秋枝三郎

海軍中佐

 

略歴

大正 5年 9月15日 山口県豊浦郡豊北町 出身

昭和13年 9月25日 海軍兵学校 卒業(第66期)

昭和14年 3月 1日 軍艦霧島 乗り組み

昭和15年10月  日 呉潜水学校 入校(士官講習員)

昭和15年11月 1日 母艦千代田 乗り組み

昭和16年 1月  日 特殊潜航艇投下発進訓練 開始(大迫)

昭和16年 3月12日 第一期訓練開始(三机)

昭和16年12月 8日 開戦 第一次特別攻撃隊真珠湾突入 

 

昭和17年 4月15日      呉軍港を出発、瀬戸内海で最後の訓練を実施

昭和17年 4月16日 0200 四国長浜沖に停泊

.              0500 出発

.              0730 柱島泊地にて山本五十六連合艦隊司令長官の訓示を受ける

.              1100 柱島泊地抜錨出撃

.              1800 豊後水道通過

昭和17年 4月25日 シンガポール通過

昭和17年 4月26日 マレー半島ペナン入港

昭和17年 4月30日 0120 伊20潜に特殊潜航艇積載

.              0230 ペナン港出発

昭和17年 5月17日 マダガスカル島南端300浬に到着

昭和17年 5月21日 マダガスカルの英艦隊攻撃に決定、攻撃日5月30日

昭和17年 5月29日 マダガスカル島北端西方の収容地付近地形を偵察

昭和17年 5月30日 0600 ディエゴスワレス港に接近

.              0630 発進

.              0830 突入、戦艦ラミリーズ大破、タンカー一隻沈没

昭和17年 5月31日 湾口北側の小島に座礁、秋枝大尉・竹本一曹上陸

昭和17年 6月 2日 アンバ岬西方ピエタレタにて英軍警備隊と交戦、戦死(享年26歳)

昭和17年 6月 4日 母艦捜索中止

昭和17年 6月 7日 ローマ放送により戦果確認

 

英チャーチル首相「第二次大戦回顧録」

1942年5月31日夜、ディゴスワレズに停泊中の戦艦ラミリーズと大型油槽船が

突如、横腹に魚雷を受け、戦艦は大破、油槽船は沈没の被害を受けた。日本軍兵士は

その任務遂行後、わが方に圧迫せられ、乗艦を自沈せしめた後上陸し、抜刀斬り込み

を敢行した。わがパトロール隊はこれを包囲し、降伏を勧めたが、聞き入れなかった

ので、已む無く射殺した。二人の日本人将校は国の為に挺身し、類無き功績をたてた

のだ。

 

海翁禅寺

山口県豊浦郡豊北町

  

秋枝三郎海軍中佐墓碑

 

本圀寺

山口県山口市

国士招魂之碑

由来

日本の敗色濃くなった昭和19年10月 1日、山口市内道場門前の本圀寺境内で「国士招魂

之碑」除幕式が厳かに執行された。

この碑は、特殊潜航艇第二次攻撃隊の秋枝三郎海軍中佐、ソロモン上空に散華した佐伯忠男

陸軍大尉、ブーゲンビルに自爆した伊豆田雄士陸軍少佐、アッツ島玉砕の金子寛貞陸軍中尉、

南方方面において壮烈なる戦死を遂げた三原正夫陸軍大尉、満鉄在職中に鉄路防衛に殉じた

山本太郎、南方某方面敵前上陸の際に散華した梅津浩康陸軍軍曹、以上の山口高校に学ん

だ七烈士を祀ったものである。

 

波多見八幡山神社

広島県安芸郡音戸町

  

マダガスカル島ディエゴスワレス港慰霊碑 初代銘板

碑文

日本海軍特殊潜航艇二勇士 一九四二年六月三日 この地に戦死す

 

説明板

この銘版は1942年5月30日マダガスカル島ディエゴスワレス港所在英国艦隊攻撃成功後、

上陸、山中を踏破し母潜水艦を望む丘に到達しながら英軍に発見され戦死した特殊潜航艇

搭乗員を偲び建立された碑のもので長年風波に曝され衰朽甚だしく新品と交換され日本へ

送られた初代銘版です。

 

特殊潜航艇

更新日:2004/11/15