航空母艦 瑞鶴

 

 

行動年表

昭和13年 5月25日 起工

昭和14年11月27日 進水

  

軍艦瑞鶴進水記念絵葉書

 

昭和16年 9月25日 完成、軍艦旗掲揚

昭和16年11月26日 千島単冠湾出撃

昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃

昭和17年 1月20日 ラバウル空襲

昭和17年 1月21日 ラエ空襲

昭和17年 4月 5日 セイロン島海戦

昭和17年 5月 7日 珊瑚海海戦

昭和17年 8月24日 第二次ソロモン海海戦

昭和17年10月26日 南太平洋海戦

昭和18年 1月29日 ケ号作戦(軍需品、兵員輸送)

昭和18年 2月  日 ガダルカナル島からの撤退を支援

昭和18年 4月 2日 い号作戦、艦載機をラバウルへ進出

昭和18年11月  日 ろ号作戦、艦載機をラバウルへ進出

昭和19年 2月15日 瑞鶴飛行隊削除

昭和19年 5月15日 タウイタウイ泊地

昭和19年 6月15日 あ号作戦発動、マリアナ群島西方海上

昭和19年 6月19日 マリアナ沖海戦  ※タウイタウイ泊地「あ号」作戦出撃前記念写真

昭和19年 6月26日 柱島泊地

昭和19年 7月 7日 呉に帰投

昭和19年 8月24日 柱島泊地・別府湾方面にて訓練

昭和19年10月17日 捷一号作戦発動

昭和19年10月20日 別府湾抜錨、豊後水道南下

昭和19年10月24日 ルソン島エンガノ岬の東方230浬、Z旗掲揚

昭和19年10月25日 レイテ沖海戦、エンガノ岬の東北東260浬にて沈没

 

 

航空母艦瑞鶴

  

昭和14年 公試訓練中の瑞鶴                        東宝映画「雷撃隊出動」の1シーン

 

昭和16年秋 発艦訓練中の瑞鶴

 

  

昭和16年11月 単冠湾に停泊中の瑞鶴                  昭和16年12月 真珠湾に向け航行中の瑞鶴

 

  

昭和17年 1月 ラバウル攻撃に発艦する零戦                 昭和17年 1月 ラエ攻撃に発艦する九七艦攻

 

  

昭和17年 4月 コロンボ空襲に発艦せんとする零戦隊・艦爆隊             昭和17年 4月 インド洋作戦中の九九艦爆   .

 

  

昭和17年 5月 珊瑚海海戦、発艦せんとする零戦              昭和17年 5月 珊瑚海海戦に発艦する九九艦爆 .

 

昭和17年 5月 珊瑚海海戦に発艦する九七艦攻

 

昭和17年秋 翔鶴から見た瑞鶴

 

藤瀬韶国(兵73) 画

 

生瀬範義 画

 

  

生瀬範義 画                                     依光  隆 画

 

 

高角砲指揮官(兵73)の証言

 

昭和19年10月20日

捷一号作戦の発動と同時に、小沢中将を長官とした機動部隊は、私達を乗せ静かに別府湾をあとにした。

この作戦は、小沢艦隊が「オトリ」となり、米艦隊をひきつけている間に、主力部隊の栗田艦隊がレイテ湾に突入する

というものであり、後にいう「レイテ海戦」である。

この海戦においては、私達は文字通り「オトリ」になることであり、これが成功するということは、

すなわち生還を期し得ないということであった。

 

昭和19年10月25日

08:17 敵機動部隊の第一波180機が来襲

そして一〇月二五日の朝を迎えた。

午前八時、レーダーが米軍機の大群を捕らえた。

艦載機を全機発進させた後、私達は直ちに戦闘配置についた。

ふと自分がこれから戦おうとしているのが、現実のことではなく夢のように思えた。

次第に激しくなる己の鼓動を意識することで、死と隣り合わせた間違いの無い現実であることに気づいた。

けし粒のような小さい点が、だんだん大きくなり、敵機が急降下してきた。

誰もが息を殺し静寂が艦内を覆った。ほんの数十秒がとても長い時間に感ぜられ、張り詰めた気持ちが

耐えきれなくなり、やがて恐怖心に変わろうとする時、

「打チ方始メ」の号令が下り、高角砲と機銃が一斉に火を吹いた。

 

急降下爆撃機と水平魚雷攻撃機が、艦上で交錯する。

爆弾が命中したのか艦が大きく揺れた。

そのうち大きな音と共に、全艦が左右に揺れた。

魚雷が命中したに違いない。

生と死の境目で、誰もが夢中で動きまわった。

 

やがて米軍機が去り、再び静寂が訪れた。

私達は、怪我をした者、死んだ者を背負い医務室へ急いだ。

小沢長官はしてやったりと「吾交戦中」を司令部と栗田艦隊に打電した。

すなわちオトリ作戦成功である。

しかし、この情報は司令部には届いたが、何故か肝心の栗田艦隊には届かなかったという。

 

 

10:05 敵機動部隊の第二波36機が来襲

「わんわんやってきて、どかどかやった」という無我夢中の時間の連続だった。

舷側をかすめて走る魚雷を見、高く上がる水柱のしぶきを浴びた。

なんと操艦のうまい艦長かと思った。

 

 

13:30 敵機動部隊の第三波200機が来襲

後の戦史によれば、瑞鶴は爆弾七発、魚雷七発を受け、遂にその名に反し、不幸な時を迎えんとしていた。

自分の艦に最後の訪れたことを承知した。

楽観的に考える余地は無かった。

恐怖心が生まれ、恐ろしく悲惨に思えた。

「艦か沈んだら助けられない。覚悟しておけ」と上官から言われ、また部下にも言いつづけてきたが、

いよいよその時が近づいたとき、どんな覚悟も無駄であることを知った。

生か死か、選択の余地は無いと思い、気を引き締めて海をにらみ続けた。

 

 

14:14 「瑞鶴」沈没

貝塚艦長の「総員退去」の命令がくだり、部下が一斉に私の顔を見た。

心の中を見すかされぬように私は無理に平静さを装い、「行くぞ」といって海に飛び込んだ。

艦長は再び戦闘指揮所にもどり、静かに帽をふっておられた。

そして、二度と私達の前に、その姿を現されることはなかった。

 

あたりは一面重油で、私達は波間に浮き沈みし、重油を飲み、目や鼻を刺激されながら、

目の前で静かに最後の時を迎えつつある空母「瑞鶴」を見守っていた。

やがて瑞鶴は艦首を上に向け始め、垂直になったと思う瞬間、あっという間もなくその姿を太平洋深く沈めていった。

二時十四分であった。この日天候は快晴。

 

顔を海に沈めて泣いた。

海上に流れる「海行かば」の歌に和し、大きな声を張り上げた。

 

  

 

護衛駆逐艦「若月」に救助され呉へ向かう

同行艦で健在であった駆逐艦「若月」と「初月」の救助作業が始まっているのが、波の間から見えた。

私にとって、どちらの艦も同じ位置にあり、どちらを選んでもよかった。

でも「若月」には江田島で机を並べた親友の土屋幸次君が甲板士官で乗っていたはずだ。

兵学校同期生の顔を思 い出し、「どうせ拾われるなら若月にしよう、若月で彼の服を貰えばい」と思い、

力いっぱい泳ぎ出した。

 

20:57 「初月」、「瑞鶴」の乗員もろとも沈没

「瑞鶴」乗員約1,700名のうち約半数は戦死、残る半数は駆逐艦「若月」と「初月」に救助された

内地に帰るべく北上していると夜戦になった。

「初月」が敵艦の艦砲射撃を受け、炎とともに煙をもうもうと上げているのが見えた。

煙が消えた後、「初月」の姿は夜の海に消えていた。

「友の服を貰えばいい」という虫のいい考えが、たまたま私の命をつないだ。

 

私達は作戦命令を完全に果たした。

しかしそれは生かされなかった。

オトリ作戦成功の情報を入手出来なかった栗田艦隊は、レイテ突入をやめ一路母国へ急いだのである。

情報不足と不徹底、連携プレーの欠如による敗戦といわれる所以である。

 

「瑞鶴」沈没後

10月29日、呉に帰投。

敗戦を秘匿する為、「瑞鶴」乗員は故郷への帰還も許されず、呉沖の三つ子島で監禁同様の生活をした

 

約一ヶ月後、呉鎮守府の人事部に呼び出され、

「乗る艦が無い。極秘だが、最近九三魚雷を改造した人間魚雷というものが開発され、搭乗員を集めている。

行ってみる気はないか」と言われ、

「いいです」とその場で答え、大浦基地経由大津島に赴任した。

 

 

橿原神宮

奈良県橿原市

航空母艦瑞鶴之碑

碑文

歴史は太平洋戦争の殊勲艦として第一に航空母艦瑞鶴を挙げるであろう瑞鶴は昭和十六年九月二十五日

艤装完了と同時に連合艦隊に編入されハワイ作戦に参加した つづいてインド洋・サンゴ海・ソロモン・南太

平洋・マリアナの各海戦に奮戦し さいごに比島沖海戦で困難な使命を果したあと昭和十九年十月二十五日 

米艦上機群の猛攻のもとルソン島エンガノ岬沖にその艦首をたかだかと挙げて艦歴を深海に閉じたいくたの

海戦で瑞鶴から発艦して任務に殉じた搭乗員諸君 瑞鶴の最後と運命をともにした貝塚艦長ほかの乗員諸君

また瑞鶴につらなる戦没者諸君 かつて瑞鶴に乗組んだわれわれ戦友は瑞鶴会を組織し有志をつのって慰

霊碑を建立した

諸君は一命を捨てて守ろうとした鎖国日本のゆくえを橿原神宮につづくこの聖地から末ながく見守りたまへ

この碑に参ずる将来のひとびとは諸君の犠牲の忠魂を知って後世に伝えられよ

 

    

      航空母艦瑞鶴戦没者名録                          三角マスト(復元レプリカ)

 

  

航空母艦瑞鶴之碑

 

  

瑞鶴五十年記念祭植樹                                   鎮魂之碑   

碑文

駆逐艦 若月、初月、秋月、第六〇一海軍航空隊

瑞鶴とゆかり深き諸霊茲に鎮まる

 

  

軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭

 

  

橿原神宮献灯祭                                     軍艦瑞鶴会献灯

 

呉海軍墓地

広島県呉市

  

空母瑞鶴碑之記念樹

 

  

空母瑞鶴碑之記念樹

碑文

自由と平和と繁栄を祈る

 

東大寺

奈良県奈良市

念仏堂(護國英霊殿)

 

  

念仏堂(護國英霊殿)

 

靖國神社

東京都千代田区

  

軍艦瑞鶴会植樹

 

みたままつり

 

三つ子島

広島県安芸郡音戸町

「瑞鶴」乗員が故郷への帰還も許されず、監禁同様の生活を強いられた三つ子島

 

  

      三つ子島                                      三ツ子島戦没者地蔵菩薩

 

船の科学館

東京都品川区

    

航空母艦瑞鶴 100分の1模型

 

航空母艦瑞鶴 慰霊行事

2001.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭(付:敷島隊五軍神慰霊祭)

2002.04.07 比島観音  比島観音例大祭

2002.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭

2003.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭

2004.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者並びに物故者慰霊祭

2005.04.03 比島観音  比島観音例大祭

2005.08.08 橿原神宮  橿原神宮献灯祭

2005.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭

2006.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者慰霊祭

2008.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者並びに物故者慰霊祭

2009.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者並びに物故者慰霊祭

2014.10.25 橿原神宮  軍艦瑞鶴戦没者並びに物故者慰霊祭

 

連合艦隊    比島決戦

更新日:2016/07/31