海軍艦艇殉難史 友 鶴
水雷艇「友鶴」は、昭和 9年に舞鶴海軍工廠で竣工した条約制限外艦艇で、二等駆逐艦の代用艦
として設計されたため装備に無理があった。
昭和 9年 3月 6日、佐世保警備戦隊は五島方面で訓練を実施、12日に帰投を命じられたが
「友鶴」から応答が無く捜索の結果、長崎県志々岐湾で転覆漂流しているのが発見された。乗組員
100名の遺体は一体も発見されなかった。この事故は全艦艇のトップヘビー改修の動機となった。
その後、「友鶴」は佐世保海軍工廠で修復され現役に復帰、昭和20年 3月24日に東支那海にて
米艦載機の攻撃により戦没した。
佐世保海軍墓地
長崎県佐世保市
水雷艇友鶴殉難者之碑
更新日:2009/06/07