出 水

 

出水海軍航空基地

昭和18年 4月15日 開隊、練習航空隊として予備学生、甲種予科練等の陸練操縦教育を担当

昭和19年 3月15日 国分分遣隊を設置

昭和19年 3月15日 国分分遣隊が独立

昭和20年 2月11日 第一出水航空隊と改称

           戦争末期は特攻基地として銀河隊等が進出し、沖縄の米機動部隊に対して攻撃を行った。

 

特攻神社

鹿児島県出水市

特攻神社 新社殿

由緒

当神社は、昭和十八年四月一日開隊された出水海軍航空隊の守り神として建立された。後になって

同航空隊が出水基地特別攻撃隊となるや、出撃する特攻隊員の総てが当神社に使命の成功を祈願し

て出撃した。大東亜戦争の終結により航空隊は解散し神社も放置され、神社跡地には杉木が植樹さ

れ発見されなかった。その後平成2年宅地造成により、神社の台座が発見されたので、創始者たる

崇敬者達が当地を買収し、特攻隊員として戦場に散った各位の御霊を祠ると共に、祭神の神徳を広

めるため「特攻神社」を建立した。

 

特攻神社 旧社殿

 

特攻隊員像/南方のかなた

 

英霊之碑

碑文

第二次世界大戦において祖国日本を守護せんとして昭和二十年四月十七、十八日 出水海軍航空隊

基地にて壮烈な戦死を遂げた出水第二海軍航空隊所属練習生の若き勇士百余名の無名戦士の墓標を

英霊の碑と改め茲に判明された戦死者の名を刻し永久に安らかに眠り給えと祈りこの碑を建立せる

ものである

 

隊門遺構

 

献木 ふる里桜

 

献歌碑

碑文

玉砕の 御霊なぐさめ とこしえに 守り給へや 特攻神社

 

特攻碑公園

鹿児島県出水市

陸攻隊銀河隊出撃之地

碑文

大東亜戦争中昭和19年10月、銀河陸上爆撃機405、攻撃406飛行隊は、此の地に763空

を編成開隊し、殉職者相次ぐ猛訓練を重ね、台湾・比島・沖縄方面に転戦、特に比島及び出水より

は特攻出撃を繰り返し、翌20年4月までの間にその多くが散華した。

昭和20年4月、一式及び九六式陸上攻撃機松山空・豊橋空攻撃隊は、米軍沖縄上陸に対応し、急

遽此の地に進出、出水部隊陸攻隊として沖縄周辺の米艦船並びに飛行場に果敢な夜間攻撃を反復し

早くも六月遂にその過半を失うに至った。

昭和18年出水海軍航空隊開設以来、若き隊員を声援し、空襲下基地修復にも努められた出水の市

民に、多くの犠牲者を生じたことは遺憾の極みである。

戦後五十年に当り、戦没者全員の慰霊のため、ここに碑を建立するものである。

平成七年四月十六日 出水市特攻碑顕彰会 松島空・豊橋空慰霊世話人会

 

  出水海軍航空隊無名戦士墓

 

櫓木山中に眠る十勇士の霊 慰霊塔

 

鎮魂 護国之英霊

 

阿川弘之 特攻碑

碑文(表)

雲こそわが墓標 落暉よ碑銘をかざれ

碑文(裏)

吾らに代わりて 代わりなき若き命を南海の千尋の底に沈めし若き勇士たちよ 今日よりは安らけく瞑れ

昭和三十五年四月十六日建立  碑銘 阿川弘之「雲の墓標」より

 

献歌碑

碑文

長州の 花に生まれて 国の為 出水の里で 永久に眠れ 

国のため 何か惜しまん 若桜 散て甲斐ある 命なりせば

空まもる つわものどもの 勲は 永久に眠れし 出水の里に

 

防空戦闘指揮所 入口@

 

防空戦闘指揮所 入口@

 

防空戦闘指揮所 内部

 

防空戦闘指揮所 入口A

 

防空戦闘指揮所 敵機銃撃による破片

 

  衛兵塔 敵機銃撃による弾痕

 

昭和20年4月16日、出水基地上空の空戦で被弾墜落した松島空所属の九六式陸上攻撃機の主翼の一部

 

戦後、出水地先の海中において魚網にかかった友軍機のプロペラ

 

掩体壕

 

掩体壕

 

神風特攻隊

更新日:2013/11/03