戦艦大和

 

戦史

昭和12年11月 4日 呉海軍工廠にて起工

昭和15年 8月 8日 進水

昭和16年12月16日 竣工、呉鎮守府に編入

              連合艦隊に編入

昭和17年 2月12日 連合艦隊旗艦

昭和17年 5月29日 ミッドウエイ海戦参加

昭和17年 8月17日 ソロモン作戦支援

昭和18年 2月11日 連合艦隊旗艦を「武蔵」に移譲

昭和19年10月24日 比島沖海戦参加

昭和20年 4月 5日 沖縄海上特攻作戦決定

昭和20年 4月 7日 九州南西海面にて米空母艦載機延べ三八六機と交戦、沈没

 

 

呉海軍墓地

広島県呉市

戦艦大和戦死者之碑

 

楢本神社

愛媛県西条市

  

大東亜戦争/特攻将兵慰霊之碑

青春の譜

戦艦大和は大東亜戦争末期残存せる大日本海軍の艨艟を率い沖縄方面に特攻出撃

の途次 昭和二十年四月七日鹿児島県徳之島西方海上に於いて敵の潜水艦と航空群

グラマンの反復攻撃により 世界最大を誇る不沈戦艦も乗員三千余名と共に運命を共

にせり(後略)

 

愛知県護国神社

愛知県名古屋市中区

戦艦大和記念碑

主碑碑文

戦艦大和は日本が建造したせ界に誇る史上最大最強の戦艦であった。

第二次世界大戦中海上作戦の中枢として活躍していたが 昭和二十年に入り戦況急迫し

ついに連合軍が大挙して沖縄に進行して来たとき 海上特別攻撃隊旗艦となり巡洋艦矢矧

及駆逐艦八隻とともに徳山沖を出撃して この敵艦隊に対し特攻不帰の悲壮なる突入作戦

を決行した

進撃の途上優勢なる敵機の連続猛攻を受け優先奮闘したが われには一機の護衛戦闘機

もなく被害は累積して遂に沈没す

この時伊藤司令官 有賀艦長以下乗組員弐千七百有余名は艦と運命を共にした

時に昭和二十年四月七日沖縄の北四八〇粁 想うにこの世紀の巨艦を造り得た国民の気迫

と祖国の危急存亡のときにのぞみ甘んじて死地に投じた崇高なる精神とは 永くわが民族の

中に脈動するであろう

ここに大和主砲弾を安置して光栄ある海軍を記念するとともに 大和をはじめ幾多殉国の英

霊に感謝の誠を捧げあわせて祖国日本の繁栄と世界平和を祈念する

 

戦艦大和慰霊塔

鹿児島県大島郡伊仙町

碑文

祖国を守る勇士よ 安らかにお眠りください

 

 

連合艦隊    沖縄決戦

更新日:2008/10/13