艦内神社

航空母艦 千歳

 

航空母艦 千歳

 

行動年表

昭和 9年11月26日 水上機母艦として呉海軍工廠にて起工

昭和11年11月29日 呉海軍工廠にて進水

昭和12年 7月23日 軍艦千歳祭神決定(水天宮)

昭和13年 7月 1日 艦内神社に祭神鎮座

 

水上機母艦 千歳(改装前)

 

昭和13年 7月25日 竣工・就役

昭和13年10月  日 廣東攻略戦(〜11月)

昭和14年12月  日 南洋群島巡航警備

昭和16年11月23日 呉軍港出港

昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃

昭和16年12月  日 レガスピ・ダバオ・ホロ攻略戦

昭和17年 1月  日 メナド・ケンダリ・アンボン・マカッサル・スラバヤ・ニューギニヤ攻略戦(〜4月)

昭和17年 5月  日 ミッドウェー作戦(〜6月)

昭和17年 8月  日 トラック島進出、ソロモン沖海戦、ラバウル・ショートランド輸送作戦ガダルカナル作戦(〜11月)

昭和17年11月  日 航空母艦に改装(佐世保海軍工廠)

昭和18年 9月18日 完成、公試運転及諸訓練

昭和18年 9月  日 シンガポール・トラック島・サイパン島輸送作戦(〜昭和19年 4月)

昭和19年 5月  日 機動部隊編入(第3艦隊第3航空戦隊)

昭和19年 6月13日 タウイタウイ環礁を出撃、サイパン沖へ

昭和19年 6月18日 マリアナ沖海戦

昭和19年 7月  日 内海西部にて訓練待機(〜10月) 

昭和19年10月20日 豊後水道を出撃、ルソン島東方海域へフィリピンに向け出撃

昭和19年10月25日 レイテ沖海戦、沈没

 

昭和19年10月25日

フィリピンのエンガノ岬沖、午前8時17分、敵機動部隊の第一波180機が小澤艦隊の上空に達してきた。やが て

上空は星のマークに覆われた。静穏な海上は一瞬にして戦場と化し、色とりどりの曳光弾、着色弾が破裂し、艦隊 は

ジグザグの回避動作によって爆弾や魚雷をかわした。

なかでも一番ひどい被害を受けたのは「千歳」だった。8時30分頃、左舷前部甲板に受けた直撃弾が致命傷となり

「千歳」はゆっくりと左に傾き吃水線下の赤腹を見せた。

火焔が艦内のガソリンに引火し、内部で一室一室とその火勢を広げていった。

9時30分頃、計器は傾斜25度を示し、艦長・岸大佐は「総員退艦」を命じた。「千歳」は左傾したまま艦尾より

沈み始め、錨鎖が音を立てて左舷に滑り落ちた。

付近の海面で軽巡洋艦「五十鈴」が救助活動を開始しようとしたとき、旗艦から命令が届いた。

「損傷した多摩の警戒に当れ」と。

 

艦内神社

水天宮

.                    所在地  福岡県久留米市

.                    創建   建久年間

.                    主祭神  天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼

.                    社格    県社・別表神社

 

水天宮

 

軍艦千歳慰霊碑

碑文

いつよりの千歳かわかぬ千歳川 始めも果もなき名なりけり

昭和十三年就役以来 日支事変、太平洋戦争と幾多の戦闘海戦に出撃 赫赫たる戦果を挙げた軍艦千歳は

フィリピン沖海戦に於て勇戦奮闘するも衆寡敵せず 遂にフィリピン・エンガノ岬東方に艦長以下数百の

将兵と共にその勇姿を没した

時に昭和十九年十月二十五日午前九時三十七分

軍艦千歳は筑後川(別名千歳川)の名を取って命名されたものであり 艦内神社に水天宮を奉祀してあり

ました

 

航空母艦千歳レリーフ像について

 

敗戦の色濃い、戦局を一挙に挽回せんと捷1号作戦が発令され、栗田、西村、志摩の3艦隊のレイテ湾、突入を 容易

にするため、陽動作戦部隊となって昭和19年10月20日午後、小沢治三郎中将指揮のもと僚艦17隻と共 に、豊

後水道を出撃、10月25日、早朝よりアメリカ機動艦隊、艦載機の集中攻撃を受け、岸良幸艦長以下、乗 組員一丸

となっての奮戦も空しく、25日午前9時37分フィリッピンルソン島東方200浬の太平洋上から歴戦の栄光に輝

いた、航空母艦千歳は永久にその姿を没してしまいました。

年々、歳々時は移り、世情も変わり、千歳沈没から、46年経過いたしました。

幸か不幸か、辛うじて生き残った生存者も一人減り、二人減り、千歳の面影も年と共に次第に薄れてまいりました。

まして千歳の勇姿を見た事もない遺族の方や、参拝者に対し、更に、8千5百メートルの深い海底に眠る艦長以下、

千名近くの先輩戦友の鎮魂供養に、レリーフ像の建立の話が生存者の間で起こり、全国各地に居住する乗組生存者の

浄財により、千歳の勇姿を再現する事が出来ました。

平成2年10月

 

軍艦千歳郷土会に就いて

軍艦千歳が呉海軍工廠で竣工、就役間もない昭和13年10月久留米を中心とした筑後地方一帯より、一千九百余名

の有志の方々で軍艦千歳会を発足させ(会長 石橋徳次郎氏 当時久留米市長)その頃珍しかった蓄音機、レコード

絵葉書及び軍艦旗など多数献納されております。

この度の千歳慰霊碑建設に当っては生存者及び遺族の方々は申す迄もなく、軍艦千歳の事を全く知らない多くの方か

ら又筑後川遥か上流の方々からも暖い御協力を賜り見事な慰霊碑が出来ました。

軍艦千歳は6ヶ年の短い生涯でありましたが、他の艦に見られない一般の方々の祝福を受けた幸せの艦であったと思

います。

艦長、副長機関長など幹部の方々は殆んど戦死いたしました。もし艦長存命ならば皆様に対し、どんなに御礼の言葉

を述べた事でありましょう。

昭和53年10月25日 軍艦千歳慰霊碑建設委員会

 

 

水天宮境内

 

水天宮境内

 

水天宮境内

 

水天宮境内

 

水天宮境内

 

水天宮境内

 

筑後川(千歳川)

 

連合艦隊    比島決戦    鎮魂の霊地

更新日:2017/05/03