顕彰 潜水艦

 

東郷神社

東京都渋谷区神宮前

  

潜水艦殉国碑  …伊33潜の潜望鏡

碑文

潜水艦勇士に捧ぐ

太平洋戦争中、百二十余隻の潜水艦と共に戦没された一万余人の乗員諸君。特殊潜航艇及び

回天決死隊諸君。また諸公試、演練に殉難された諸君。諸君の遺骨は海底深く沈んで之を回収

する途がない。

しかし、それは国難に赴いた諸君の忠誠が、そのまま其戦場に在ることを意味する。民族の急

を救うべく戦った犠牲の精神は永えに其処に活きている。

残された潜水艦関係の吾等は、個人と法人と併せて幾千、常に諸君の英霊の坐する海底を見

つめている。願わくは日本国民の全部も、ありし日の諸君の勇姿と、奮戦激闘の光景と、護国の

屍となった戦場とを緬想して、敬弔の誠を伸ぶると共に、祖国再興の心の糧とすることを祈願し

て巳まない。

茲に曽ての戦友、潜水艦建造関係者外有志一同相計り、小碑を東郷神社の霊域に建立して

諸君不滅の忠魂に捧ぐ。

 

佐世保海軍墓地

長崎県佐世保市東山

  

「佐世保鎮守府潜水艦合同慰霊碑」

碑文

佐鎮潜水艦勇士に捧ぐ

さきの大東亜戦争、昭和十六年十二月八日海戦より、昭和二十年八月十五日終戦まで、三年

八ヶ月の間大命一下、帝國海軍は、広大な諸海域において、寧日なく激烈な戦闘行動に従事

した。

戦前、戦中を通し、佐世保鎮守府潜水艦は、無敵必勝の旨を体して勇戦奮闘したが、沈没した

もの三十二隻、戦公死者二千五百九十一名の多きに達した。痛惜の極みである。

今、終戦四十周年の好機に際会し佐世保潜水艦乗員の残存者有志一同相図り、関係遺族及び、

他の多数有志者の協賛を賜り、旧海軍墓地聖域に合同慰霊碑を建立することを得た。

茲に、謹んで、英霊を慰め、旧帝國海軍潜水艦の栄光を讃えて、無限の哀悼の微衷を捧げ、

併せて日本国将来の安泰と繁栄を祈念する。

 

呉海軍墓地

広島県呉市長迫

 

呉鎮守府潜水艦戦没者之碑

さきの凄絶なる大東亜戦争において、祖国の隆昌発展を願いつつ、万里の果てに敵を撃ち、至誠と

情熱とを捧げて己が努めを尽くしたる後従容として戦没せし潜水艦三十五隻、艦と運命を共にされし

英霊は三千余柱を数う。

戦いの日過ぎ去りて半世紀、今日の祖国の平和と繁栄とはここに眠れる尊き英霊の犠牲の賜にして、

切々たる追惜の情もだし難く有志相計り「呉鎮守府潜水艦戦没者之碑」を母港の上に建立す。

諸兄の示されたる純粋にして無垢、崇高なる殉国の真心とその輝かしい勲とを、後世に伝えてその遺

徳を顕彰し、併せて祖国の永遠の平和を希うものである。

在天の英霊ここに還りて、ありし日を我等と共に静かに語らん。

 

回天記念館

山口県徳山市大津島

回天碑 側碑

碑文

必死必中の特攻兵器「回天」を搭載して、南冥の敵中深く泊地を奇襲し、或は航行する艦船に対して

回天戦を挑み、米海軍の心胆を寒からしめた回天作戦において、敵の攻撃を受けて帰らざる潜水艦

は八隻、その乗員は八百十一柱を数える。

劣悪な艦内環境に耐え、戦争を挽回すべく、憂国の至情に燃えて戦い、回天烈士とともに散華した勇

士は、今も艦とともに海底深く沈んでそのまま其の戦場にあり、民族の急を救うべく戦った犠牲の

精神は永久に活きている。

われらはいま、回天の聖地にその事跡を刻み、弔魂の誠を捧げる。

 

回天を搭載して出撃した戦没潜水艦

伊号第三七 神本信雄艦長以下112名

出撃地:大津島 戦没地:パラオ 昭和19年11月 8日

伊号第四八 当山金信艦長以下118名

出撃地:大津島 戦没地:ウルシー 昭和20年 1月 9日

伊号第三六八 入沢三輝艦長以下 80名

出撃地:大津島 戦没地:硫黄島 昭和20年 2月20日

伊号第三七〇 藤川 進艦長以下 79名

出撃地:光 戦没地:硫黄島 昭和20年 2月21日

伊号第五六 正田啓治艦長以下116名

出撃地:大津島 戦没地:沖縄 昭和20年 3月31日

伊号第四四 増沢清司艦長以下126名

出撃地:大津島 戦没地:沖縄 昭和20年 4月 3日

伊号第三六一 松浦正治艦長以下 76名

出撃地:光 戦没地:沖縄 昭和20年 5月23日

伊号第一六五 大野保四艦長以下104名

出撃地:光 戦没地:マリアナ東方 昭和20年 6月15日

 

潜水艦部隊

更新日:2004/10/23