古賀峯一

連合艦隊司令長官、元帥海軍大将

 

略歴

明治18年 9月25日 佐賀県西松浦郡有田町出身

明治39年11月19日 海軍兵学校卒業(34期)

昭和12年12月  日 軍令部次長

昭和14年10月  日 第2艦隊司令長官

昭和16年 9月  日 支那方面艦隊司令長官

昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃

昭和17年 5月  日 大将

昭和17年11月  日 横須賀鎮守府長官

昭和18年 4月  日 連合艦隊司令長官

昭和19年 3月31日 パラオ近海にて遭難死(海軍乙事件)

 

左:古賀 峯一

 

多磨霊園

東京都府中市

官墓

 

陶山神社

佐賀県西松浦郡有田町

    

元帥海軍大将古賀峯一之碑

碑文

古賀峯一提督は明治十八年九月二十五日ここ有田英山の山麓に生まれ 同三十六年十二月十七日 日露の風雲

急を告げつつある時志しを海軍に立て佐賀中学校より海軍兵学校に入る 資質俊敏豪毅殊に日本海軍の先駆けと

なった鍋島の藩風と葉隠精神に鍛えられた君は夙に英角を現わし数次の征戦に武勲を重ね 要職を歴任して明治

大正昭和の三朝に奉仕し累進して昭和十七年五月一日海軍大将に親任せらる 太平洋戦争に入り昭和十八年四

月二十一日山本五十六連合艦隊司令長官戦死の後を承けて大命を拝し 一世の信望を負って全艦隊統率の重任

に就く 戦局苛烈を極め皇国の隆替を決せんとする重大時機に当り大将は率先陣頭に立ち全般作戦指導中 昭和

十九年三月三十一日南溟に散華す 武人最高の栄誉たる元帥の称号を賜り功一級金鵄勲章旭日桐花大綬章を授

けられる提督の余栄は 至誠忠節を全うした偉勲と共に永く我が史上に薫るであろう ここ郷土に顕彰の碑を建立す

るに当り恭しく敬慕の微衷を表す

昭和五十五年五月   西川速水撰

 

果断の提督

更新日:2008/09/19