駆逐艦 雪風

 

 

艦歴

昭和15年 1月20日 佐世保海軍工廠にて竣工

昭和16年12月 8日 フィリピン・レガスピー攻撃

昭和17年 6月 5日 ミッドウェー海戦

昭和18年 2月 1日 ケ号作戦(ガダルカナル島撤退)第一次カミンボ隊

昭和18年 2月 4日 ケ号作戦(ガダルカナル島撤退)第二次カミンボ隊

昭和19年 6月  日 あ号作戦(マリアナ沖海戦)

.              タウイタウイで対潜掃討中、触礁によるスクリュー損傷により全力発揮不能

.              補給部隊の護衛として参加

昭和19年10月  日 捷一号作戦(レイテ沖海戦)

.              栗田艦隊(第一遊撃部隊 第二部隊 第十七駆逐隊)

.              機関不調のため最大速力発揮できず

昭和20年 3月19日 呉軍港空襲、攻撃を回避しながら敵機を2機撃墜

昭和20年 4月 6日 徳山出撃、菊水作戦

昭和20年 4月 7日 坊の岬沖海戦

昭和20年 4月 8日 ほぼ無傷で佐世保に帰投

昭和20年 7月30日 京都・宮津湾で米機の攻撃を受けたが損害軽微

昭和20年 8月15日 終戦

昭和20年  月  日 海外抑留者の復員輸送艦として就役

昭和22年 7月 6日 戦時賠償艦として中華民国に引き渡し、中国名「丹陽(タンヤン)

昭和41年  月  日 除籍(中国海軍)

昭和45年  月  日 解体(中国)

昭和46年12月  日 中国政府から舵輪と錨のみ日本へ返還

 

幸運艦

雪風は「幸運艦」として海軍内で「呉の雪風 佐世保の時雨(スリガオ海峡海戦で西村艦隊唯一の生存艦)」

と謳われ、各艦隊とも雪風との共同作戦には士気が上がったという。

呉軍港空襲では敵機の攻撃を回避しながら2機撃墜、連合国からも第二次世界大戦最優秀艦と賞された。

雪風の幸運は終戦まで続いたが、一方で雪風の軽微な損害に対し、僚艦は大破・沈没して多数の戦死者を

出すことが多かったため、「死神」と呼んで同航を嫌がる他艦の乗組員も多かったという話もある。

 

戦後

敗戦後は復員輸送艦として就役、1万3千人以上の将兵が祖国の土を踏んだ。

戦後、戦記漫画や妖怪漫画等で名を馳せる漫画家・水木しげる もその中にいた。

 

       

宙出版 水木しげる戦記選集            

                                             小学館 クリエイティブ 水木しげる貸本漫画完全復刻版

 

戦時賠償艦として連合国への引渡時には乗組員達により最入念に整備され、連合国側からも感嘆され米海軍

から感状を授与されたという。

中華民国に引き渡された雪風は「丹陽(タンヤン)」と命名され、駆逐艦ながら中華民国艦隊の旗艦として迎え

入れられた。「丹陽」は、中国江蘇省の都市名で、「赤い太陽」の意味でも有る。

 

海上自衛隊 第一術科学校

広島県江田島市

  

駆逐艦雪風の錨

 

連合艦隊

 

更新日:2009/01/01