串 良

 

略史

昭和19年  月  日 航空機整備員の養成を目的として開隊

             戦局の悪化に伴い作戦基地へ変更

             各地の航空隊から部隊が進出し、沖縄敵艦隊に特攻隊として出撃

昭和20年 8月15日 終戦

 

平和公園

鹿児島県肝属郡串良町

串良基地跡慰霊塔

碑文

今出撃せんとす  何も思い残すことなし  父母兄姉よ幸福であれ

心爽やかにして大空の如し  こうしているのもあとしばらくです さようなら

太平洋戦争末期斯くして串良  航空基地より飛立ち肉弾となりて

帰らざりし三百有余の御霊よ 安らかれ  必ずや平和のいしずえとならん 

昭和四十四年十月十一日 

旧串良海軍航空隊基地出撃戦没者慰霊塔建設期成会々長 串良町  佐枝 

 

串良基地跡慰霊塔

 

  

海軍攻撃第二五四飛行隊 串良基地派遣隊

碑文(表)

殉忠の若鷲に捧ぐ

大空に散りし桜の花片を 手に揉みあげて 君が名を呼ぶ

 

碑文(側面)

海軍攻撃第二五四飛行隊は 新鋭機天山艦攻で編成された 日本海軍航空母艦部隊最後の艦上

攻撃機隊であり 太平洋戦争劈頭におけるハワイ攻撃以来の栄光と伝統に輝く精鋭部隊である

太平洋戦争中の昭和二十年三月、ここ串良海軍航空基地に派遣隊を設置し 数次にわたり進出

夜間雷撃隊として沖縄周辺の敵艦隊群に対し果敢なる攻撃を敢行した

多大な戦果を挙げたが その大部は大空に散華した 終戦四十年を記念し 派遣隊員総員の功績と

栄誉を称えるため 海軍攻撃第二五四飛行隊生存者有志一同 ここに記念碑を建立したものである

 

予科練串良空八期会 翔空

 

第九期乙種飛行予科練習生 翔友

碑文

嗚呼 今茲に万感の思いをこめて建碑せしむ

「海ゆかば みずくかばね」

思い返せば戦雲急を告げる昭和二十年一月十五日 我々は第九期乙種飛行予科練習生として

奈良海軍航空隊に 幼な心にも其の国難に殉ずべく大志を抱いて入隊せり 一定の教育期間を

終え此の地 串良海軍航空隊を初め全国津々浦々に在せる海軍基地に赴く 時弱冠十四才より

十九才の未だ母を慕う少年であった

戦火愈々厳しく各基地で訓練半ばにして我が友が散華していく まさに粉骨砕身 身を鴻毛の軽

きにおきであった

嗚呼 無情と言うも仲々おろかなり

然し予科練という誇り高き時でもあった 無敵を誇った我海軍航空隊も戦い我に利なく終戦を迎

えて四十五年 我々は若い血潮を滾らせた予科練魂を戦後日本の復興に熱血を注いで来た 

今我々九期生一同も還暦を過迎せり

茲に同期生の賛助を得て記念の碑を建立せしめ 其の名を刻し 我が愛する日本国の永久の

平和と繁栄を希い 今は亡き友の霊を慰めるものなり

平成二年十月十五日 九期生有志一同

 

第一岡空若桜会 慰霊の碑

碑文

恵みあらば 永遠に平和の続くよう 国鎮め 南無逝きし 御霊よ

憂国の志に燃えて昭和十九年六月 海軍甲種飛行予科練習生・二期生として七五〇名(十五

才〜十八才)愛知県岡崎航空隊に入隊

同年十二月 遠くは上海(中国)元山(朝鮮)等各基地に配属 我等はマニラ・クラーク基地なる

も戦火激しくここに留まる 特攻隊員との送別 その感動いまだ消えず 戦い敗れて甦る平和 

万感胸に逼りて弔詞に詰まる 今ここに串良同志と共に各基地配属の二期生集いて御霊を慰

めんとす 唯一向に合掌あるのみ

平成三年九月吉日 第一岡空若桜会 串良基地在隊者一同

 

串良海軍航空隊飛行予科練習生三期生 蒼空和親

碑文

起死回生を念じ太平洋戦争の真っ只中に集いし若人の霊を慰めん

祖国日本の上空に暗雲漂い始めし昭和十九年七月十五日 憂国の志に燃え ここ串良原頭に

集いし十四才から十八才までの若人八百名 串良海軍航空隊予科練習生第三期生として入隊

せり

灼熱の太陽の下 また寒風肌刺す高隈おろしに身をさらし 若鷲として国難に殉ぜんと 七つ釦

は桜に錨 不橈不屈の予科練魂の養成はもとより 体育 整備学 航空力学 通信 手旗信号

等 月月火水木金金の日なりき

昭和二十年一月十五日 教程終了と共に国内はもとより 遠くは釜山 上海 台湾等各実施部

隊へ配属 一部は飛練空へと進めるも 戦況日々悪化し台湾方面にて二十九名の戦死者を出

し 八月十五日を以って終戦となる

陽光うららかな串良の地に 今は亡き友の御霊を弔慰し 人類永遠の平和と繁栄を願

い ここに碑を建立す

平成五年十月吉日 串良海軍航空隊三期生 有志一同

 

百里原海軍航空隊 神風特別攻撃隊 常磐忠華隊・皇花隊・正気隊

碑文

鎮魂を 願いしままに 年過ぎて 漸くに建つ 朋の墓標

この地はや 発進の地ぞ 平和の礎となり給いたる 四十五柱のみたまよ

南風にのり還り鎮まりませと 祈りつつここに碑を捧ぐ

平成十七年四月

 

(参考掲載)

世田谷観音

東京都世田谷区

天山隊之碑

碑文

大東亜戦争末期昭和二十年四月六日 鹿児島県串良基地発進 沖縄周辺に来寇中の

敵機動部隊に体当り攻撃を敢行し 戦艦五隻 空母二隻 及艦種不詳三隻を轟沈或は

大破し多大の戦果を挙げ全員散華せり

神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊員 攻撃第二五一部隊 攻撃第二五四部隊

 

神風特攻隊

更新日:2009/12/12