長濱 清
陸軍少尉
資料提供:小林 実様(印旛航空機乗員養成所五期生、同回想集出版委員会代表)
略歴
大正14年 2月15日 千葉県印旛郡船穂村出身
昭和19年 3月15日 印旛地方航空乗員養成所卒業(1期)
昭和19年 3月 日 浜松陸軍航空隊
昭和19年 月 日 鉾田陸軍教導飛行隊
昭和19年11月 8日 鉄心隊員として鉾田基地を発進
昭和19年11月16日 比島カローカン基地
昭和19年12月 5日 レイテ湾沖スルアン島付近で敵艦に突入
散華(享年19歳)
遺書
遺 なきあと
自分は終生を家にて送ることは許可せられぬ身。天性に従ひ、身航空に投ず。大君のた
め、国のため、何時何所に散るも、何らの悔ゆる所無し。
唯此の世を父母に残して去るは、不幸とも思ふも、考え方に依りては、又孝ならん。孝だ。
家は小さな孝(弟)がやって呉れるで有らう。後二十年、長い様で短いものだ。
安らけく子をいつくしみ下さった親を養ふは子の当然の務ではないか。然し自分は與任務
に向かって進んで行かう。そこには生も死も何物もない。
他人に負けず努力、それは死の前の花だ。その時こそ自らが開いた花で有る。
私、一回毎に家に帰る時、今度の父母、祖母への体面は最後と思ひ、いろいろとあまえ
る。又働く。そして帰る時は必ず心残りなくして、後始末して家を去る。然し未だ孝少なかり
しは残念なり。
同僚と共に(左端:長濱少尉)
鉄心隊の戦果と最後はどうであったのか。掩護機の報告も無く、明らかではない。
防衛庁戦史室「比島捷号陸軍航空作戦」には、「夕刻マニラを出発した鉄心隊の隊長松井
中尉ほか二機が、スルアン島付近で艦船を攻撃した。戦果は夜暗のため明瞭ではなかっ
た。」と記されている。
印旛地方航空乗員養成所・鈴木教官の言葉
「戦果を確認して貰えなくても、突入していったのだ」
如意輪寺
千葉県印西市草深
長濱少尉墓碑(右側:個人墓)
更新日:2003/08/11