第128 震洋特別攻撃隊

手 結

 

 

幻の土佐沖海戦

終戦翌日の昭和20年8月16日午後七時頃、高知県須崎の第二十三突撃隊司令から「本土上陸の目的

をもって敵機動部隊が土佐沖を航行中、直ちに出撃してこれを撃滅すべし」との戦闘命令が、二十三突の

震洋隊・回天隊へ発令された。

手結基地「震洋」隊でも直ちに準備にかかり、「震洋」試運転中に突然一艇から発火し、22艇が次々と爆発

し搭乗員、整備員等111名が爆死した。

これを発見した見張所は「敵機動部隊、高知平野東部手結岬方面を砲撃中。目下付近の海軍特攻部隊は

続々出撃、戦果拡大中」と打電。これを受けた陸軍四国防衛軍は大本営に「敵艦船とわが海軍部隊が交戦

中」と報告した。四国在の各部隊は一斉に戦闘配置につき、第二十三突撃隊本部から須崎と浦戸の基地回

天隊にも「回天戦用意」が発令された。

 

翌17日朝、誤報であることが判明し各隊の戦闘用意は解除された。

終戦後の混乱期にあっとはいえ、この事件は世間に大きく取り上げられる事も無く終わった。

 

昭和31年にいたり地元の夜須町有志が立ち上がって奉賛会を結成するとともに、各方面から浄財を集め

震洋隊殉國慰霊塔」を建立、毎年8月16日に慰霊祭が執り行われている。

 

手結港

高知県香美郡夜須町

震洋隊殉國慰霊塔

碑文

この土この磯 噫々一二八震洋隊

手結の岬の海鳴は あの日の戦友の雄叫びか    

.        土佐住吉の潮騒は  散った御霊のささやきか

おゝこの土もこの磯も 若き血潮が染みている

昭和甲子作詞 平成癸酉之建 呉志飛三八六五二

 

 

震洋隊殉國慰霊塔

 

震洋隊殉國慰霊塔

 

震洋隊殉國慰霊塔  甲飛十三期高知地区会 奉納石灯籠

 

震洋隊殉國慰霊塔  爆発事故で飛散した震洋搬送台車の車輪

 

震洋の海/手結湾

 

震洋特攻隊

更新日:2009/12/13