谷田部

 

谷田部海軍航空隊

昭和14年12月、霞ヶ浦海軍航空隊谷田部分遣隊から独立、開隊。

最初は戦闘機実用教程の教育部隊だったが、後に零戦による首都防空を主任務とする実戦部隊となった。

沖縄戦以後は特攻隊が編成され、第一昭和隊などがこの基地から出撃した。

 

谷田部神社

茨城県筑波郡谷田部町

谷田部神社

 

覆い屋の中に祀られている谷田部空の航空神社

 

常磐自動車道

茨城県筑波郡谷田部町

昔日の面影を名称に残す「飛行場橋」

 

飛行場橋

 

筑波学園病院

茨城県筑波郡谷田部町

谷田部海軍航空隊記念碑

碑文

谷田部海軍航空隊は、昭和七年霞ヶ浦海軍航空隊(予科練)の補助飛行場としてこの地に開設され、

練習機による飛行士養成を目的としていたが、昭和十四年独立し、零戦や紫電を主力として首都防空

の実戦部隊となった。その後昭和十九年戦闘機操縦訓練隊となり沖縄方面の特攻作戦に従事した。

戦後、跡地の一部建物(兵舎)を筑波学園病院の病棟として利用し、平成十一年に解体し現在に至っ

ている。ここに恒久の世界平和を願いこの碑を建立するものである。

平成二十五年三月吉日  財団法人筑波麓仁会

 

谷田部海軍航空隊記念碑

 

円通寺

新潟県十日町市

谷田部海軍航空隊 衛門

 

航空兵士 雲意鶴情像

碑文

大東亜戦争 戦没同期の霊に捧ぐ

青春の朝焼の中に散華せし友の面影ここにとどむ 願わくは魂魄よみがえりて悲しき歴史を永遠に証せよ

昭和五十四年四月 谷田部海軍航空隊 有志

 

円通寺 谷田部航空隊 門柱のいわれ

昭和五十四年四月 渡辺賢一郎の戦後三十五年にわたる悲願であった雲意鶴情像建立の法要が円通寺で行われた

その三年後に谷田部町の街角に捨て去られていた古柱が我等が母航空隊の衛門と確認され この地に運んで像と

相並んでその偉容が再現 後世への無言の警世の証しとなったのである

 

神風特別攻撃隊昭和隊54名の碑

 

神風特攻隊

更新日:2013/06/29