岡 崎

 

沿革

昭和19年 5月  日 岡崎海軍航空隊開隊、予科練教育を開始

              (土浦海軍航空隊分遣隊として新設)

 

熊野神社

愛知県三河安城市

予科練之碑

碑文

此処は第一岡崎海軍航空隊跡にて予科練習生揺籃の地なり

自らの若き命を楯として祖国を守らんと全国より志願して選ばれた若人が六ヶ月間の猛訓練に耐え

海軍航空機搭乗員としての精神を培いたる地なり

生涯を祖国に捧げんとこの地に集い実戦航空隊へ巣立つも戦局に利なく大空をはばたく間もなく血

涙をのんだ終戦

爾来二十八年吾等相寄り相語り既に亡き戦友の慰霊を兼ねた『予科錬の碑』を建立するものである

 

柳川瀬公園

愛知県豊田市

若桜之碑

碑文

昭和五年、早期英才教育を目的に海軍飛行予科錬制度が採用された。

昭和十九年、従来の予科錬教育を改革して航空機整備技術を修得させ、のちに飛行機操縦を習得

させる新しい制度が実施されることになった。

同年五月、土浦海軍航空隊分遣隊として、安城、岡崎、豊田市が交差する地点に第一、第二岡崎海

軍航空隊が新設され、全国各地より厳選された一万二千余名の若者が第一期生より第八期生まで

入隊して六ヵ月の短縮予科錬過程を終了して内外地の実施部隊に配属されていった。

名古屋岡崎分遣隊は、第三岡崎海軍航空隊と改編して優秀なる飛行機搭乗員を養成しのちに沖縄

特別攻撃隊を編成して出陣していった。

太平洋戦争末期岡崎海軍航空隊出身の予科錬、飛錬で尊い生命を散華した数は意外に多い。その

閃光にも似た十四歳より十九歳に満たんとした青春を悼んで此処に碑を建て桜を植樹永くその意を

伝えるものである。

 

尾崎共同墓地

愛知県安城市

開拓記念碑

記念碑由来

此地は大東亜戦争に際し海軍航空隊の用地となり終戦後農林省の緊急開発事業として着工

昭和二十九年二月を以って八千余町歩の耕地を完成した

記念碑は飛行場内に在った防空施設の一部を使用したもので 開拓記念の為橋目丙 小針

 柿崎 尾崎 宇頭茶屋の開拓関係者に依り之を建設した

 

山王神社

愛知県豊田市

  

海軍神社手水鉢

刻銘

昭和十九年十一月九日 第二期甲飛飛行機整備練習生

 

予科練

更新日:2004/09/18