人 吉

 

沿革

昭和19年 2月 1日 開隊、練習航空隊に指定、第18連合航空隊に編入

昭和20年 3月 1日 第22連合航空隊に編入

昭和20年 7月10日 解隊

 

木上地区

熊本県球磨郡錦町

  

隊門跡

 

  

人吉海軍航空隊之碑

碑文

霧深し 見果てぬ夢の たかんばる

人吉海軍航空隊は大東亜戦争の際 昭和十九年二月此の高ン原の大地に開隊し 庁舎 居住地区

飛行場地区合せて約一二〇万坪を占め 全国の熱烈たる志願者から選抜採用された飛行予科練習

生を教育した

昭和二十年八月終戦を迎えるに及び折角祖国の急に役立たたんと奮い立った予科練から復員 四散し

て其の念願は空しく潰え 其の施設は跡形もなく消え去った

遍莫彼等が若き日 此の地で培われし敢闘精神は確固として身に着き 社会のあらゆる職域に各々指

導的立場に立って戦後の復興に貢献し 戦後三十年人吉市原の城望岳苑に建つ留魂の碑となり 高ん

原の地は永く祖国今後の進展を期する魂の故郷となって今に遺る

国破山河在 城春草木深

今繁る夏草の其の根を培いたる人吉海軍航空隊を伝へて略史とすと云爾

昭和五十年八月十七日  元人吉海軍航空隊司令 海軍大佐 田中千春撰

第三十二隊練習生 千田良一謹書

 

  

高ん原慰霊の碑

碑文

太平洋戦争日々に苛烈を加えた昭和二十年二月十八日 ここ人吉海軍航空隊は米艦載機延べ二十三

機の空襲を受け 戦死者九名 格納庫全焼二棟 兵舎大破一棟 燃料ドラム缶爆発炎上の損害を蒙っ

た 続いて五月十四日 同じく小型機十六機の波状攻撃によって 建物に多数の貫通孔と 滑走路に幾

つかの爆弾穴を生じ 木上村の民家二戸が被災し 四名の爆死者が出た

このほか 激務に殉じ 刻励に斃れた隊員もまた少なくない 当時ここに 戦没の諸氏と侵食をともにし 

かつ生死を分かちあった者の一人として 回想すれば痛恨今なお断腸の想いが去来する

烈々たる闘魂を抱きながら終戦を迎え 全国各地に四散して早や四十有六年 思えば困窮そして苦闘の

歳月であった しかしこの間 祖国の復興はめざましく 経済成長による国民生活の繁栄は世界に冠たる

ものとなった これ偏に諸氏の命の犠牲と諸氏の祖国愛の衷情に支えられて実現したというべきであろう

この地に かつて諸氏とともに戦い ふるいは別途中国 あるいは南方諸域に幾度か死線を越えた身の 

いま独り命永らえて今日あるは 思えば真に運命の不思議という外はない

ここに ささやかながら慰霊の碑を建立し 戦没散華された諸氏の芳名を刻してその冥福を祈り 祖国の

名誉ある隆昌と 世界恒久の平和の実現を祈念して 回向の敬意を捧げる

諸霊願わくば来り享けよ

平成三年九月吉日  元人吉海軍航空隊補充新兵教班長 元予科練人吉会事務局長 現人吉遺族会副会長

八十翁 野方辰吉   撰文渋谷 敦

 

  

軍人勅諭の碑

 

  

誠心石

碑文

先に有志相謀って「軍人勅諭の碑」を再建したが 今回人吉東小学校々庭の整地にともない その一隅に

置かれていた「誠心石」を譲り受けた

この「誠心石」はかつて「軍人勅諭の碑」の上部に冠せられたもので 早速この地に運んで旧状の復元をは

かったが 碑の基礎負荷に多少の不安が残り 考慮の末今回はやむなく碑の側に並べて保存することした

以上記して後世に託す

予科練人吉会  撰文渋谷 敦 倉橋信夫謹書

 

人吉農芸学院

熊本県球磨郡錦町

隊門跡

 

  

人吉海軍航空隊跡の碑

 

望岳苑

熊本県人吉市

   

予科練留魂の碑

碑文

大東亜戦争の劈頭ハワイ・マレー沖海戦に航空主兵時代の到来を実証した。

帝國海軍は弥々航空兵力の増強充実に力め国内各地に続々練習航空隊が開設せられた 人吉海軍

航空隊は其の一つ 昭和十九年二月 球磨郡木上村川辺 球磨の清流に裾を洗わはるる高ン原の大

地に開隊 第十八連合航空隊に属し 全国の猛烈なる志願者より選抜採用された飛行予科練習生に

整備教育を施し 二十年七月解隊迄に凡そ六千の航空要員を実施部隊に送り出した。

顧れば此の一年半の当隊の活動は戦時の速成教育から九州各基地への防衛協力 戦備強化作業の

推進 更に教育中止後は佐世保鎮守府麾下第二十二連合航空隊に編入せられて 九州各地区の防備

に任ずる等 当時の戦局の推移をそのままに反映したものであり 其の執れにも目覚しい成果を挙げた

が 終戦と共に其の施設は今僅かに遺る滑走路の他は跡形もなく消え去った。

隊員の当時の真剣な意気込は青春の総てであり 山紫水明の風土 純朴なる人情と共に今も忘れ得ざ

る所 戦後転じて祖国復興の担ひ手となり苦難の道を歩いて二十六年 今繁栄日本を見る

往年ここに学びし予科練有志 人吉会を結成し相謀って此の地に記念碑を建つ 曾て此処に培われし敢

闘精神を平和の戦士として倍々祖国の進展に活かさんことを期して也

昭和四十六年八月  元人吉海軍航空隊司令 田中千春撰

 

予科練

更新日:2009/01/25