伏竜」などの特攻隊員として退隊。その後は特別陸戦隊編成となり終戦を迎えた。

 

宇和島空への爆弾投下

昭和20年8月8日、宇和島海軍航空隊に総重量約4,800kgの爆弾が投下され予科練生等18人が爆死(推定)。

この爆弾は模擬原爆ではないかとの指摘がある。

模擬原爆は日本各地に投下されているが、宇和島は第一目標ではなく予科練の北側の建物が「未確認組立工場」

が第二目標のリスト登録されていたらしい。

爆弾が落ちた場所は湧き水がたまって池になり、坂下津産業団地が整備されるまで現存した。

 

坂下津産業団地

愛媛県宇和島市

宇和島海軍航空隊跡の碑

記念之譜

太平洋戦争熾烈の秋 我等海軍甲飛十四期生は此の地にて猛訓練に励み飛翔の機を待ちたり

爾来三十有余年 往時を偲びて感無量なり 平和の世にあるを謝し 我等の青春の譜を功銘せ

んとす

因って隊跡に碑を建て 亡き同期の桜の冥福を念じ 祖国の弥栄を祈るものなり

昭和54年3月11日 建之  元宇和島海軍航空隊第14期甲種飛行予科練習生有志一同

 

宇和島市立歴史資料館(旧宇和島警察署)

愛媛県宇和島市

旧宇和島海軍航空隊 甲種飛行予科練習生実習用教材  旧日本海軍魚雷酸素式機関部 

 

  

旧宇和島海軍航空隊 甲種飛行予科練習生実習用教材  旧日本海軍魚雷酸素式機関部 

 

予科練

更新日:2008/09/21