陸軍特攻隊 顕彰

 

靖國神社

東京都千代田区

  

昭和20年6月11日沖縄海洋戦死 万世出撃沖縄海域散華

振武64国華隊 渋谷中佐以下9柱命之慰霊  植樹

 

世田谷観音

東京都世田谷区

神州不滅特別攻撃隊之碑

碑文

第二次世界大戦も昭和二十年八月十五日祖国の敗戦という結末で終末を遂げたのであるが、終戦後の

八月十九日午後二時、当時満州派遣第六七五部隊に所属した今田均少尉以下十名の青年将校が、国

敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ、と又大切な武器である飛行機をソ連軍

に引渡すのを潔しとせず、谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて、前日に二宮准尉の偵察し

た赤峰付近に進駐し来るソ連戦車群に向けて、大虎山飛行場を発進前記戦車群に体当り全員自爆を遂

げたもので、その自己犠牲の精神こそ崇高にして永遠なるものなり此処に此の壮挙を顕彰する為記念碑

を建立し、英霊の御霊よ永久に安かれと祈るものなり

 

円覚寺十王堂

神奈川県鎌倉市

呑龍地蔵大菩薩

碑文

呑龍(百式爆撃機)を操り、大東亞の空を雄飛しフィリピン作戦では、数次に亘るレイテ、ミンドロ爆撃を

洵國の士は菊水特攻を編成し、敵機動部隊に必殺の肉彈体当たり攻撃を敢行し、或はタクロバン敵飛

行場に空挺隊員と共に強行着陸して斬込隊となる。尚又残留部隊は瘴癘の地、良く飢餓に堪え、多勢の

敵に勇戰遂に悠久の大義に就く、まさに息神を注かしむ。幸に本日我等の悲願成り、呑龍地蔵大菩薩を

開眼し、戰病没全英靈の供養を為す。呑龍地蔵大菩薩希くば世界の平和と、我等戰友の至福と日本民

族の繁栄を護り給え

第五飛行団 飛行第七十四戰隊 飛行第九十五戰隊 生存者一同

 

善養寺

東京都江戸川区

特操顕彰之碑

碑文

第二次世界大戦も末期の昭和十八年七月当時の帝國陸軍は、特別操縦見習士官の制度を発足させ

全国の高等専門学校以上の学生に対し、入隊時より見習士官の待遇を与え、航空機操縦者を中心と

する航空将校の短期養成を図り、不利な戦局の挽回を図った。祖国の危機を救うべく奮起して、これ

に応じた学徒は、一期から四期まで七千名に及んだ。

厳しい訓練に耐えて実戦に参加した者の中から多くの戦死者を出したが、特に特攻作戦に当っては、

その主力となって、南海の空に散華したものも多い。

爾来星霜五十年今や世人の大半は、特操の何たるかを知らず、生存する同志の齢も既に

古稀をこえた。

特にかつての同期の現住職特操顕彰の粗志を同期に諮り、その協賛を得てここに特操顕彰の碑を

建立する。

即ち日本一を誇る天下の名松の松籟を日夜聞く所、戦死者及びその後の物故者諸霊の冥福を祈り、

現在の同志諸君には、過ぎし日の青春の熱誠に生きた日々を追憶するよすがとするものである。

偶成       是住 山人

青春残照晴芒洋 戦唱地堕是処遥

松籟爆音既不知 白髭徒撫佇夕陽

 

霊山護国神社

京都府京都市東山区

陸軍特別操縦見習士官之碑

碑文

第二次世界大戦が転機をむかえた昭和十八年、日本の戦況は急に悪化し、存亡をかけた総力戦

となる。この年十月、二千五百余の若人は学業をなげうち陸軍特別操縦見習士官として祖国の危

機に立ちあがった。

二期、三期、四期と続く、ペンを操縦桿にかえた学鷲は懐疑思索を超え、肉親、友への愛情を断ち、

ひたすら民族の栄光と世界の平和をめざして、死中に生を求めようとした。

悪条件のもと夜を日についた猛訓練を行い、学鷲は遠く大陸、赤道をこえて雄飛し、あまたの戦友

は空中戦に斃れ、また特攻の主力となって自爆、沖縄本土の護りに殉じたのであった。無名の栄誉

は歴史に刻まれたが、愛惜と悲しみは尽きない。

平和は血と涙により築かれた。われらは心から祖国を愛し、平和を願う。ここに兄等の栄誉を讃え、

その霊を慰むるとともに、特操の果した役割を永く後世に伝えんとするものである。

 

鶴林寺

兵庫県加古川市

大東亜戦争 護国の神鷲/忠魂特攻隊之碑

碑文

 

陸軍特攻隊

更新日:2002/01/28