神国思想「神風」

 

延喜21年(921年)、醍醐天皇は神のお告げにより「敵国降伏」の宸筆を下され、 筥崎宮の建立

を発願。延長元年(923)年に大分宮よりこの宮に遷座された。

1200年代(鎌倉中期)、元初代皇帝クビライ(チンギス汗の孫)は高麗(朝鮮王朝)を征服し、日本

にも服属を迫ってきたが時の執権・北条時宗はこれを拒否した。クビライは文永11年(1274年)、

弘安4年(1281年)の二度にわたって大群を率いて壱岐・対馬を侵略、さらに北九州へ上陸した。

これを元寇の役(文永・弘安の役)という。

しかし西国武士団の結束による奮戦と、折りからの暴風雨による舟艇の転覆によって、クビライは

敗退した。

未曾有の国難に打ち勝ったことから筥崎宮は国の守護神として崇められ、暴風雨も当時の神国

思想により、伊勢の神のおかげで吹いた神風」だと考えられた。

 

筥崎八幡宮

福岡県福岡市東区

 

 

  

東郷平八郎元帥揮毫の社号碑                                  拝殿       

 

  

御製  …四方の海みなはらからと思ふ世よ なほ波風のたちさわぐらむ               扁額 …敵国降伏               .

 

  

神風碑                                          句碑

 

蒙古軍船碇石   元寇防塁

 

  

軍歌「元寇」 ♪四百余州を挙る十万余騎の敵・・・                        唐船塔             

 

特攻の系譜

更新日:2007/02/03