三橋謙太郎
海軍中佐
資料提供:湯野川守正様(海兵71期、桜花隊分隊長、「海軍神雷部隊」編集委員)
略歴
大正13年 1月 日 千葉県出身
昭和16年12月 8日 ハワイ真珠湾攻撃
昭和17年11月14日 海軍兵学校卒業(71期)
昭和17年11月14日 「日向」乗り組み
昭和 年 月 日 「香椎」乗り組み
昭和 年 月 日 40期飛行学生
昭和18年10月 1日 第721海軍航空隊(神雷部隊)桜花隊隊長
昭和20年 3月21日 第一回神雷桜花特別攻撃隊出撃、戦死(享年21歳)
第一回神雷桜花特別攻撃隊出撃
昭和20年3月21日、出発の命が下った。搭乗員達はそれぞれの愛機へと散っていった。
三橋大尉と井口大尉はお互いの肩を抱きあって、今生の別れを惜しんだ。
「しっかりやって来い」「大丈夫、後を頼んだぞ」
午前11時35分、「桜花」を腹に抱いた一式陸攻は次々に飛び立っていった。
午後2時頃、敵グラマン50機の迎撃にあい 桜花を落として応戦したが・・・。
戦死160名(桜花15名、陸攻135名、戦闘10名)、戦果0。
軍人にとって定め難い運命とはいえ、半年以上にわたり訓練を重ね、敵を目前にして
全滅の悲運にあった搭乗員の無念は、察するに余りあるものが有る。
出撃前の第一回神雷桜花特別攻撃隊/桜花を抱いた一式陸攻
最後の書簡
こちらはその後極めて元気で毎日訓練に精進しておりますから御安心下さい。何と
言っても敵米英の必死の反抗に対し、我等日本人も必死の戦いをせねば、皇土を
万代の安きに置くことは出来ません。昔の神風は人事を尽くして天命を待つの賜物
ですが、今亦果して必ず皇土を守る神風があるか。勿論神国日本には必ずあると
思いますが、それは人事を尽くしての上の事です。今の有様を反省してもうこれ以
上出来ないと言ふ域に達して居りませうか。日本人の一人一人がくたくたになるまで
努めなければ此の戦に勝ち抜くことは出来ません。日本人はまだまだ余力がある
と思ひます。その余力がなくなる迄頑張らなければならぬ時です。今や敵は間近に
我本土を窺はんとして居ります。今こそ立つべき時です(後略)。
出撃前の第一回神雷桜花特別攻撃隊/戦友の遺骨を抱いた三橋大尉
更新日:2001/07/31